嘘びたしの光
「ねえボク! お名前を教えて欲しいな」「えっ、え、ええっと……おっ、ぼ、ぼくは」
「何が好きかな? シャーロック・ホームズかな、それとも推理とか、遊園地に残してきちゃった幼馴染、とか!」
「あ、あの……」
「──誤魔化したり、何かを代替しようとか思わないでね?」
「……あ、あは、ははは」
「 ね ? 」
「……………、……おっかねーよ姉ちゃん!!」
勝った。
そう確信した一言だった。
***
工藤ゆかり。それがいまの私の名前。
長年親しんできた苗字とはかけ離れた、有名な苗字に驚く暇もなく、何が引き金となったのか現日本の平均寿命と比べると年若く命を落とした【葦原ゆかり】の記憶を、病院で全て思い出していた。
赤、赤、赤、……赤。
溢れて止まらない血の流れの鮮明さと、こちらに腕を伸ばし名前を呼ぶ青の目を持った大事な人の絶望という表情は、それを妄想でも嘘でも、偽りでもないと慟哭している。
前世はありえない。
ありえないほど、現実味を帯びていた。
記憶に引きずられてるのかもしれない。だけどそうじゃないと本能が言っている。間違いなく、彼女は私なのだと。
きっとそれだけなら厄介事はひとつだけだ、しかしそうでもなかった。優しく触れる指、恥ずかしそうに伏し目がちな顔、
何も【葦原ゆかり】の記憶だけじゃない。
さっき否定した可能性を告げる、その前の生。
「……はぁ」
退院し、自室のベッドに腰かけて頭を抱える。
過ぎるは見覚えのありすぎる己の双子の弟。並びに、これまた見覚えのありすぎる住所名。心の底から叫び出したかった。玄関に入る時に見えた表札から、逃れられないと思った。
世界中の犯罪が一箇所に集中しているのかと錯覚するのもおかしくない犯罪発生率に、新聞に掲載される弟の活躍、遊園地の一字一句違わぬ名前。どう頑張ってもスリーアウトで私の負け。勝てる要素がひとつもない。「まさか、」大きくため息をついた。
「真実はひとつの世界に組み込まれていたとは」
大の字になる。
正直、熱中症のだるさとか病み上がりの気持ち悪さはどこかに吹き飛んだ。
嘆きに似た言葉は誰かに聞かれる恐れもない。そも聞かれたところで理解が及ばないので問題ない。私は好きだったと記憶している漫画の、少なくとも脇役とかそんなんじゃない(スピンオフも出ている)主役に近い男の恋人だったのだ。いや、元、恋人だろうが。
難しく考える必要はなかった。
つまり、こういうこと。
前々回の私は死因は分からずともその命を落とし、記憶を引き継がぬまま前回のわたし──葦原ゆかりに転生し、公安警察となった降谷零の恋人となったが通り魔に刺されて死亡。ここからは本当によく分からないけど魂? 意識? みたいなものが工藤ゆかりという存在に憑依をしたのか、恐らくトリガーが引かれ全部を取り戻した。
……、
…………いや、ややこしすぎか??
葦原ゆかりは確かに私で、彼に愛されて死んだ彼女は私以外にない。じゃあどういう理由で本来ならいないはずの少女として(便宜上)目覚めるというのだろう。
「あーーー…………」
蛍光灯が揺らめく。
手元にある携帯電話の検索窓に、ひとつのワードを打ち込む。
ずらりと並ぶ見出しに頭を抱えた。
「はい、わかってた、わかってた」
検索すれば出るわ出るわ当時の状況検分や新聞、雑誌記事。
この世界線は葦原ゆかりの死んだ未来で、彼女は実在していた存在。…大事な人たちを立て続けに亡くしていく死の連鎖の原初を、私が担ってしまっていた。……ばかやろうか?
ほんっとに、大バカ野郎。
でも私が「その場」にいたからといって彼らを救えたか?
救えるはずがないだろうな。もともと警察学校には入学しないで地元の大学へ入り、事務職になっていた私に、彼らを救う手立てなんてなかった。その時あの人たちが死ぬなんてことも知らなかったのだから。
思い上がるな。葦原ゆかり。
思い上がるな、──思い上がるな!
元恋人に恨まれるこそすれ、それ以上でも、それ以下でもない!
「トロピカルランドに向かうのは明日。接触も、明日でなければ」
「江戸川コナン」に出会い、協力者にならなければ。
納得できない部分もあれば、未だ飲み込めてない真実もある。認めたくない事実も受け止めなければならない現も、いまは首根っこ引っ掴んで捩じ伏せて順序を並び立てよう。
工藤ゆかりとして生きてきた記憶も、新一に慕われ、蘭ちゃんとも親しくあって、じゃあ体の縮んだ新一へ秘密を打ち明けるか否か。
────答えは、否だ。
複雑に絡んだトリックも推理も犯人も被害者も、彼らの心情も朧気。イレギュラーを組み込んだ現在で下手に動けば新一どころか、零くんの迷惑となって最悪命すら危うくなる。心に燻る鈍色の想いが葦原ゆかりに引きずられているのも否定しない。だが。
工藤ゆかりも、葦原ゆかりも、降谷零が大切なのだ。
自分の死という終末から関係は
そんな早々にリタイアした私が、今更何をしようというのだろうか。まさか、この姿のまま、降谷零の「なにか」になろうとしているとでも?
「……そのまさかだよ、
カーテンに仕切られた窓から月の光が差し込む。
自問自答はすぐに終わりそうもない。
───そして、翌日の夜。
当然というか、予測通りというか、完全に縮んでしまった弟の新一を抱き上げ、据わった目で見下ろしもはやゴリ押しと同意義の尋問で彼の正体を知る人間のひとりに加わったのだった。