名ばかりの思慮を並べ立てる

「は? オメーが空手を習う?」
「うん。ほら、いつ事件事故に巻き込まれるかは不明瞭じゃない。自分の身を守れるぐらいの自衛術は持ってても邪魔にはならないでしょ」
「いやいやいや、今から始めても上達するのに何年かかると思って……」
「それは……まあ、アテはある」
「あてぇ?」

 利用する価値しかないよね。───大晦日を迎えても翌日には同じ年が始まって、しかし昨年とは違った装いを見せるこの謎時空をさ。
 痛い思いも怪我をするのも普通に嫌なので。「はぁ」そこ、気の抜けた息を漏らさない。17年間共に居た双子からの唐突な空手を習う発言に胡乱げな視線を寄越す新一へ曖昧に笑って、もっともらしい理由を挙げる。ちなみにここは阿笠博士の家のリビング。椅子に膝へ頬杖をついて、無邪気な小学生がするはずのないジト目は、私からするとかわいいにしか過ぎないのであまり問題にならなかった。

「つってもよォ、姉ちゃんほんっとーに身体弱いんだから無茶すんなって」
「体力つけたら改善するかもしれない」
「うーん望み薄」

 割と親族に辛辣な新一には悪いけど、反対されようがこれは決定事項なのだ。
 蘭ちゃんのもとに転がり込んだコナンならともかく、私は工藤邸で生活している影響なのか事件遭遇率はゼロから動いていない。少しだけ意図的にそのエリアから身を潜めるように行動していたから、もあるかもしれないが。
 日中は帝丹高校。夜は自宅。夕飯にお呼ばれすることはあっても泊まり込みはなし。事前にコナンから本日の予定を横流ししてもらえれば、些細な細工で彼らとの遭遇を避けられた。そして確認したいものも相まって、ずいぶんと日が沈み月が夜に輝いた気がする。

 ──当然ながら、どういう原理なのか説明つかないけれど年を越さず、しかし己の身で経験した出来事や特訓などについては確実に吸収していた。
 空腹、眠気、軽微な体重変動、素晴らしきこの世界。なんでもありな意識が生まれてしまう。

(哀ちゃんが現れたら、いわばそれがカウントダウンの始まりになる)

 覚えてる限りだと彼女が出現した時期から物語は急激に回り出し、計ったかのようにたくさんの重要人物が顔を晒していく。
 タイムリミットの時までに、どれほど体が空手に慣れるかどうか。
 相手の攻撃を一度はいなせる形ぐらいにはさせたいし、そうでなくては最初に望んだ降谷零の何かになるどころか、足でまといとしてコナンに認識され一緒に連れて行ってくれなくなる。
 どんな色でも、どんな感情でも、どんな距離でも。工藤ゆかりのまま彼のために何かができると信じているのだから。やれることはぜんぶやりたい。やりきって、ずっと後になるであろう安室透、、、との対面に臨みたい。

 ぐっ、と拳を握りしめて一歩も引かぬ気概をつくる。
 専門的知識もなければ大人を出し抜く推理力もない私にできることは少ない。ならばやれることやりきって、そうしたら、輪郭にさえ形成していない何か≠見つめられるかもしれなかった。そう信じているし、報われるその時まで、私は絶対に信じている。

 甘い? それはわかる。
 でも、それじゃあ、どうしろっていうの。

 ──最強で、最高の手札だった幼馴染という関係は露と消えている。一方的にゆかりが知っていたところで零くんは普通の女子高生に用はない。姿は変わり果てても、ゆかりは私で、わたしは零くんの役に立ちたい。
 私という異物が混入して整理された道筋が壊れる可能性も否めなかった。それを私は、彼の選べる選択肢を増やすと考えた。……そう考えなきゃ、結局元の鞘に戻ってしまう。いくつ夜を踏み越え朝日を拝んでも最初ゆかりへと還れないのだから、自由に動ける今の存在のまま羨望と想愛を抱いていこう。
 決意を固める私をどう思ったのか、レンズのない眼鏡の先に覗く眼差しが一瞬外れ、「いけね、忘れるとこだった」話題が切り替わった。

「博士がバックナンバーを取り揃えてくれたぜ」
「……7年前の通り魔事件だね」
「ああ、携帯記事にも大きく報じられてる。オレも、覚えてる。連日ニュースはそれ一面だったからな」
「ありがとう、これ、家に持ち帰っても?」
「許可は出てるし姉ちゃんがいいなら」

 ごそごそとガラステーブル上に広げられた新聞や雑誌を律儀に揃えて抱えた。下からは想像に容易い視線が向けられていた。

「なにかあんのか?」

 かつて画面越しに見た探りの色を持たない、血の繋がった双子への純粋な疑問。
 ちょっとね、なんて言葉で包み隠せてしまえばそれ以上の追求をしてこないのはひとえに、私が彼の血族であるから。信頼と愛情を注げば、ひたむきに同じだけ返そうとしてくれる、弟。無自覚なのかわざとなのか。
 珈琲を淹れてくれた博士にお礼を述べて、玄関で靴の踵をこつこつと揃えてたらふと鞄の中から封筒が見えようやくポストに投函するのだったと思い出した。郵便局は意外に遠く、近くの郵便ポストは歩いて……十数分はかかるか。

 玄関先で手を振ってくれるコナンに振り返し、雨が降り出しそうな空を見る。うん、急がなければびしょ濡れになるなこりゃ。
 走っていけば間に合うかもしれない。

「────姉ちゃん」

 驚いた。
 中に戻ってるかと思ったら赤い傘を手にする弟が静かに立っていて、その目は、いつになく真剣だ。
 え、一体なんだろう。理屈詰めで考える性質だから何度もわざとあえて外部の人間になりすましていたのがバレたのだろうか。それは、いっとう、まずい。それほど悲観はしないけど(その程度で揺るがぬ絆ではない)心配の影があるのが分かるからどうしてだか苦笑してしまう。

「非人道的な未来に向かわなければ、オレはいつでもゆかり姉の味方だ」

 突然だった。
 突然の優しい台詞に目を瞬かせる。コナンを見るにたった今紡ぎあげた!わけではないのか、未だに真剣さは拭えない。

「やさしい、やさしい双子の姉ちゃん」
「……うん」

 背を押されているような感じがした。
 7年前の通り魔事件について調べてるのも、新一にとったら気になることかもしれない。

 気を引き締めよう。
 葦原ゆかりのことをきちんと理解して、それから。
 一歩、コナンの方へ踏み込んでみよう。




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