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「このままずっと二人でいられたら、ね」

 つないだ手に力を込める。降りそうな星空はきれいで、だからこそ辛かった。

「えっ?いたらいいじゃない、ずっと一緒に」

 拓斗はとぼけたところがあるけれど、バカじゃない。きょとんとした顔はわたしのための嘘、彼の優しさだ。今まで、たくさんのわがままに付き合ってもらった。みんなは葦木場くんと付き合うのは大変そう、なんて言うけれど、楽しいことばかりで、わたしは果報者だと思った。幸せすぎた。だからそのしっぺ返しがきたのかもしれない。


 なにも、昨日今日にわかったことじゃない。前々から聞かされていた。三月の卒業式が終わったら、拓斗は引っ越しするんだって。お父さんの転勤で、箱根まで。高校も箱根にある私立の高校を受験して、見事合格した。でも、素直に「おめでとう」って言えなかった。
 ここと箱根とを遠距離と呼ぶかは、意見が割れたけれど、そんなものは当人の意識の問題だ。そしてわたしは遠距離以外の何物でもないと思う。もう簡単には会えないんだな、そう思えば辛くって、涙がこぼれた。

「泣かないで」

 拓斗の長い指が頬を伝う涙をぬぐう。そう言われても、車と涙は急には止まるものじゃない。しずくがはらはらと草むらに落ちる。視界がぼやあとゆがんでいく。「ナマエちゃん」拓斗がわたしを呼んで、胸に引き寄せた。我慢できなくなって、わあわあ声をあげて泣いた。

「ナマエちゃん、泣かないで」

 拓斗の声が震えている。そしてすぐに鼻をすする音、髪の毛が濡れる感触。拓斗の胸の下に顔を押しつけて洋服をぎゅっとつかむと、高いところから嗚咽が降ってきた。ここには――小高い丘の草むらには、わたしと拓斗しかいなかった。星がきれいだった。風がそよそよと吹いていて、少し肌寒かった。この景色も、温度も、においも、感触も、忘れないと思った。二人分の泣き声は夜の闇に吸い込まれて、静かに消える。




 どれくらい泣いていたのか、わからない。そもそもどれくらいの時間、ここにいるかもわからない。

「いま、何時なんだろう」

 携帯の電源は意図的に切っている。もうすっかり暗くなってしまったから、わたしの両親も、拓斗の両親も、心配しているに違いないのだが。拓斗が取り出した携帯ごとわたしの手を握った。少し力が強い。

「ダメだよ。つけたら、終わっちゃう」

 何が終わるか。二人だけの世界が、だ。この草むらに築いた二人だけの夢の国が儚いことなんて、わたしにはわかっていた。拓斗だって、わからないフリをしているだけだ。

「拓斗のこと、だいすきだよ」

 わたしの手を握る拓斗の手にもう片方の手を添えて、正面から拓斗を見る。いつでも、はっきりと思い出せるように。

「友達よりも、お母さんよりも、お父さんよりも」
「オレも。ナマエちゃん、大好きだよ」

 わたしの手のさらに上に、拓斗が手をのせる。大きな、大きなてのひらが少し硬いことも、忘れない。

「いつでも会えるよ。千葉と神奈川って、そんなに遠くないし。オレ、ナマエちゃんがさみしいときは、いつだって飛んでいくから」
「うん」小さく頷いて、作り笑い。
「携帯も、毎日ちゃんと見るようにするから」
「うん」おかしくって、本当に笑えた。
「ナマエちゃんのこと、ずっと想ってるから」
「うん。わたしも、拓斗のこと、忘れない」

 ぽろりと一粒涙がこぼれた。「やだなあ」と拓斗が目を細める。

「まるでサヨナラみたいじゃない。オレたち、これでおしまいじゃないでしょ」
「…そうだね」

 拓斗はバカじゃない。そしてわたしもバカじゃないから。どれが嘘でどれが本当か、わかる。拓斗の手がはらり離れた。夢の時間が終わってしまう。ほっぺたにくっついたままの涙を左のてのひらで拭き取ってから、携帯の電源を入れた。





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