甘美なまでの言い訳を


俺にはめちゃくちゃ可愛い彼女がおる。顔とかじゃない、何が可愛いってもう、存在。

「お、名前やん」

「ミヤちゃんおはよー」

そんな好きで好きでたまらん彼女やけど、一個だけ、ほんまに一個だけ、不満がある。

「今日は朝ゆっくりやねんな」

「テスト近いから朝練は休みやねん」

「へえー」

靴を履き替えながら相槌を打ってくれる俺の彼女。俺も靴を履き替えつつ、一挙一動を見逃さんように名前を見ながら話しかける。それに気づいたんか、下を向いたせいで垂れ下がった髪を耳にかけながら名前はこっちを向いた。え、な、なんやその仕草。めっちゃ可愛いやんけ、わざとか。

「朝練ない分、帰ったら自主練せなやわ」

「なんそれ、勉強する時間全然ないやん」

そうやねんなあ、って泣き真似をして返事をすれば、追試なっても知らんでと笑いながら言われた。この、笑顔と苦笑の中間みたいな顔、めっちゃ好き。

話を戻して。さて、お分かりいただけただろうか。俺の唯一の不満。

「まあミヤちゃんはなんやかんや追試回避しそうやけどなあ」

それは、名前が俺のことを名前で呼ばへんこと。

「そういえば駅前に新しいドーナツ屋出来たらしいで」

「そーなん?」

「今度ミヤちゃん時間あるときあったら行こうや」

「ほんなら、今日の部活終わりとかどお?」

「あれ、自主練せんの?」

「名前のお誘いの方が優先やわ」

「練習しろや」

たわいのない会話ですら楽しいし、未だににやけてしまう。でも、どうしても心の隅っこにモヤモヤがつきまとう。いや、なんで未だにミヤちゃんなん? 俺らもう付き合って二ヶ月たつねんで?



「美味いなあ」

「美味いわあ」

放課後。部活が終わった後俺は速攻で片付けを終わらせて、名前と一緒に朝話していたドーナツ屋に来ていた。おすすめと書かれたドーナツをお互い注文して、店内で向かい合って食べる。美味しい美味しいと言って幸せそうにドーナツを食べる名前を見て、俺まで幸せな気持ちになる。もお〜そんなにニコニコしてえ〜。超可愛い。

「ミヤちゃん甘いもん好きやねんな。意外やわ」

「結構好きやで。てかさ、」

ミヤちゃん、その呼び名を聞いて俺は覚悟を決める。

「なんで俺のこと、名前で呼んでくれへんのん?」

そろそろ名前で呼んでくれたってええんちゃうか。そう続ける。

俺だって名前のことを名前で呼ぶのにはめっちゃ苦労した。恥ずかしいし、慣れへんし、あほみたいに照れるし、やっぱ恥ずかしいし。そんな気持ちをばれへんように隠して、付き合って二週間ぐらいの時にさらっと名前って呼んでみたけど、もう心臓バックバク。冷や汗もダラダラ。自分じゃわからんけど多分顔も引きつってたと思う。そっから何日も頑張って呼び続けて、やっと名前呼びに慣れていった。

「え?」

「俺は名前って言ってるやん」

名前本人は、名前呼びされた最初の方は、え! って少し照れてて可愛かった。けど慣れてきたんか段々と自然に接されるようになってきて。この調子なら名前も俺のことすぐに侑って呼んでくれると思ってたのに、この有様や。

「んー、まあミヤちゃんで慣れてるし?」

片手で頬杖をついて笑顔で名前はそう言ってきた。普段の俺ならここで、いやなんでやねんとコミカルに突っ込んでるやろうけど、今日は違う。突っ込みたい気持ちは山々やけど我慢や。このままふざける空気に持っていっても、きっと名前は俺のこと名前で呼んでくれへん。

「嫌やねん」

「嫌?」

「名前で呼ばれへんのん、めっちゃ嫌」

あえて笑顔をなくして、真剣目な顔を作ってそう言った。少しだけ名前が戸惑ったのを感じる。頬杖を崩して、手を机の上で軽く組みだす。指先が気まずそうに動いていた。うわぁ、ごめんなあ困らせて。でもな、ここはまじで譲られへんねん。

「あー、ごめん」

一瞬だけ目をそらして名前はそう言った。

「謝らんでええよ」

今度は俺が頬杖をつく。両手を頬に当ててニッコリと、ファンの女に対して笑いかけるようにわざと胡散臭い笑みを顔に貼り付けた。口角をあげて目を細めて、心にもない笑顔。名前はすぐにこれが作り笑顔って気づいたみたいで、これまた気まずそうに指を組んでいた。

「なんか、こんなん今更言うのもあれやけど、」

「なに?」

右斜め下を見て名前は少し小さな声でそう言った。名前は普段シャキシャキ喋るから、今の喋り方はすごい新鮮に感じる。早よ言うてみい、と言わんばかりに笑顔で急かせば、名前は恐る恐ると言うように口を開いた。

「名前で呼ぶのって」

「うん」

「て、…照れるやん」

「は?」

は?

