フケンゼンな関係 | ナノ
ナツが隼人を拾ってきたのは梅雨の夜だった。
平日は仕事、土日は休みという典型的事務系OLの私とアパレルメーカーで接客の仕事をしている不定休のナツとではいくら一緒に住んでいるといってもすれ違う事が多い。明日木曜日が休みのナツは仕事帰りに飲みに行っていたので、帰ってきて絡まれるより前に寝てしまおうと今まさに電気を消そうとしたところだった。玄関の施錠が解除される音がして、次に足音。ナツが帰ってきて、何やら私を呼んでいる。
「ねぇ、寝ちゃったのぉ?」
ここで出ていけば絡まれることは必至だ。まだ日付が変わったばかりといっても酔ったナツに捕まれば長い。明日もそれなりに仕事が残っている身としては彼女の愚痴はまた今度にしてもらいたかった。
「ねえ、アキ〜、アキってばぁ」
しばらくそのままにしておいたら、とうとうナツがドアの前まで来てしまった。互いの了承なしにドアを開けるのは同居のルールで禁じているが、酔っ払いにそんな理屈が通じるとも思えない。私は仕方なくベッドから這い出て、自分からドアを開けた。
「アキぃ、起きてるんなら早く開けてよ〜」
ナツが甘えた声で首に絡まりついてくる。酒臭い。
「うわ、くっさ。何なのよ、さっさと風呂入りなさいよ」
視界いっぱいにナツの明るい茶髪が広がる。朝はしっかりセットされていたはずの少し乾いたロングヘアはすっかりぼさぼさになってしまっている上に、スタイリング剤とアルコールの匂いが混ざってなんとも言えない芳香を醸している。
「彼女がアキちゃん?」
突如男の声がした。驚いてナツを突き返すと、彼女の後ろに見知らぬ男が立っていた。赤茶色の柔らかそうな髪をした年若い男は私の目を見てにこりと笑う。
「初めまして。隼人です」 「はぁ」
不測の事態に曖昧な声を漏らしつつ、その男を改めて観察すると、いかにもナツ好みのいわゆるイケメンだったので妙に納得してしまい、事態をぼんやりと把握した。
「ちょっとごめんね」
押し戻したものの変わらず寄りかかってくる酔っ払いの相方の肩に腕を回し、無理やり隼人に背中を向けさせてから耳打ちをする。まず酒臭さが不快だし、せっかく風呂に入ったというのにナツの汗と酒でべたつく体と密着するのは好ましくなかったが、緊急事態なので文句も言ってられない。
「お持ち帰りはナシだって決めたでしょ。セックスはよそで。家の中にそういうこと持ち込まないって」 「違うよぉ、そうじゃなくって」 「何が違うっていうのよ、アレ彼氏?それこそ違うでしょ」 「それはそうだけど〜」
ナツが何か言いたそうに髪の毛をもてあそびながら口をすぼめるが、その手は食わない。私の頭の中は一分でも早くこの二人を追い出して安眠することでいっぱいだった。
「お金あるんでしょ?いいから早くホテル行ってよ。私はナツと違って明日も仕事なんだからさ」 「そうじゃなくて!聞いてってば!」
ナツが大きな声でマシンガントークの準備段階に入っていた私を遮る。そこで隼人がくすくすと知った風に笑うのでかちんときた。ナツの同僚にしては少し若すぎるような気もしたが、学生のアルバイトもいると聞いているので彼がそうなのかもしれない。
「ちゃんと説明するから、聞いてよ」
ナツが卑怯にも上目遣いでそう訴えてきたので、私は結局観念してナツと隼人と名乗る男をリビングのソファに座らせた。同居を決めて二人で家具を見に回ったのだが、性格も好みもまるで違う私たちが唯一意見を一致させたのがこのソファだった。籐のフレームがオリエンタルな雰囲気を演出してくれる少し値の張ったラブソファ。濃いブラウンの布地がいつもよりいくらか大きい比重のせいで深く沈んでいるように見えた。
「お茶でいい?」
二人とも神妙に頷く。無論注文をつけられたとしてもお茶以外を出す気など毛頭なかった。冷蔵庫からポットを取り出し、ウーロン茶をコップに注いでそれぞれの前に置くと、二人とも「ありがとう」としっかりお礼を言ってくれた。ナツはともかくこの男も礼儀はしっかりしているのかもしれないと思いかけて、そもそも常識のある男がこんな深夜に女の二人暮らしにずかずかと入り込んでこないことに気が付きそれを取り消した。再び台所のカウンターに戻り、今度は自分用のコップにお茶を注ぎながらナツに尋ねる。
「それで?聞いてやるから早く話してよ」
夜独特の静まった空気が室内に充満していて、なんだか重苦しい。言い方にとげが出てしまったことを密かに後悔しながらナツの言葉を待っていたが、彼女は一向に口を開かない。
「ナツ?」
こらえ性のない私はナツに説明を促す。第一、話を聞いてほしいと言ってきたのはナツの方だのに。酔っ払いの話を聞こうとしたのが間違いだった。ウーロン茶をコップ半分まで一気に飲んで、ことんと音を立ててカウンターに置いたとき、ナツの代わりに隼人が話し始めた。
「実はオレ、行くとこなくて」
やっぱりその手の話だったかと納得した反面、同時に違和感も覚えた。いくら酒が入っているとはいえ、ナツが家まで男を連れてきたのは初めてのことだからだ。彼女は男ウケがすこぶるいいけれど、男にだらしないわけではない。
「そしたらナツさんが泊めてくれるって言うからさ。まずかった、みたいっすね」 「まずくないよ」
急に沈黙していたナツが口を挟んだ。
「一晩だけ!いいでしょ、ね?」
顔の前で手を合わせる頼み方はナツが無理と知りつつもそれを通したいときに使う仕草だ。もちろん無意識にしているのだと思う。私は自然とこぼれた溜め息をぐっと止めて、今一度隼人に目を向ける。
個々のパーツに特徴がある割にバランスのとれた顔付き、Tシャツの上からでも分かるがっちりとした体躯。コップを置いたときにかすかに感じた香水の甘い匂いといい、どれをとってもモテるに違いない。私と目が合ってもそらすどころかほほ笑む態度はまさに女慣れしている。どうせ行く当てがないのも女絡みに決まっている。
「…今夜だけだからね」
なんだかんだ言って、私はナツに甘い。あらかじめ決めたルールでもナツにねだられれば曲げてしまう。今回のこともその延長線にあると思えば、いっそ整理が付くのかもしれない。
翌日になってもその次の日になっても、一週間たっても――隼人は出ていかなかった。
「アキさん、おかえり」
さも当然という風に台所で夕食の準備をしている隼人に、ついには私もこの言葉以外何も言えなくなってしまった。
「ただいま」
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