初まりの名を知られぬよう

 (言い方は悪いが)無事に江戸川コナンへ変貌した新一と一緒にいても、毎日犯罪が起きるわけじゃない。私と彼の幼馴染で、毛利小五郎の愛娘である蘭ちゃんといる回数もダントツで多いけれど、さすがに、さすがに四六時中ひったくりやら万引きやら殺傷沙汰やら毒殺やらに巻き込まれることはなかった。
 米花町以外の市町村と比較してしまえば嘘みたいな確率で集中してしまっているが、それはそれ、これはこれである。

 率直に言おう。

 浮かび上がったせっかくの記憶はどちらかといえば葦原ゆかりへ重きを置いているのか、この世界を描いた漫画の情報は遠い。
 煙となり、空気に混じるそれを掴むのは至難の業で、くどく説明してしまったが何が言いたいのかは、そう、ピックアップされた事件や事故を未然に防ぐことは難しいってことだ。
 分かるのは組織の最高幹部メンバーのコードネームと、ラムのメルアド一部、潜入捜査官が複数、主要人物の顔と名前ぐらいである。映画の知識はお察ししていただきたい。大きな事態であれば薄ぼんやり分かるよ、わかる……たぶん…………。

「あっ、ゆかり。新一から何か連絡あった?」
「ううんー? あの子のことだし一人で突っ走りながら上手くやってるんじゃないかな」
「もう! 双子にも居場所を報せないってどういうことなのよ、あいつ……」

 そんな小難しく考える私の前でぷりぷりと怒っているのが、先述した幼馴染の毛利蘭。
 空手の都大会で優勝して例のトロピカルランドへ遊びに行った、私の双子の想い人で実際には付き合ってないものの相思相愛なのがモロバレな、かわいらしい女の子だ。なんてったって蘭ちゃんの母親は美人だから、がっつり遺伝子を受け継いだ蘭ちゃんは凄まじく綺麗で美しく、スタイル抜群の非の打ち所がない。
 こういうのをヒロインって言うんだな、と改めて感じてしまい見つめていれば、にこりと微笑まれるんだから敗北するよね、新一は。器量よし、そこら辺の男には負けない強さを兼ね備えた才色兼備。うん、蘭ちゃんしか勝たんわ。

「ちょっとゆかり、聞いてる?」
「新一のことが好きで仕方がないって?」
「ちょっ、何言ってるのよ。そ、そういうゆかりは? 好きな人、いない?」

 アイスラテを一口含んで、話を逸らすための話題提供に思わずギクリとした。
 さらにはそれを見逃す彼女でもなくて、藤紫の色をした目を輝かせ、「いるのね!?」とそれはそれは年頃の娘みたいに笑う。前回の起きた年数を加味すればアラフォー目前なのに取り繕えない私は、なんというか、諦めが悪いんだな……。

「───いたよ。七年前に失恋したけどね」

 嘘は言ってない。
 恋を失う。命を落とした私と彼の間にはっきりとした関係はきれいさっぱり消えてなくなり、気持ちを通じ合わせること自体厳しくなっているのだ。これを失恋と言わず、なんと言おうか。

「七年前って……12歳の頃じゃない。気づかなかった」
「まあ、隠してたし」
「もしかして新一も知らないっぽい?」
「絶対知らない(教えてないし、実際は22歳だけど)」
「へぇ……ね、どんな人か聞いてもいいかな」

 だよね。そういう質問になるよね。
 恋バナには付き物だよね。残念ながら言えるのは限られてる。
 自ら望んで江戸川コナン=工藤新一を知った(詰め寄ったともいう)身なので、どうせ米花町から抜け出してもなんやかんやで事件に巻き込まれるのは目に見えていた。しばらく後であろうとも、失恋した相手の特徴を馬鹿正直に告げてしまえば泣きを見るのは私なのだ。

 疑われたくないし、そんな目で、見られたくない。

 ただそうだなぁ。
 ……よくよく思えば、零くんをぼかしつつ的を射る表現がなかなか見当たらないな? 目立つ容姿を説明するのは物凄くアウトだし、名前なんて以ての外。
 蘭ちゃんと私では失恋の意味が違うだろうから、複雑にするのも違う気がする。

「…………」
「……ゆかり?」

 沈殿する感情を一個ずつ掬いあげるように、深く考える。
 新一が考え事をする時と同じ姿勢になるも構わず、胸を張って愛おしく優しき日々だった思い出を振り返った。

 彼は、降谷零は、すべてのゆかりわたしの初恋だった。
 どんな確率なんだよ、って自分でさえもツッコミを入れたいけれど、葦原ゆかりになる前の私の名前も「ゆかり」だったのだ。
 母方が外国の方だから日本以外の血が入り、きらきらと光る金色の髪に淡い青色の目を持ったその外見は、多くの反響と反感を抱かれていた。すごくかっこよくて、からかう側の心情は分からなかったけど。
 初めて出会ったのは降谷家と葦原家が私たちが生まれる以前よりの付き合いで、どうやら同じ年に赤ちゃんが生まれるのだから、仲良くしましょうね! という魂胆があったらしい。そのおかげで葦原ゆかりは降谷零と対面し、世の女の子たちがこぞって羨ましがる彼の幼馴染ポジションを手に入れていた。
 やんちゃで、わんぱくで、意外と泣き虫だった零くん。喧嘩で怪我をしては宮野医院に駆け込んで女医先生に手当をしてもらって、……そんな先生が姿をくらましてから私に頼むようになったけど、「ぶきようだなぁ」と垂れ目をもっと垂れさせて、慈しむように私を見るようになったのはいつだっけ。

「そうだねぇ」

 砕け散ったガラス片を丁寧に拾い上げて、壊さないよう静かに、握りしめる。滲む血すらも、気にならなかった。
 吐息が微かに甘いのは、致し方がない。

「世界一、やさしいひと、かなぁ……」

 愛されていた。恋をされていた。大切に、
 ───大事に触れられていた。
 鍛えられた腕の中に閉じ込められて、温もりにまどろむのが大好きだった。名前を呼ぶ落ち着いた声色が大好きだった。

 何故だか私の顔に頬を赤く染めた蘭ちゃんは励ましか、はたまた伝えたかった言葉があるのか大仰な手振りで口を開く。「じ、じゃあ、」

「まだその人のこと、大好きなんだね」

 うん。
 頷いた私の雰囲気は、大層甘かろう。

 からん、とグラスの中で氷が揺れていた。




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -