「赤司ありがとー!」 嫌な予感はしてたんだ。 目の前で笑顔で手をひらひらと振る女、名字を見て俺はため息を一つ漏らしてしまった。 日付も回ろうかと言う頃、突然かかってきた電話。見ればそこには名字名前と表示されていて。普段は滅多にかかってこない電話に柄にもなく浮かれて出れば、やけに甘ったるい声が聞こえた。背後からはガヤガヤとうるさい複数人の声が聞こえて、更には男が叫んでいる声もした。どういう状況か、すぐに察した。 電話の内容はただ、迎えに来て欲しいというもので。電話越しに来て欲しいと騒いでた女は今こうやって目の前にいる。いつも以上に破顔した笑顔で、頬は軽く朱に染まっていた。 「飲みすぎだ」 「そお? そんな飲んでないよ!」 その言葉からはしっかり酒の匂いがする。俺は二度目になるため息をついた。 昔からそうだった。俺はこの女にいつだって心をかき乱されていた。中学の時から振り回されて、高校は離れたにもかかわらずやはり振り回されて、大学生になった今もこうやって振り回されている。今回の件だって、酔っ払いからの電話だと割り切ってさっさと切ってしまえば良かったんだ。きちんと電話で相手をして、望むがまま迎えに来てしまうのは、悲しいことに俺が名字に惚れているからだった。 「名前二次会行かないのー?」 「うん、先帰ってる!」 「え、その人もしかして彼氏?」 「まさかあ」 なにをヘラヘラ笑ってるんだ。人の気も知らないで。 どうやら大学の友人と飲んでいたようだ。店の前でそんなやりとりをして、名字以外の友人たちはそのまま二次会とやらに去ってしまった。残されたのは俺と名字の二人。 「…家まで送れば良いんだな」 「ねえ、おんぶして」 「は?」 思わず声が出た。 冗談かと思ったが、目の前の名字は手を伸ばしてお願い、だなんて言っている。なにを言ってるんだこの酔っ払いは。 「おんぶしてくれなきゃ歩けない」 反応に困ってしばらく固まっていたら、名字は座り込んでしまった。 「具合でも悪いのか」 「ううん。歩くの疲れるから嫌なだけ」 お前、本当にそういうところだぞ。 酔っ払ったうえでの、ほんの冗談みたいなものだった。 最近お酒が飲める歳になって、大学の友達とワイワイ飲んでいたら少し気分が大きくなったのだ。そうに違いない。じゃないと、好きな人、赤司を呼び出そうだなんて考えもしない。 『…今から行く』 断られて終わると思っていたのに、まさか本当に来てくれるなんて。 来てくれた赤司は開口一番、顔をしかめて酒臭いと言った。私はそこまで酔ってはいないが、まるで酔っているように笑顔でありがとうと答える。二次会に誘われたけどそんなところ、赤司が来てくれたのに行くわけない。 「吐いたら落とすからな」 赤司が来てくれたことによってさらに気が大きくなった私は、なんとおんぶまで頼んでみた。お酒は便利だ。なんだって酔っているせいにできる。 赤司とは中学からの仲で、付き合いが長い分、どうしてもからかったり辛辣に扱われたりする。ずっと昔から赤司のことが好きなんだけど、こういう関係が長すぎて、今更好きだなんて言えなくなってしまった。 「あ、そこ曲がったところが私の家」 「そうか」 赤司の背中にくっついたまま目の前の交差点を指差せば、赤司は軽くうなずく。 迎えに来てくれるだけじゃなくて、おんぶまでしてくれるなんて驚いた。酔っ払いだから、転ぶ心配してくれたんだろうか。もしかしたら、他の女の子にも頼まれたらここまでするんだろうか。赤司はなんだかんだ言って優しいしな。ああ、ちょっと嫌。 「もう自分で歩けるだろ」 「やだー」 もう少しだけ、酔っ払いのフリをさせてほしい。出来るだけ馬鹿そうな声でそう言って、そしてぎゅっと抱きつく。赤司が一瞬揺れた気がしたけど、すぐに安定した歩みに戻った。抱きついたのに何も言わないのかい。赤司って意外と冷静だよな。 「もう良い歳なんだから酒の飲み方ぐらい覚えてくれ」 呆れた声で赤司はそう言った。 「はあい」 名字は俺の言葉を聞いているんだか聞いていないんだかわからないような声でそう言った。そう、はやく酒の飲み方を覚えてほしい。酔っ払って、こうやって俺を呼ぶならまだ良い。でも、こんな雰囲気を出されて他の男を呼んだり、あわや持ち帰られたりでもしたら本当に最悪だ。 「んー、でもね…」 小さくそう聞こえて、俺の襟足に口元が寄せられるのを感じた。こそばゆいのと、不意な行動に思わず背中の毛が逆立つ。 「おい」 「これはね、うそ」 名字の吐息が首筋の産毛を震わせる。体験したことのない感覚にぞわり、と足元からなにかがあがってくるようだった。 