「そりゃミヤちゃんからしたらなに言うてんねんって感じやろうけど」

指をモジモジと動かして名前は話を続ける。

「なんか下の名前で呼ぶのってドキドキするし」

ちらっとこっちを見たかと思えばまた目がそらされる。

「恥ずかしいやん…」

そんな名前に対して、俺は情けないことに、頬杖をついたまま固まってしまった。

「……」

「…ミヤちゃん?」

目の前で手を振られて、はっと我に帰る。凍ってしまった頭を無理やり動かすように瞬きをしたら、同じように目をパチクリ動かす名前と目があった。ああ、可愛い…。…じゃ、なくて!!

「いや、うん、」

「どしたん?」

「ちょっと待ってや」

「なにを?」

「とりあえず一旦落ち着こ」

「なんで?」

名前の軽快な相槌が耳に入るが頭には入ってこん。落ち着け俺落ち着け宮侑。こんなピンチいつだって乗り越えてきたやろ。とりあえず心臓が暴れすぎて、もはや胸全体が痛い。運動中ですらこんな心臓動かんぞ。

「な、名前で呼ぶの」

「うん」

「恥ずかしいん?」

「…そうやけど」

文句あんのか。と頬を微かに染めて睨みあげるように名前はそう言ってきた。うん、これはあかん。これはほんまにあかん。

「うわっ!」

急にガンっと机に肘を叩きつけて顔を抑える俺に驚く声が聞こえた。けどそんなん今は気にならん。いや、なんなんこれ。まじでなんなんこいつ。

可愛すぎやろ………!!!!??

「すごい音したで、大丈夫?」

ほんまなんやねんこっちは毎日毎日可愛いなあ思いながら会ってんのになんでそうもやすやすと可愛いの記録塗り替えてくるん? いやまじでなに?

「大丈夫ちゃう…」

「ええ…」

「名前が俺のこと名前で呼んでくれたら大丈夫になる…」

「ええ………」

呆れ半分戸惑い半分みたいな返事が返ってきた。この際なりふりは構わへん。恥ずかしいなら恥ずかしいで良いからとりあえず名前で呼んでくれ。正直言うと照れてる姿見たいからとりあえず呼んでくれ。

「あ、…侑、大丈夫?」

意外と素直な名前は、手で顔を抑えてる俺を覗き込むようにしてそう言ってきた。指の隙間から顔を見れば名前の頬は更に赤くなっていて。ああ、これはあかん。

「大丈夫になったわ……」

つられて俺まで照れてまう。



「お、侑やん。おはよー」
「なあ侑、さっきの数学の授業わかった?」
「今日も部活か、頑張ってきいや侑」

放課後になり、頑張れ〜と名前は手を振った。…いやいやいやいや、

「昨日のはなんやったんや!!!」

「え?」

俺の渾身のツッコミに対して、目の前の名前は首を傾げる。教室中の視線が俺に集まるが、すぐに、なんや馬鹿ップルか、いつものかと言う声がして視線はなくなった。名前だけが俺の方を見たままうるさいなあと言う。

「ちゃうやんちゃうやん! 昨日あんだけ照れてたのんなんやったん!?」

そう、突っ込まずにはいれなかった。ドーナツ屋で照れながら俺の名前を呼んでくれたのが昨日。そして一夜明けた今日、名前はまるで今までもそう呼んでたかのように、平気そうに侑って呼んでくる。いや、おかしいやん。名前呼んでくれるのはめちゃくちゃ嬉しいけどもうちょい照れててほしいやん。もうちょっとだけ照れてるとこ見たいやん。

「なんか一回呼んだら慣れたわ」

俺の訴えに対して名前はケロッとした顔でそう言った。…は? そんな一日で慣れるもんなん? 俺がお前の名前呼ぶのに慣れるのに何日かかったと思ってんねん。
なんでそんな余裕そうなん。ええなあ…。


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