友人あるいは元カノ | ナノ

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 昨日の式は誰がどう見たって最高だった。この日を五年以上待ったという新婦は本当にきれいで、シャンデリアの光をきらきらと反射して輝いていた。式中彼女と言葉を交わす友人のほほ笑みは今までに見たことないほどに柔らかく、かつての威厳もサングラスの奥で鋭く光っていた瞳も記憶違いなのではないかと疑ってしまうくらいだった。満たされた表情は二人が世界で一番幸福だと招待客全員に物語っていた。

 余興ではプロピアニストによる演奏があり、聞き覚えあるフレーズのクラシック曲と新婦が好きだというJ-POPのヒットソングが披露された。白いグランドピアノにピアニストのきれいな紫色のドレスが映えており、耳だけでなく目でも楽しめるプログラムだった。さながらハリウッド女優のようなピアニストはその麗しさに負けず劣らずの優雅な音色を奏で、積もり積もった日常の疲れを癒してくれた。最後のお辞儀まで美しく、男性諸君は言わずもがな、女の私まで思わずため息を漏らしてしまうほどだった。友人の結婚式に出席するのは今年に入って既に三度目だが、こんなにも満足した式は初めてだったように思える。

 その後の二次会もまた楽しかった。友人とは大学時代の部活仲間だったのだが、彼の高校の友人をはじめとし新婦の友人など多種多様な人物と交流を持て、非常に充実した時間が過ごせた。新郎新婦とは十五年来の仲だという女性と話す機会があり、十数年付き合ったという二人の馴れ初めや犬も食わぬ喧嘩の数々を聞かせてもらい、友人の知らぬ顔をのぞけたのもよかった。友人は呆れながらも宴会の場ゆえ野暮なことはせずに、今日だけだぞと言わんばかりにからかわれ役に徹していた。その隣で新婦はやはり幸せを顔いっぱいに浮かべ、緩んだ頬から友人への愛情をにじませていた。まじめを体現したような新郎とかわいらしく柔和に笑う新婦、三百六十度どこから見てもお似合いな二人だった。


 そして一番嬉しかったのは大学時代の友人たちとの再会できたことだ。あんなに仲がよかったのに大学を卒業した途端、疎遠になってしまった仲間たち。私のように社会に出た者、新郎のように大学院に進学した者、地元で就職した者、上京した者。それぞれの道を歩き出した私たちは卒業後全員で集まれる機会がなく、特にマネージャーだった私は皆がどこで何をしているのかを噂で聞く程度だった。だからこそ顔を突き合わせて昔話に花を咲かせ、近況を報告し合えたのは望みどおりの出来事だった。数人は都内に勤めており、会社の最寄り駅が同じだった者までいるのだから、世間は広いようで狭いものだと改めて実感させられる。その中の一人にお決まりで「今度飲みにでも行こうよ」と誘えば快諾してもらえた。男と女の打算的な駆け引きからはるか遠いところにあるこういう会話はしていて気持ちがいい。しかしこの約束はきっと果たされずに忘れ去られることになる。


 いい結婚披露宴、いい二次会だった。こんなに浮かれた気分になったのはいつぶりだったろう。本当に楽しかった。幸せな二人がもたらす相乗効果で私まで満たされていくようだった。一週間分、いや一か月分笑った。旧友に囲まれ、酒を酌み交わし、年甲斐もなく騒ぎ、若返ったような気さえした。



 だから尚のこと、自分が惨めにちっぽけに感じる日曜日の夕方。昨日の反動で昼過ぎに起きた私はかろうじて溜まっていた洗濯と床掃除を済ませ、そのままテレビの前に座り込んでいた。テレビの中のお笑い芸人をちっとも面白く感じないのは彼らのせいなのか、それとも私の問題なのか。

 こんなことをしている場合ではない。冷蔵庫は空っぽだし、ボディソープは三日程前から切れている。化粧をして、スーパーに行って、今日くらいは自炊をして、一週間分のブラウスにアイロンをかけて、買いっぱなしの雑誌を読んで、ゆっくりと湯船に浸かって、肌の手入れをして――深くため息をついて、時計をにらんだ。日曜日はあと約五時間半で終わる。写真を見返して昨日の高揚を思い出そうとしたが余計虚しくなるばかりだった。スマートフォンをテーブルの上に伏せ直す。刻一刻と時間が過ぎていく。時計のカチコチ音が耳に障り出したのでテレビの音量を上げた。こうなってくると全てのものを呪いたくなり、地球なんて滅亡してしまえと願ってしまう。大げさではない。この気持ちは同士にしか理解できないのだ。昨日の新婦は月曜日の恐怖とはもうおさらばらしいから羨ましくって憎らしい。大学時代の友人の奥さんになった人――私だって彼女みたいなお嫁さんになっているはずだったのに。



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