novel | ナノ

誰かが恋に落ちる音


 仲のいい友人は週に一度部室で昼食をとる日がある。今日がその日で、私は自分の席で弁当を食べていた。食べたら午後一の英語の予習をしないと、なんて考えながらレタスとキャベツの千切りをゆっくりと噛み、少しでも満腹感を得ようと意識して多めに口を動かしていた。今日は十五日なので十五番が当てられる可能性が非常に高い。十五番は誰だったかなと思って指折り数えようとしたとき「あれ」という素っ頓狂な声が少し高い位置から降ってきた。

「ミョウジさん、お弁当それだけ?」

 声の方に目を向けると葦木場くんが弁当片手にこちらを向いていた。二メートルを超える長身の葦木場くんは私の左斜め前の席で、板書を書き写すのにたまに邪魔なのでその点に関してあまり快く思っていなかった。それ以外ではだいぶ天然ではあるが、温厚で人当たりの良いクラスメイトだ。「そうだよ」と答えると、彼はさらに尋ねる。

「えっ、少なくない?それで足りるの?」

 葦木場くん自身が大きいため小さく見えがちだが、彼の弁当箱は相当に大きい。以前友人とその話をしていたら「自転車ってお腹空くらしいよ」と本当か冗談か分からないことを言っていたが、今思い返せば去年同じクラスだった黒田も細い割に結構食べていたような気がするので事実なのかもしれない。それに比べて私のお弁当は。

「サラダだけじゃない。」
「ダイエットしてるから。」
「なんで?」

 答えにくい質問を臆せず聞いてくるのは彼が天然故だろう。しかしそう聞かれても返答に窮せざるを得ない。悪意がないのは分かっているけれど、デリカシーに欠ける質問である。

「なんでって、太ってるからでしょ。」
「えー、ミョウジさん太ってないよ。」
「いいよ、気遣わなくて。お世辞は間に合ってるから。」

 葦木場君が心底不思議そうな表情になり、口の中のものを飲み込んでからきっぱりと言った。

「オレ、お世辞なんて言わないよ。」

 反論する言葉が見つからず、気持ち小さな声で「そうかもしれないけど」と同意してから気を取り直してと堂々と言い返す。

「とにかく痩せたいの!」

 私の迫力に負けたのか葦木場くんは「ふうん」とあまり納得いっていない声で相槌を打つと、今度はほうれん草のお浸しを口に運び、よく噛んでから飲み込んだ。

「女の子っていつもダイエットしてるよねぇ。」

 もう、なんと返事すればいいのやら。いちいち正論だから否定することもできない。私の中で葦木場くんへの評価が少しずつ変化してきていた。

「ダイエットかあ…」

 葦木場くんの視線が私のおでこの辺りから上履きの先まで下りていく、まじまじと観察されて居心地の悪くなった私はとうとう彼を睨んだ。

「なに。」

 予想通り彼は少しもひるむことなく、しかし予想だにしない発言をした。

「そんなことしなくても、今のままで十分じゃない。」
「えっ、」

 思わず反射で聞き返してしまった。私はあまりのことに硬直しているというのに葦木場くんはなんてことない風にペットボトルのお茶を飲む。

「ミョウジさんはそのままでも十分かわいいよ。」

 葦木場くんはそうほほ笑みかけてから、大きめの卵焼きを頬張り咀嚼した。「美味しい」と独りごちる彼の笑顔が満たされない腹の上をきゅんと締める。ほんの数分の会話だというのに何度目かの言葉選びの沈黙を破ったのは黒田の怒号だった。

「葦木場ァ!」

 まさに目の前の彼の名前が少し騒がしい教室内に響く。一方、葦木場くんは「ユキちゃん」と穏やかに黒田を呼んだ。どう見ても怒っている黒田を見てもちっとも動じないところあたりとても彼らしい。

「昼にミーティングするっつっただろォ!」

 怒鳴りながら近づいてくる黒田の足音が運命のリズムに聞こえてしまった私は多分意外とロマンチストなのだと思う。腕を乱暴に掴まれ引っ張られていく葦木場くんを横目に、私は購買でパンでも買ってこようかと鞄を開けた。






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