そのあと名字はしばらく口を開かなかった。もうすぐ家につくとわかっているが、さすがに足を止めてしまう。立ち止まると背中により名字の重みを感じた。意識はどうしても口が触れている首筋へと持っていかれてしまう。夜風が二人分の髪を泳ぐように撫でていった。 「そんなに酔ってない」 すり、と柔らかいものが肩に触れる。名字の頭だった。 「酔っているだろう」 名字の顔は肩に埋もれてしまって俺からじゃよく見えない。髪が肩から胸へと流れ落ちていった。 「わざとだよ」 その言葉に反応して横を見れば、肩越しに微笑む名字と目が合う。その目は確かに熱を持っていて、目が合うと嬉しそうに半月型に歪められていく。思わず名字を落としそうになった。なんとか平静を保って口を開く。 「…どういう意味だ」 「さあねー」 震えそうに声をなんとか抑えてそう言えば、名字は笑顔のまま俺の肩に顔を埋めてしまった。 動揺が止まらない。なんだ、これ。言葉のままに受け取っても良いのか。しかし俺は、今まで散々振り回されて来たことを思い出す。酔ってはないと言うが、実際こいつからは酒の匂いがする。やはり酔っ払っていて、それにより行動に拍車がかかっているのかもしれない。 聞きたいことはたくさんあるのに上手く言葉が出てこない。なんとか足を動かして歩みを進めれば、名字が差していたマンションの前に着いた。 「着いたぞ」 その声に反応して名字が顔を上げた。肩に垂れ下がっていた髪が動きに合わせて俺の首を撫でていき肩を少し顰めてしまう。今になって距離の近さが心臓に悪く感じた。 「降りろ」 とりあえず降ろそうと思い名字のひざを支えていた腕をゆっくりと外す。そのまま近くの花壇へ腰を下ろさせようとした。しかし、 「どうした?」 名字は俺の首に回した手を離さなかった。首に回った手、そして背中に密着した身体まるで後ろから抱擁されているようだった。 これにはさすがに焦ってしまう。 「今まで、ごめん」 「?」 口を開いて出てきた言葉は何故か謝罪だった。なんだ急に、全く話が読めない。 もう、言っても良いかなと思った。二人っきりだし雰囲気も良いし、振られたとしても全て酔ってたせいにできる。本当に最低だけど。 私は赤司の首に回してる手を外して、そして今度は腰に手を回した。後ろからぎゅっとハグをする。おぶられている時も思ったけど赤司の背中はあたたかかった。 客観的に見て今の状況、どう思われているんだろう。男の背中に抱きつく女。夜も遅いおかげであたりには人はいないけど、それでもやっぱり恥ずかしい。 「ど、うした?」 背中に耳をくっつければ、赤司の心臓の音が聞こえた。珍しいな。赤司が動揺してる。まあそりゃそうだよね、急に抱きついてるもん。私は気づかないふりをしてさらに抱きつく力を強くした。 「今まで散々、変な態度とったりしてきたけど」 私の心臓の音もどんどん速くなっていく。もしかしたら赤司に聞かれてるかもしれない。 「赤司のこと好きなの」 思ったよりも小さな声になった。顔が熱い。誤魔化すように私は赤司の背中に顔を埋めた。自分の体が丸々心臓になってしまったみたいだ。全身が脈打つのを感じる。赤司の心音もかき消してしまう。 しばらく待ったけど赤司は何も言わなかった。微動だにもせず、なんのリアクションもない。どうしよう、これはナシすぎて何も言えないってやつなのかな。 「…あかし?」 不安になって手を緩めた。顔を覗き込むように見ようとしたら、赤司によって手が解かれる。そのまま赤司は振り向いて、お互い正面を向くかたちになった。私の手が赤司にギュッと握られる。 「名字」 赤司の頬は赤く染まっていて。大きくて猫みたいな目でじっと私のことを見つめてきた。綺麗な目だ、吸い込まれそう。 「それはからかっているわけではないんだな?」 赤司の台詞に私は控えめに頷いた。目が見れなくて少し下を向く。そうだよね、やっぱからかってるって思われるよね。今までの自分の言動と行動に反省。 「わっ」 今までの自分に少し後悔していると、急に赤司の手が私の腰に回って、そしてそのまま抱きしめられた。ぐいっと引き寄せられたものだから思わず声が出る。突然の行動に一瞬体が固まってしまった。けどすぐに意味を察して、嬉しくて、赤司の背中に手を回した。私の肩に赤司の顔が埋められる。これじゃまるでさっきと逆じゃないか 「…俺もだよ」 首筋に当たる赤司の耳が熱い。言葉に合わせて赤司はより強く私を抱きしめる。 今日、赤司を呼んで良かったなあ、と心の底から思った。 ← → 戻る |