友人あるいは元カノ | ナノ

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 ぼろぼろになった肌を再生させたら、靖友を誘おう。いつも行くチェーンの居酒屋ではなくて、もっと雰囲気の良いこじゃれた店でしっとりと食事をしよう。「今までたくさん愚痴を聞いてもらったから、そのお礼に」という誘い文句はすでに用意してある。断られることは露ほど予想していなかったし、実際靖友は断らなかった。

「次とそん次の金曜は飲み会あっから、再来週でもイイ?」
「いいよ。じゃあ新橋駅のいつものとこに、十九時ね。」



 にぎやかしい街の雰囲気を平日の夜に味わうのは久しぶりだった。仕事帰りに百貨店が営業しているのを見たのはどれくらいぶりだろう。嬉しくてついつい新しいスカートと口紅を買ってしまった。試着しながら染髪がやや追い付いていないのにも気が付き、早速美容室を予約して、ついでにネイルサロンにも行こうかと目論む。先日までの仕事が嘘のようだ。定時きっかりとはいかないが、一時間程度の残業で退社できるようになり、おしゃれを楽しむ余裕が生まれた。

 靖友との食事も近々に迫っている。今までの食事とは百八十度違ったものにしたい。そのために私ができる何よりのことといえば目いっぱいのおしゃれをすることだ。今までのくたびれた印象でも大学時代の子供っぽい雰囲気でもない、一人の女としての私を靖友に植え付ける必要がある。



   *



 駅で待っていると、時間通りに靖友は現れた。スーツ姿を見るのはコンビニでの再会以来だ。濃紺色のジャケットにやはり紺色のレジメンタル柄ネクタイを締めた靖友が一直線に歩み寄ってくる。これだけ大勢の人がいる中ですんなりと見つけてもらえたのが嬉しかった。

「久しぶり。私と会えなくてさみしかったんじゃない?」
「ハッ、んなわけあるかよ。」

 スーツがよく似合っているのでその通りに伝えたが「るっせ、褒めんな」とつっけんどんに返されただけだった。男性と仲良くなるにあたって褒めることは非常に有効な手段だのに靖友にはその手は簡単に通用しないのかもしれない。

「死んでるのかと思ったら元気そうじゃねーか。」

 上司が配置換えになって仕事がやりやすくなったこと、そのおかげもあってコンペが無事に終わったことを報告すると「よかったネ」とねぎらいの言葉をかけてくれた。

 店の手配は私がしたので、携帯を片手に靖友を先導する。新橋駅を烏森口方面に抜け、中央通り沿いにまっすぐ歩いて歩道橋を通り過ぎてから右折するとすぐ、イタリアの国旗を掲げたその店が見えてきた。トリッパの煮込みが美味しいというこのレストランは今日のために友人に教えてもらった一押しの店だ。席まで案内されると赤みがかった茶色のカフェテーブルを二脚のウィンザーチェアが挟んでいた。ペイズリー柄のクッションが連なる小ぶりのダウンライトに照らされている。隣の席との距離は十分に開いており、ゆっくりと食事ができそうな雰囲気にひとまず安心する。

「コースを予約してるんだけど、靖くん嫌いなものなかったよね?」
「ないケド。」
「ワイン飲めるよね?何飲む?ここ紹介してくれた友達がね、白が美味しいって言ってたけど、靖くんどっちが好き?」

 終始はしゃぐ私といつも通りの靖友。けれどいつもの騒がしい空気がない分、落ち着いて食事ができた。料理も上品で美味しく、特に評判のトリッパとアーティチョークの煮込みには靖友も舌鼓を打っていた。この店を教えてくれた友人にはよくお礼を言わねばならないと思いながら、ばれないように靖友に注視していた。気持ちにゆとりができると、いろいろなことが見えてくる。たとえば自分が先月までいかにぴりぴりしていたかとか、靖友の指が意外に細くてきれいだとか。


「これからは深夜以外に飲みに行こうよ、こんな感じでさ。」
「いいケド、次からはフツーの居酒屋にしようぜ。こんな畏まった店、オレの柄じゃねェだろ」
「そうかも。靖くんは居酒屋、って感じ。」
「オイ。」

 くすくす笑いながら景気づけにグラスに残ったワインを一気に飲む。

「でもたまにはこういうお店もいいじゃない、どこからどう見てもデートって感じでしょ?」

 靖友が一瞬ひるんだような顔になったのを私は見逃さなかった。

「これってデートなのォ?」

 大体予想通りの返答だったので、安心してにこりとほほ笑んだ。

「他の人たちからはそういう風に見えてるんじゃないかな。」

 余裕がある風を装っているのを靖友はきっと分かっていない。彼は目線だけで周りを確認して、店内にカップルか女性グループしかいないとようやく気付いたらしく口をつぐんだ。

「っていうか見えててほしい。少なくとも私はデートのつもりだし。」

 そう、今日の食事は今までとは違う。今までは友人同士の飲み会、しかしこれはデートだ。流石の靖友も私の言葉に驚いているようだった。やはり何も言わない靖友の目が真意を表情から探ろうとじっと見つめてきたので、ほほ笑みを崩さない。靖友はしばらく無言をきめていたが「あっそ」とさも興味なさそうに言ったかと思えばすぐに立ち上がった。

「便所。」

 そう宣言してから靖友は席を離れた。私はようやく緊張した空気から解放されてほうっと息をつく。心臓の鼓動が少しだけ早くなっている。まさか靖友相手に駆け引きをしようだなんて大学時代の私が知ったら大げさに驚くのだろう。


 靖友は付き合うとどんな感じだろうか。楽しいかもしれない。靖友が離席している間、彼と休日にデートするならどこがいいか、次はどんな店に食事に行こうかなど一人で思いを巡らせていた。自分の気持ちに素直になれば不思議と靖友がより一層かっこよく見えた。ぶっきらぼうな言動に隠れた優しさがやたらと目に付いて、粗暴ささえも長所に思える。いつもは険しい靖友の表情が微妙に変わっていくのを観察するのは実に面白く、彼と一緒にいると退屈しない。もっと一緒にいたいと思える。若い頃のような燃え上がる情熱とは異なる春の陽光のような温かい気持ちが胸の中で込み上げてきていた。しばらくして靖友が戻ってきたのでそれを悟られまいと心臓の前で拳を軽く握った。



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