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最初は少し抜けている奴だと思っていた。自分のことを棚に上げてよくうちの大学に受かったな、とも。ゆうきは性善説信者のお人好しで、出来もしないことを安請け合いしてよく困っていた。その上いつもヘラヘラ笑っては場の雰囲気を崩さないように努めていて、正直胸クソ悪いと思ったことも一度や二度じゃない。要するに、俺はゆうきが嫌いだった。
それが徐々に変わっていき、ついにはこう思った。
――靖くん?ないない、ただの友達だって。
顔に似合わず残酷な女だ。「ね?靖くん」と小首をかしげて聞いてくるゆうきは可愛らしく、心がむすがゆくなったのをまだ覚えている。無邪気さは時に残酷さを併せ持つのだと、このとき身をもって思い知った。他意がない分より深く、彼女の言葉は鋭いナイフのように胸に刺さった。
ゆうきは何も知らなかった。俺の好意も、傷心も。
*
第一印象はおそらく互いに悪かった。三十年近く生きているが、初対面の人間に好印象を持たれたことなどただの一度もないように思う。それでも部活で関わっていく中でゆうきが他のマネージャーよりも自転車にあかるいと知り、その懸命な姿から当初の見解を改めざるを得なかった。初めてまともに話したのは一年の夏だったと記憶している。部室に二人だけになってなかなかに気まずい中、ゆうきから沈黙を破った。入部から三ヶ月程経過しており、そのときにはゆうきは俺に多少打ち解けていた。誰とでも気安くなれるのが彼女の長所だと後で知ることになる。
「荒北くんって箱学の二番だったでしょ?」
不意打ちでそう言われ何も返せないでいると「インターハイ、惜しかったね」とゆうきが笑いかけてきた。
「なんで知ってんのォ?」 「見に行ったもん、近かったし。」
生まれも育ちも静岡だというゆうきは高校三年のとき、インターハイ自転車競技の全日程を見に行ったらしい。それで俺のことも前年度優勝校のエースだった別の同期のことも知っていて、顔合わせで見たときはとても驚いたのだと打ち明けられた。高三のインターハイでは俺の所属していた優勝常連校、神奈川県代表の王者箱学は千葉県代表ダークホースの総北高校に優勝を譲る形となった。それゆえに複雑な思いが少しばかり残っていたので好ましい話題ではなかったのだが、ゆうきは嬉しそうに話を続けた。
「ゴール前の引きすごかったね。荒北くんって速いんだ。」
死ぬほど単純な恋の落ち方をしたと思う。あんときゃ若かった。若さっつうのは馬鹿さだ。俺はそれからゆうきを意識せずにはいられなかった。それが滑稽な勘違いだったとも知らずに浮かれていたのだ。
「エースの福富くんってどこに進学したの?」
思えば俺の過ちはここから始まったのかもしれない。この質問についてもっとよく考えるべきだったのだ。しかし恋に落ちて間もなかった俺はそれの真意に気が付くわけもなく、彼女が聞きたかった言葉をそのまま答えた。
俺と福富寿一はくさい単語だが、高校時代相棒と呼べる間柄だった。福富と出会わなかった自分を考えるのが恐ろしいくらいかけがえのない友人で、感謝も尊敬もしている。彼を褒められるのは我が事のように嬉しかった。自分の話をするのが照れくさかったのは若かったからか、それともひねた性格のせいか――福富の思い出話をすることが増え、同時に二人の距離が確かに縮まっていったので、福富には感謝してもし足りないと思った。
ゆうきから告白されたのはインカレ直前だった。
「実はね、高校のときずっと福富くんに憧れてたの。」
そんなことは思ってもみなかったのでひどく驚いたが、福富の話ばかりしていたというのに気付かなかった俺があまりに鈍感だっただけだ。言い訳にしかならないが、福富は異性にモテるタイプではなかった。男の俺からすれば紛れもなくいい男だが、残念ながら女たちは彼の魅力を解さないことが多く、高校のときはよく訝しく思ったものだった。女というものは見目も人当たりも良い男に惚れるのだと思い込んでいたが、蓼食う虫も好き好きということらしい。
特別謀り事があったわけでも、ましてやけくそだったわけでもない。ただゆうきに喜んでもらいたい一心だった。
「福ちゃん。コレ、うちのマネージャー。」
福富に引き会わせれば彼女が笑ってくれると思っていたのだ。そしてもちろん間違いではなかった。
「富永ゆうきです。」
福富と初めて言葉を交わしたゆうきは頬をほのかに染めて、はにかんでいた。福富がどんな様子だったのかは全く覚えていないのに、そのときのゆうきの声はやけに甲高かったような気がする。
「連絡先、交換してもいい?」
福富はメールがまめな方ではないし、口下手ゆえ電話も得意ではない。だからそれをさほど気に留めなかったのが悪かったのだろう。後悔という行為は大嫌いだが、俺はこの件に関して文字通り後に悔いることとなる。恥をかき捨てて福富に打ち明けていればこんなことにはならなかったのに。他の友人に告げるよりも何よりもまず福富に告げておくべきだったのだ。
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