クラスをも越えた絆を大切にする候補生から、明るい声が響くリフレより逃げてきたような候補生もいて、その中でも朱のマントを羽織った者たちが集まる端の丸椅子は独特の雰囲気をまとっていた。
「───お腹すいたねぇ。もう今日は休みたいよお」
「シンク、もう少し気張ってください。エースとゼロならともかくあなたはケイトとあと一つ任務があるはずでしょう」
「だぁって〜……」
「だって、も、でも、もありません。候補生であれば下される命令には従わなければ」
当然と言わんばかりにくいっと眼鏡の縁を上げるクイーンは、季節の変わり目のこの時期であってもクイーンだった。絵に描いたような優等生で、嘘や偽り、冗談が通じない。まあ、つまり……どこまで行っても彼女は大真面目に諭しているのだ。
対照的にぐでんと力が出ていないのかソファーの背もたれへ埋もれていくシンクにくすくす笑いながら、この場にはいないデュースから差し入れで貰った焼き菓子を口に含む。目の前で行われるまるで姉妹みたいなやりとりを微笑ましく思い、許されるならいつまでも聞いていたいと感じるが……わたしはそれよりも気になることがひとつ、あった。
肘掛のない長ソファーに一緒に座っているはずの恋人のエースが、眠たげに幾度となく欠伸を噛み殺していた。
「……エース、寝不足?」
不思議に感じ端的に尋ねると、いつもよりとろんとしたアイスブルーの双眸がこちらを見る。
…なんて言ったらいいんだろう。普段も普段で人形じみた完成度を誇る顔の良さだけど、抗いようのない睡魔に襲われ微かに無防備な姿の今も、……断じて変態じゃないけれど可愛らしくて、あどけない。
心の中で見抜かれたらまずい感情を覆い隠していれば、ワンテンポ遅れてエースは眉尻を下げ、何故かバツが悪そうに視線を下に下げた。
「…すまない。その、少し予定を早めに切り上げたくて、徹夜みたいなことをしたんだ」
「えっ、ちょっと待ってね。さっき武装研の依頼を受けて魔導院の外で戦闘したよね……?」
「ああそれは……ほら、戦闘になれば気が引き締まるだろ?」
「いやその通りなんだけど、そうなんだけど……!」
まさかの事実説明に大声で叫びたくなるも、気合いで押し殺してあくまでも冷静に、冷静にと己を律して言葉を重ねる。
「エントランスに入った時点で確認したけど、怪我とかは、ないん……だよね」
「隠しても、ゼロには気づかれるからな。無駄な意地は張らないことにしてるよ」
どこにも傷はないだろう? そう得意げに笑ってくれるエースにほっと息を吐く。お節介とも、過保護とも言われようが仕方がない。わたしにとってのエースは重い言い方をすれば光であり、絶対に失いたくない人だから。
穏やかな時の中でお互いに微笑みあっていたら、凄く近い場所からわざとらしい咳払いが届き、バッと振り返った。「邪魔をするつもりはありませんが」クイーンだった。真顔のまま、口を開く。
「もっと場所を考えてください。ここ、公共の場ですよ」
「あー、はは……ごめんなさい。0組の教室でやるよりかは、いいかなって」
「そういえば寮は申請がないと入れないもんねぇ」
「ええ、それこそ看病や相応の事情がなければ承認もされませんね」
苦笑まじりの謝罪をどう捉えたのか定かじゃないけれど、本気で憤っているわけではないのは容易に分かる。むしろ絶対的な信頼を寄せるマザー以外に心を砕くことは滅多にない彼女だからこそ、この関係性は稀有のものだった。
クイーンもシンクも、エースも、背負うマントは朱色。幻の0組、朱の魔人と称される彼らと違ってわたしがまとうのは、桃色。本来なら深く関わり合うことすらない絶対の差。だけどありがたいことにこうして仲良くしてもらえるのは、彼女たちのことを知っているとはいえ嬉しいことこの上ない。
やがて、シンクを迎えにケイトが顔を見せたことでこの場はお開きとなった。
ただエースの眠気を鑑みて、クイーンたちを見送ったわたしたちは緊急招集がない限りはここでしばらく休憩することに決め、再びソファーに沈みこんだ。……その時、だ。
「…………」
わたしの話に相槌を打つばかりだったエースがついに無言となり、限界かと心配げにそっと顔を覗き込もうとして、
できなかった。
「……ひょッ!?!」
今度こそ脳内で処理しきれない感情をそのままに言語化した悲鳴が唇から滑り降ちる。間抜けな悲鳴に声を揺らして笑うその人の髪が太腿をくすぐって、言い表せない感覚にがちがちに体に力が入った。
いや、いやいやっ! 落ち着こう?? 何が起きた……!?
「く、ははっ……」
「はいぃっ?」
「ぜんぶ口に出てる。でも、そうだな。僕が状況を説明しようか?」
「お、お願いします……」
「本当にいいんだな……。はは……!」
「もう!」
落ち着けないわたしの様子に遠慮なく笑い声をこぼす彼は間違いなくエースで、自分をよく知る0組の面々がいなくなった途端、少しだけいじわるになる姿もまた、エースだった。
そう。外見と行動から一見クールそうに見えて、この人は案外心を赦した相手に対しては甘えたがりの、いじわるさを持っている。…それすらも愛おしく思うのだから、目も当てられない。
「クイーンの言うように、僕らは今日の予定はないから。だから、恋人としての特権をフルに使おうかと」
「その……【恋人としての特権】が、この体勢なの?」
「あと二時間弱はサロンも閑散としてると思うし、何かあったら起こしてくれて構わない」
「……、…エースは、これ、疲れない?」
おそるおそるさらさらのプラチナブロンドの髪に触れて、呟く。上体だけをわたしの膝に倒した形なので、お世辞にも休まる姿勢とは思えず、既に瞼を閉じて眠る彼の頬をつつき答えを待った。
エースはもぞもぞと自分が寝やすい位置を探るように動いて、一拍間を置いてわたしを見上げる。
「ぜんぜん。だって、こんなにもゼロが近くにいる」
ひどく幸せそうに、笑う。
「そっか。……それなら、仕方ないね」
「うん」
「わたしも、きみといられて、しあわせだよ」
髪を撫でつける指が伸ばされた指に捉えられ、元に戻るみたいにゆっくり絡まっていく。
クールそうに見えて、熱い一面もある。
───淡白そうに見えて、愛情表現は数を重ねていくうちに多彩になっていく。そのことに、ほんのちょっぴり、本当に少しだけ、寂しい気持ちになってしまうけれど。こうして大好きで大切で愛おしい人と時を過ごせるひと時が嬉しいのは、わたしも同じだから。
「おやすみ。エース」
どうか。
どうかこの幸せな日々が、願わくは出来るだけ長く続きますようにと。そう祈らずにはいられなかった。
(わたしはね、君といられるだけでも幸せだから。)
君と捧げる祈り