友人あるいは元カノ | ナノ

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 知らぬうちに景色は変わっていた。時期はよく覚えている。文化祭の翌週、部室の片付けの後一緒に帰れないかと誘われた。ロードレースのシーズンが終わってまもなく、初冬のことだった。時間も時間だったので食事に行くことになり、寒空の下二人で自転車を漕いで行った。居酒屋で乾杯するやいなや、コップを珍しく豪快に置いて体をくねらせるゆうきをまだかすかに覚えている。

「靖くんに、言わなきゃいけないことがあるんだけど。」

 それを聞いて良い予感も悪い予感もした。しかしこういうときは悪い予感のほうが当たるものだ。

「寿一くん、」

 言ってからわざわざ言い直すゆうきにかちんと来た。お門違いだと知りながらも福富を恨む気持ちすら湧いていた。

「福富くんと、付き合うことになりました。」

 誇らしげなゆうきが憎らしかった。人の気も知らないでヘラヘラ笑いやがってよ。その言葉の代わりに出てきたのは情けなくも「へぇ」という相槌だった。無関心を装うのが精一杯の強がりだったのだ。福富のことはあくまで憧れで、実は俺の方を好きなんじゃないかなんておこがましくも期待していたから、ショックが大きかった。仮にゆうきが福富を好きだとしても彼が気持ちに応えるとは思っていなかった。歪んでいると理解しながらも、当時の俺は福富に裏切られた気になっていた。



 どうしてよりにもよって福富なのか柄にもなく神様を恨んだこともあった。せめて他の友人ならと何度願っただろう。けれどそんなことをしても全くの無意味だ。祈ったところで現実は何も変わりはしなかった。当然そんなことは分かっていた、およそ自分らしくないことも。分かっていても後悔せずにいられなかったのはまだゆうきを好きだったからだ。


 ゆうきへの好意を断ち切れないまま冬が過ぎた。ロードレースがシーズンオフであるその間、奈緒と過ごすことが多くなった。当時はまだ女友達にカテゴライズされていた奈緒が自分に思いを寄せていることには薄々気付いていた。申し訳ないことをしていると承知しながらも彼女の好意があまりに心地よかったので、そのうち抗うことを止めてしまった。奈緒は特別かわいいとかきれいだとかそういう類の女ではなかったが、底抜けに明るかった。事実その朗らかさに俺は救われた。求めるばかりが恋愛ではない。自分を好いてくれている女に応えることもまた愛なのではないか。大学二年になったばかりの俺はそう思うようになった。奈緒は一緒にいるときはいつも笑っていた。その笑顔がたまには眩しく感じるようになったとき。

 ゆうきと福富が別れた。奈緒と付き合いだした矢先の出来事だった。



   *



 ゆうきは福富と付き合っていた。そのことを忘れられる日は来るのだろうか。
 真っ白なカッターシャツに一滴落とされたインクのように、心の染みとしていつまでも消えないままでいる。洗っても洗っても落ちはしない、およそ十年経った今でも依然としてそこに存在する汚れのようなものだ。頑固な油汚れよりもずっとたちが悪い。どんな溶剤を使ってもこの先きっときれいになることはないのだろう。

 ゆうきは大学時代とはがらっと印象が変わっていた。身なりはもちろんのこと、目つきが別人のようだ。かつての面影を探す自分がいることには再会したときから気が付いていたが、その上で見ぬふりをするしかなかった。彼女の笑顔に福富の気難しそうな顔がちらつくのだ。ゆうきは俺を十代のガキに引き戻してしまう。相変わらず俺の気も知らないで無邪気に俺を誘い、甘え、ほだそうとしてくる。そして打算のない言動にまた苦しめられると知りながらも誘いを断ることのできない俺は進歩のない意気地なしだ。恋は人を大胆にも臆病にもする。これ以上翻弄されるのはごめんだと頭で分かっていながらも、金曜日の深夜にかかってくる彼女からの電話を完全に無視することはできない。自分がこんなに肝が小さいなんて、ゆうきを好きになるまで知らなかった。そして彼女と会わなかった五年間でさっぱり忘れていたというのに――ゆうきからの連絡が止み、情けなくも安堵した。しかし金曜日の深夜になると、再び電話が鳴ることを期待する俺とそれをあざ笑う福富が心の中でせめぎ合い、この上なく惨めな気持ちになるのだ。




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