※死ネタ含みます


 魔導院内に併設された共同墓地には数え切れないほど死者の名前と、慣れる他ない虚無が刻まれている。死者に抱いていた気持ち、思い出が、すべて消えていく。

 たとえば、それは慈しみ。
 たとえば、それは愛しさ。
 たとえば、それは苦しさ。
 たとえば、それはまやかしを求める人間の性。

 あって当然の感情をあたりまえのように削ぎ落としていくクリスタルの恩恵は、白虎が朱雀に対し宣戦布告にも等しい奇襲をしかけたことによって莫大に膨れ上がっていた。主要作戦ミッションを重ねる度に知らない名前が増え、たくさんの記憶が割れたガラス瓶の底から抜け落ちる錯覚に陥り、誰も彼もが心に虚無を抱え込んでいく。
 逃れる術など、ない。この世界に生まれ落ちた時点で常識は肉体に根付き、足掻く暇もないだろう。そもそも、忘れてしまったことさえ忘れてしまう世界なのだから。

 ───死を受け止め、その悲しさに涙を流す存在は稀有だ。

 どういう原理、仕組みで生者から死者の記憶を消し去るのかは解明しきれてはいない。けれど、その人が居たという証は朱雀では国より支給されるノーウィングタグしかなくなつてしまう。だから戦場に赴く際はタグを魔導院に預けるのが義務であり、鉄則だ。
 それ以外に証明するもの。考えてみれば何かが出てくるかもしれないが可能性が濃厚なのは、こうして共同墓地に刻まれた名を見、読み上げ、ふとこみ上げる形容し難い感情だけだろうか。確かに自分はその者と話し、笑い、一緒にいたはずなのに。顔も、声も、思い出すらも、消えていく。まるで泡沫のように浮かんでは、爆ぜて。

「……テラ?」

 そよそよと揺れる献花の白百合を見下ろし、屈んでいると背後から気遣いの色を乗せた声音が届き、ゆるりと振り返る。レムが花を両手に抱えてこちらを見ていた。

「レム。……ゼロに、会いに来てくれたのか」
「……うん。もう、何も覚えてはいないけど。それでもこの人は、私を───ううん、私たちを守って亡くなったから」

 スカートの裾を押さえ、小さく笑んだレムはそっと白百合の隣に花を添える。慣れた手つきのまま、今度は刻まれた名を指でなぞった。いなくなってしまった過去を、いなくなってしまった友人を、僅かにでも感じようとするかのように。ふ、と声をもらして彼女は立ち上がる。
 立ち去る気配はない。両手を胸の前で組み、口を開いた。「あのね」耳を傾ける。

「手帳にはね、この人……ゼルディアはエースとよく一緒にいたらしいの。明るくて、優しい笑顔で、いつもみんなを気にかけてたって書いてある」
「あいつ、エースが一番かと思いきや懐に入れたやつには全員甘いから。とことん他人優先で、誰かのためになりたがってた」
「その中には、テラもいたのかな」
「……さぁ? だとしたら、でかい置き土産を残したもんだ」

 レムの目をまっすぐ捉える薄桃の眼差しは、いつしか陰っていた。
 ───テラ・イワナガ。レムと同じクラスで、扱いが難しく廃れていくだけのガンブレードを巧みに扱い戦場を駆け抜け、レムが忘れてしまったゼルディアの相棒を名乗っている青年。今では、名乗って【いた】なのかもしれないが。置き土産とやらは“彼女”が死んだ翌日に聞き及んだ。あれほど取り乱し悲痛そうに彼女の名を叫ぶテラは見たことがない。第二作戦課内で蹲りながら言った。もともとゼルディアが有していた特異体質を、引き継いだみたいだ、と。
 生者が死者に囚われないように、前を向いて生きていけるように、平等に与えられるクリスタルの忘却から逸脱してしまう体質。死んだ人間の記憶を、留めおける体質。だから、なのか。ゼルディアが死ぬ以前は比較的テラスやサロンで暇を潰す回数が多かったはずのテラは、こうして墓地にひっそり佇む機会が増え、傍から見ると何かを探すように、眉をひそめ顔を歪める彼の姿はどこか、どこか懺悔するだれか、、、を探しているようだった。

「ドクターの検診は受けてるんでしょう?」
「……うーん、まあ、ね。そうなんだけど」

 歯切れ悪く言い淀むテラに、レムは追求しようとして、やめた。
 クリスタルより供給される魔法という恩寵を研究する魔法局のトップに立つドクターを思い描いて、途中でテラは何かとその女性を避けていたのを思い出したのだ。

「おれに宿る前も一応ドクターに診てもらってたらしくて、でも詳細が分からないしそりゃなーんにも分からんわけよ」

 ひらひらと手を振り、後頭部に置いた。
 世界の常識から置いていかれ、いわば理を捨て去られてしまった。そんなテラの心情は、レムではきっと推し量れない。本当の意味で正しく理解できる者なんてたった一人だ。その一人も、露と消え去って、それも彼を孤独に追いやる一因となっているのだから皮肉にも程があった。
 話していくうちに彩りの見えた表情が無くなるのを見、レムも目を伏せて、紛らわすために話題を変えるべく、息をついて再び目を開けた。名を呼びかければ、薄桃の双眸とかち合う。

「………───私ね」
「うん」
「周りの子たちより、ほんの少しだけ魔力があって。私の魔法で知り合いや大切な人たちが守れるならって、ずっと詠唱を短くしようと頑張ってたんだけど、いつの間にかできるようになってたの」
「……ああ……、そういえばゼロがレムと一緒に時間を惜しんで特訓してたの、覚えてるよ」

