フケンゼンな関係 | ナノ


 隼人がうちに来てから一週間がたった。


 えんじ色に褪せてしまった革のキーケースをかばんから取り出し、鍵穴に鍵を挿して回す。開錠音を確認してからドアノブを下げて開くと、リビングの電気が灯っていた。

「ただいま」

 玄関と狭いリビングダイニングを区切るドアを開けながら私が言うと、ソファでテレビを見ているその人が答える。

「おかえり」

 穏やかで柔らかい声の主は私が一週間前拾ってきた隼人だ。自他共に認めるイケメンで、彼が着ていると近所の量販店で私が買ってやったTシャツと短パンがやたらと上質に見える。

「メシ食ってきた?冷蔵庫ん中に親子丼あるけど」
「食べてない。隼人が作ったの?」
「ああ。自分でいうのもなんだけど、結構ウマかったぜ」
「食べたーい。もうすっごいお腹空いちゃって」

 私にとって嬉しい誤算は隼人が料理上手だったことだ。聞くところによると以前居酒屋の厨房でアルバイトをしていたことがあるらしい。そのおかげでアキも渋々ながら隼人の滞在を許可しているのだ。私はというと「おかえり」と言ってくれる人がいるだけで心が温かくなるので隼人が居てくれるで十分だが、突然知らない男を連れ込まれた相方にとってはそれ相応の旨みがないことにはそうもいかない。仕方がないのでアキも取り込んでしまおうと目論み、やんわりと彼を勧めてみたけれど「素性がはっきりしない人とは寝ない」と断られてしまった。隼人を連れてきて三日目。万策尽きてしまったその日、いよいよ追い出されているかもしれないと冷や冷やしながら帰宅すれば、なんでか二人並んで夕食をとっていた。そこで明らかになった彼の料理の腕前。隼人の屋根のある生活は彼自身によって守られた。世知辛い世の中だからこそ手に職を付けなければ生きていけない。


 荷物を自室に置いて、洗面所で手早く化粧を落としているとキッチンから電子レンジの起動音が聞こえた。まだ出会って一週間だが、隼人は本当に気の利く男だ。容姿もさることながらその気配りの上手さからも彼が相当モテるであろうことが容易く予想される。スキンケアを済ませ無造作なお団子ヘアを作った後ソファに座れば、テーブルの上には完成された親子丼が湯気を出しながら置いてあった。なんて素敵なのだろう。

「ありがとう、いただきます」

 手を合わせてからスプーンでそれを頬張ると、ダシの風味と柔らかい卵の食感が口の中に広がった。前評判通りの味だ。

「美味しい」

 率直に感想を述べると、隼人はテレビから視線を外して「そいつはよかった」と満足そうに笑った。こげ茶色の二人掛けソファは隼人と座ると狭いが、その密着感が逆に嬉しかった。しばらくして食事を終えた私はとりあえず食器をキッチンのシンクまで運び、蛇口をひねる。内側に唐草模様があしらわれた丼は二人暮らしを始めてからアキと色違いで買ったものだ。私が赤で、アキが青。他にも揃いや色違いの食器や雑貨は多い。「なんだかカップルみたいだね」と笑う私と「ナツと付き合っても三日で別れる」と意地悪を言うアキとは結構いいコンビだと思う。ひとまず唐草模様のところまで水を溜めて洗うのは後回しにすることにした。運が良ければ隼人かアキが洗ってくれるかもしれない。鼻歌交じりの上機嫌でソファまで戻って、勢いよく隼人の隣に座り直す。

「はーやと」

 今日この時を待っていた。アキの帰りが遅くなる金曜日、隼人と二人きりになるタイミングを。先週、隼人が来たばかりの金曜日はアキがわざわざ約束を断ってまで家に帰ってきたので思い描いていたことができなかったのだ。一週間過ごしただけで簡単に彼を信用してしまうアキも考え物だが、私は彼女のそういう素直なところを気に入っていた。アキは気難しそうに見えて本当はとてもかわいらしい面があるのだ。

「どした?」

 隼人が挑戦的な表情で私のハグを受け入れる。私がどうしたいか理解しているのにわざと尋ねてくる野暮のふりは嫌いじゃない。彼の胸にすっぽりと収めていた頭をもたげ、顎の付近で止める。目をつぶって唇をほんの少し突き出すと、隼人のふっくらとしたそれが押し付けられ、次第にエスカレートしていく。隼人はキスもエッチも上手い。先週は最近では珍しいくらい酔っていたけれどそれらの記憶は残っている。今までそれなりの男性と関係を持ってきたが、まだ若そうなくせに上位に食い込む良さだった。隼人が舌で私の上唇を舐めてからゆっくりと離れていく。情欲をそそる瞳に囚われて私は我慢ならなくなった。

「ね、ベッドいこ?」

 当然隼人の心情は据え膳食わぬは男の恥。そのまま二人欲望の波に飲まれて、裸でまどろんでいると、玄関の方からかすかに物音がした。アキが帰ってきたらしい。隼人のたくましい身体をぎゅっと引き寄せ、彼の胸筋の谷間に頬をくっつけると、程よく筋肉のついた腕が私の背中に回される。居心地がいい。

 今晩のこの行為は酒の勢いではない。私なりに出した一週間の答えである。隼人がどこの誰だって、他に彼女がいたって、私を愛していなくたって、かまわない。隼人とエッチがしたいと思った、それだけだ。


 そのままの体勢でこれからのことについて考えてみる。アキはいつまで隼人を置いておいてくれるだろうか。私が隼人と関係をもっていると気付いたら?出て行けって怒る?いや、アキは優しいから、なんだかんだで許してくれるかもしれない。そこまで想像して、考えるのを止めた。分からないことを考えたって時間の無駄である。毎日が楽しければ私はそれでいい。私とアキと隼人の三人暮らしはきっと楽しくなる。それ以外に理由がいるのだろうか。

 アキの部屋のドアが閉まる気配がしたので、私も一安心してまぶたを下ろした。隼人からはいい匂いがする。女は遺伝子的に遠縁の男の体臭をいい匂いと感じるそうなので、私と隼人は少なくとも生き別れの姉弟ではないようだ。

「おやすみ」

 アキを警戒してだろう。小さな声で頭上からそう降りかかってきたので、胸とお腹の間辺りがきゅんと温まった。私の根拠のない予想は当たるのだ。絶対に上手くいく。心の裡でそう確信して、できるだけ優しい声音で返事をした。

「おやすみ」