スーパー(ムーン+ヒーロー)
「今日、中秋の名月なんだって」 「チュー、…なんやって?」 「中秋の名月、十五夜の事。お月見する日」
当然のように知らないと思っていたので、予想通りの反応。うふふ、とついつい得意顔になってしまいます。
「なんや月見か。月見と言ったら団子やな!」 「言うと思った」
自転車を押しながら一緒に帰るのは一週間で一日だけ、つまり本日の事です。月曜日は自転車部の練習が少し短く、私たちはこの日だけ二人で下校しています。
「美味しい和菓子屋さんがあってね、まだ空いてるから今から行かない?」 「ええな!団子片手に月見とシャレこもか!」
章ちゃんが乗り気なので、私もつられて百二十パーセントでワクワクしてしまいます。周りまで元気にしてしまうのは、たくさんある彼の魅力の中の一つです。人気者の彼氏を持って、私も鼻高々。同時に少し不安な気持ちが混在しているのですが、それは章ちゃんには内緒にさせて下さい。
総北高校から歩いて二十分ほどでしょうか。私が先導して、件の和菓子屋さんに立ち寄り、お団子を買いました。店内には私たち同様に月見のアテを買いに来たお客さんで賑やかでした。そうして近所の小高い丘まで登ってきたのですが、案の定天気が芳しくありません。私はついついしゅんとしてしまいます。
「わかってた事だけど、曇ってるね」 「せやな」
章ちゃんも残念そうにそう答えて、私たちは三個並んでいるベンチのうちの真ん中 に座りました。街を見下ろせるその丘は私の家からさらに坂を上ったところにあり、ちょっとした展望スポットになっています。私の妹なんかは落ち込むと、よくこの丘のこのベンチに座り、夕日を眺める。なんて、ありきたりなセンチメンタルに浸っているのですが、それはまた別の機会にお話ししましょう。
「もーちょい!もーちょいで見えそうなんやけどなぁ!」
章ちゃんが空に向かって手をスライドさせています。おそらく雲をかき分けようとしているのでしょう。その健気でまっすぐな姿に心打たれ、私も真似してチョイチョイと雲を分ける仕草をしてみます。
「ね、残念」
しかしそれでも相変わらず雲は薄く空一面を覆っておりました。月の明かりがごくうっすらと見えるだけで、嗚呼、あの向こう側にはお月様がいらっしゃるのに、ともどかしく感じます。そうは言っても我々人間が天候を操るなど、夢のまた夢。
「お団子、食べよっか」
先程買ったお団子を取り出し、一本ずつ手に取ります。章ちゃんはみたらし、私は餡子です。みたらしはついこの間三本も食べてしまったので、しばらくいらないかなと思っていたのですが、不思議なもので人が食べているとやたらと美味しそうに見えてしまいます。隣の芝生は青い。どういう原理なのでしょうか。
「なんやコレ、ウマッ!」 「でしょ。好きなんだ、ここのお団子」 「ホンマ、ウマいわ!ナマエは甘いモンのウマいとこ、ようさん知ってんなぁ」 「好きだからね。章ちゃんの自転車と同じ」
章ちゃんは本当に自転車に詳しくて、以前それを伝えたら当然だと胸を張られま した。「好きこそものの上手なれ、やろ!」としたり顔をする章ちゃんがとても頼もしく見えたので、その時の事はよく覚えています。
「作るんも上手いしな。せや、こないだのアレ、また作ってや」 「アレね、うん。今度作って持ってく」 「オウ。…あ、アレやで。スカシにはやんなや」 「わかってる」
スカシっていうのは妹の彼氏の事。アレっていうのはおそらくスノーボールの事でしょう。こういう会話をしていると、阿吽の呼吸のようでなんだか優越感に浸れます。章ちゃんからすれば「当たり前やん」な事なのでしょうが、私からすれば彼の恋人である事自体が非常に誇らしいのです。
「しっかし、気色悪い天気やな。あとちょい雲がずれたら――」
章ちゃんがお団子を片手に空を仰いでいます。
「なあ!見てみ!」
急に肩を揺らされて、餡子にむせるかと思いました。しかし寸でのところで耐え、言われるがままに空を見上げます。すると雲が一部分割れていて、大きな大きなお月様が顔を出していました。
「わ、おっきい!」 「めちゃめちゃデカいやん!ヤバいな、アレ!」 「やばい!」 「キレーやな、アッ、もう隠れてもうた」 「あー…」
二人で立ち上がってはしゃいでいたのですが、お月様はすぐに隠れて見えなくなってしまいました。私はがっくりと肩を落として、そのままベンチに腰を下ろしたのですが、章ちゃんは元気なままでした。
「ワイ、もしかして魔法使えるんちゃうか!さっきチョイチョイ!ってやったんが効いたんやって、ゼッタイ」 「そうだね、章ちゃんって魔法使いだったんだ」
章ちゃんは魔法使いっていうよりもヒーローだと思うのですが、そんな事を直接言う勇気は生憎まだ私には芽生えていないのです。ですから、今日のところは魔法使いという事にしておきましょう。私が章ちゃんの魔法にいつもお世話になっている事には違いありませんから。
「イヤ自分、そこ突っ込むとこやで」 「あれ、そう?」
がくっと大袈裟な反応をされたのが面白くて、くすくすと笑ってしまいます。笑わせたがりの章ちゃんもそれで満足したようで、一緒になって笑いました。
「来年!」
急に神妙な顔付きになって章ちゃんが言うので、居住まいを直します。
「来年、また見よな。来年が曇ってたら、再来年。再来年も天気悪いんやったら、またそん次」
私は、それはもう驚きました。普段は未来の話なんてあまりしないのです。ですから、それが顔に出てしまったに違いありません。章ちゃんが念を押すように、少し小さな声でもう一度言いました。
「...見よな」
あれ、もしかしてちょっと照れているのでは。
「うん」
そう思ったのですが、ここは彼の名誉の為にお口にチャックしておきましょう。さて、お団子の一本や二本など、私たちにかかればすぐ食べ終わってしまいます。ごみをビニル袋に集めると、それを章ちゃんが乱暴にかばんに入れ込みました。
「さーって、お月さんも拝んだことやし帰るか!」
章ちゃんが勢いよく立ち上がり、両腕を空に突き上げて宣言したので、私もゆっくりとそれに続きます。立てかけていたロードバイクを引き寄せて、くるりと私の方を向って、一言。章ちゃんは動作がいちいち機敏です。
「送るで」 「ありがとう」
また来年、か。来年の私たちは何してるのかな。そんな事を沸々と妄想していると、たまらなくなりました。私は自転車を押す章ちゃんくんのシャツの袖を引っ張って、手を差し出します。ぎゅっと握られた手の感触は久しぶりで、けれども不思議としっくりくるのです。
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