 「やっぱり」そう呟いたレムには何一つ残っちゃいないが、酷く懐かしく目を伏せるテラを見れば信じないわけがなかった。
 自分が詠唱短縮に伸び悩んでたのは覚えている。支援に回ることの多いデュースに相談したのも、覚えている。でも、それだけ。そのふたつしか今のレムにはないのに、何故か短縮を会得していたのだ。発案と相談、そして解決。明らかにひとつの過程がさっぱり抜け落ちている。だがテラは言う。闘技場でゼルディアと共に練習していたのを見ていたことを。

「これも、ゼルディアが生きていた証になるのかな」
「望むなら、なると思う」
「そうだね。ゼルディアに教わったこと、ちゃんと活かしてみんなのために使う。それが、私にできる手向け」

 脳が覚えていなくても、体に染みついた反復練習は消えはしない。なれば、教え伝えてくれたことを正しい使い方で使用するのが、ゼルディアのためになる。鎮魂の意味に結びつけるような真似ではあったが、何もやらないでただ今を生きるより、何倍も、何十倍もましだった。
 一歩線を引いてテラに、眩しく映る姿勢はどこまでも美しく、気高かった。

 背に両腕を回し、儚くも力強く笑うレム。
 さぁ、と風がそよぎ、朱のマントが靡いて揺れる。
 雲間を裂いて降り注ぐ陽光が穏やかに彼女を照らし、包み込んでいた。

「えっ、テ、テラ……?」

 どうしてだろう。
 眦が熱くて、頬に伝うそれを止められない。

「大丈夫? ちょっと待ってね、……はい、ハンカチ」

 慌てて寄ってきてくれたレムに手渡されるハンカチを受け取って、漸く自分が泣いているのに気がつく。
 視界がぼやけて、だが心配そうに顔を覗き込むレムは分かった。崩れ落ちたテラの視界には、青々しい芝生と自然に咲いた小さな花々、そして、鈍色の墓石がある。

 やがて、喘ぐようにテラは言った。

「……しってるんだ、おれ」

 しゃがんだレムに言い聞かせる風ではない、自分か、それとも、ゼルディアに向けてなのか。
 張り詰めた硬い声音は様々な音が共存するエントランスとは違い、静寂を作り出す墓地に絶え間なく広がっていく。事実、レムの返事を待たずして続けられる。

「これで終わらないってこと、ゼロは……この世界は、続いてくってこと、なのに、おれは、おれは……」
「テラ……」

 頭を抱え、己を責める響きを垣間見せる懺悔にも似た言葉に、どうしようもないレム。だけど、ここまで会話を交わして分かったこと、否、分かっていたことがあった。
 何がテラを追い詰めるのか、苦しめさせるのか、悲しませるのか、そんな踏み込んだことは当然ながらレムには理解できない。それでも。

 ぽた、ぽた、と止めどなく溢れつづける泪をそっとハンカチで拭ってやりながら、慈愛を秘めた言葉を告げる。

「……泣いたっていいんだよ」

 閉じられた瞼がゆるやかに持ち上がり、レムを捉える。

「私は名前以上のことを思い出せないけど、テラは覚えてる。たとえ、そうでなくても、テラにとって、大事な人だったんだよね」
「だいじ……」
「そこまで思える人が亡くなってしまったんだから、悲しいと思う感情は当たり前なんだよ」

 特異な体質を得てしまったテラ以外の人間は名前を聞いても単なる名前だとしか感じることができない。レムも、自身が記していた手帳がなければ本当に赤の他人のまま、過ごしていたかもしれなかった。
 亡くなった。それしか心に流れ込まないレムでも、とても仲間思いで気さくなテラがここまで胸を痛める様子を見せる存在だから、おそらく、レムとも仲が良かったのだろうと察せられる。そういう自分でも空いてしまったスペースを抱えている。全ての記憶を持つテラからすると、どれだけの喪失感を与えられているのか。想像するだけでも、背筋が凍るような思いだ。

「ずっと、……大事だ。
おれを助けてくれたあの日から、、、、、、、、、、、、、、、おれのできることなら、なんだって手伝おうと決めたあの時からずっと、ずっと」

 慟哭とも、憤怒とも似つかない、静かな告白。
 ぎゅ、と指先が白くなるほど強く握られた掌の中には大きくて、手放せない覚悟があった。覚悟が、テラを奮い立たせてくれる。約束も果たすために、それから、なにより。

「泣くのは、これで最後にする」
「……無理は、しないでね」
「しないよ。ゼロの意志を継いで、ちゃんと、おまえたちを守るから」

 頬から滴り落ちる泪は未だ止まる気配を見せないが、俯かせていた顔は少しだけ覇気を取り戻していた。
 支えられ、立ち上がったテラの視線はレムではなく、その向こう。アーチのかかった門に向けられていて。首を傾げ振り返る。「あっ」思わず声が出た。

 さらりと流れるプラチナブロンドの髪、戸惑いの光を宿す蒼い瞳を揺らめかせて後ずさる彼は。

 こちらが何かアクションをするよりも早く、先程の話に出てきていたエースは逃げるように足早に立ち去っていく。
 どうしたんだろうね、と声をかけようとしたが、口を噤んだ。
 その時のテラの様子を、どう言い表していいのか分からなかった。

「ぜったいに、まもってみせる」

 決意を帯びた一言に、レムは頷きを返すしかなかった。
 ただほんの少し。

 強すぎる光を見せるテラに不安を覚えてしまったのは、確かだった。




 その言葉に隠された意味は、世界が続いていくという本当の意味も、レムが知り得ないものだったけれど。

 だとしても。
 誰かに話せるはずもないことが綯い交ぜになり、混乱のふちに叩き落とされようとしたテラの心を少なからず救ってくれたのは、紛れもない、レムだった。

 慈愛を司る座の力を持つ彼女だからこそ、テラは救われたのだった。


どこかの終わりの果て


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