友人あるいは元カノ | ナノ

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 それから何度か会社帰りに食事をしたり、ついには休日にデートに行ったりもした。そうしているうちに師走になり、街はイルミネーションで輝いていた。私と靖友は恋人になったわけではなかったが、今の状況には満足していた。この年齢で今更「好きです。付き合ってください。」みたいな青春っぽい始め方をする必要はない。友人と恋人のボーダーは曖昧にしておいた方が私たちにとって好都合な気がした。少なくとも私が変に焦って今の関係を崩すのは避けたい。そう思っていた矢先の出来事だった。


 少し早めの忘年会だった。私が事務方の女性と話していると、彼女がちらりと視線を横にスライドさせた。その先には酔った花井さんと別の男性社員が居て、私がそちらを見ていると分かった男性社員の方があからさまに動揺し、花井さんを肘で小突いた。しかし花井さんはおかまいなしに話を続けている。

「洋南大だかなんだか知らないけど、俺のこと馬鹿にしてる。」

 すぐに自分の話をしているのだと気が付いた。課の中で洋南大を卒業しているのは私だけだ。酔って正常な判断力を失っているであろう花井さんは私の存在をも同僚の制止も無視して喋ることを止めない。「女の癖に可愛げがない」とか「学卒ってだけで出世した」とか、きっと彼の本心なのだろう。良く思われていないかもしれないという不安はあったものの、こうもストレートに言われてしまうともう誰も誤魔化せない。

「ひいきだよ、意味分かんねぇ。」

 ビールジョッキがテーブルとぶつかってごとりと音を立てる。楽しい飲み会のはずだったのに水を打った静けさがテーブル一帯を支配していた。店内に流れるJ-POPがやたらと鮮明に聞こえる。「おい」と同僚が花井さんを強く揺すっても、彼は口を閉じなかった。

「なんだよ、お前だって言ってただろ。富永さんはちょっと抜けてるって。」
「バカ、お前何言って―」

 これ以上空気が悪くなるのは我慢ならなかった。 

「やだなぁ、ひどいですよ。」

 ひときわ明るい声を意識して、花井さんの肩を軽く叩くと、彼は私がその場に突如現れたかのように狼狽した。作り笑いをするのは慣れている。昔から争い事は嫌いなのだ。誰かから嫌われるのもその逆もできるだけ避けるのがモットーだ。

「山中前課長が飛ばされたのだって、私との不倫がばれたからなんですから、そこんとこもっとデリケートに扱ってくれないと。」

 苦し紛れの冗談だったが、花井さん以外は皆笑ってくれた。というよりここが笑いどころだと分かっていただろうから、おそらく私が何を言っても笑って流してくれただろうと思う。大人になり社会に出てしまえば、好きな人とだけつるむわけにいかない。彼を除いて皆いい社会人だ。私の気遣いが分からないはずがない。時間も時間だったので微妙な雰囲気のままお開きにすることになった。私は店を出るタイミングでお手洗いに向かい、乱暴に個室のドアを閉めた。

 心外だった。私は私なりに頑張っている。少なくとも彼よりは優秀であると胸を張って言えるし、学歴なんて会社に入ってしまえばさほど重要なものでもない。学生のテストとは違って仕事の成果は数値として確認することはできない。だからといって花井さんにあそこまで言われる筋合いはない。給料泥棒の癖に――じわりと涙がにじんだ。悔しかった。今までにも性別差別とも取れる発言を何度も浴びせられてきた。高学歴の女はかわいくないと元カレに言われたこともある。女の幸せは嫁いで家を守ることだと両親に説教されたこともある。その度に唇をかみしめて我慢してきた。昇進して、頼りないながらもチームを引っ張って、上からも下からもそれなりに信頼されていると錯覚していた。それなのにあんな風に思われていただなんて――急に声が聞きたくなった。このみじめな気持ちを払拭してくれるのは一人しか思い当らなかった。携帯電話を取り出して、靖友に発信する。

「もしも―」
「靖くん、今から会いたい。」

 有無を言わさぬ雰囲気を声色から読み取ったのか、もしくは嗅ぎ取ったのか、靖友はすんなりと了承した。電話を終え個室を出て、鏡の前でポーチを開く。こんなときさえも化粧を直している自分が嫌いになってしまいそうになる。しゃなりと歩くキャリアウーマンになるのが昔からの夢だった。そうは言ってもこの年になると結婚願望も生まれて、元カレとは結婚話が出たこともあった。しかし自営業の家に生まれた彼と一緒になるには私は仕事を辞めねばならなかった。そして私は夢を選んだ。彼から物理的に離れるために異動を希望し、棚ぼたでも昇進できたときは私の選択は間違っていなかったのだと自信を持てた。けれど、どうだろう。自分の評価は自分で決められるものではないなんて当然のことを私は理解できていなかったのだ。皆の陰口に気付いていなかったのは花井さんだけではなかった。こういうときたまらなく結婚したくなる。私にとっての結婚とは仕事が嫌になったときの一番の逃げ道でしかないのだ。



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