「…………やだなあ」

 藍色のマントを揺らめかせ、少女は遠い目をして呟く。
 側には誰もおらず、そろりと後ろを振り返れば離れた場所で待機する自分と同じ候補生と試験官、武官がいて、拒否しようにもできない状況にもはや乾いた笑いをこぼす他なかった。

 ひゅう、ひゅう、と季節柄よく吹き込む風が闘技場を包み込む。
 それによるものなのか、魔導院の裏庭や噴水広場を彩る薄紅色の花びらがはらはらと舞い降りて、沈黙する。

「…………」

 もうあの頃とは違うのだと思おうとして、失敗した。
 違うのならとっくに成果は出ているはずだと頭の中の誰かが無造作に囁き、少女の思考能力を奪い始める。
 アレンジが多少なりとも加えられた制服の裾につけられたフリルが徐々に自然な風ではない何かに揺られ、ゆっくり、その腕を眼前へ持ち上げた。周りを取り囲む冷気は素足を冷たくすることなく、ただただ凝縮するみたいに空間を漂っていき、ぐっと限られた範囲だったが気温が下がった。

 後ろにいた試験官が漸く少女の違和感に気が付き何かを叫んでいるが、遅い。
 もともと詠唱時間をそこまで要しないこの魔法は既に姿なき形を成し、術者のサインを待ち続けている。はぁ、と白い息を吐く。寒いはずなのに寒さを感じない今に薄笑いを浮かべて、───やがて、紡ぐ。

 その魔法の、名を。

「───ブリザド」

 刹那。
 極限まで冷えきった冷気が満ちていた闘技場から、音が消える。
 風船が一気に割れたように、冷気が爆発的に凝縮された氷魔法が至るところほとんどへ襲いかかった。四方にある壁はもろに受けたのか白い霧をまとう氷が静かに佇み、近くにいる者を凍らせるべく冷気を放つ。
 中でも、ひときわ大きい氷塊がしばらくして、崩れるようにして地面へ滑り落ちた。
 我に返る、最大の好機だった。

 が、口を開かない。

 誰も彼もが、驚愕の面持ちのまま何も言えない、言えるわけがなかった。




+ + +




 人間は往々にして噂が好きなものである。

 例えそれが悪意なき純粋な感想や、畏怖と尊敬を込められたものであろうと関わった者の口を全て塞ぐことなどできやせず、小耳に挟んだ主観が織り交ぜられ次の誰かへと話が持ち寄せられ、本人に届く頃にはとんでもない誤情報が追加されているなんて、ざらにあったりする。

 そして。
 そんな噂話に撃沈する者がここにひとり──。

「人の噂って尾鰭がつくもんだからさ、まあそんな落ち込むなって。でもやったじゃん〜2組首位の魔力成績はリフレの一週間無料券だろ? むしろおれを奢ってくれてもいいんだよ、……な〜んちゃって」
「………………」
「……あー……うん、まあ、人間じゃねえっていう噂はさすがにきっついか」

 授業終了の合図が魔導院に響き渡り、ちょうどお昼時の様相を見せ始めた2組の教室の隅っこに、そのふたりはひとつの机を囲って座っていた。ひとりは机上に顔を伏せ先程から沈黙を守り、もうひとりは苦笑を浮かべながら適度に少女を慰めている。ゼルディアとテラだ。
 彼らの背を飾るマントの色は深い藍色。この教室内にいる時点で当たり前なのだが2組に在籍する候補生だ。両者ともに勤勉で真面目な姿勢で授業に取り組む、候補生の模範となるのだが、それはもはや慣れきった演技というか、もしかしたら素かもしれない。どちらでも構わなかった。とりあえず今日の朝から耳に届く噂話を一秒でも多く切り落としたい、その一心だった。

 事の始まりは数日前。一定間隔の周期で行われる体術、武器の扱い方、模擬戦闘、魔力、筆記試験の五項目にのぼる、要は定期考査の際に起こったことだ。
 面倒だし説明してもくどいだろうから簡単に、直球に述べるとゼルディアの魔力は毎度のことながら極端に高い数値を叩き出しており、最大値の計測もエラーを吐き出すため誰も正確な限界は知らない。本人でさえも、既に高数値の理由を模索することを半ば諦めた様子でこれまで過ごしてきた。実際、これまでの定期考査は試験官を務める士官が温厚であったのも起因してか、ほぼほぼ威力を出してもさほど問題のない回復魔法が配点ポイントとして出題されていたのだ。今回もそうなのかな、と気軽に試験会場となる闘技場へ足を運んだのだがところがどっこい。なんと試験官が持ち回りでローテをすることに魔導院側が先日決めたらしく、運が悪く氷魔法が出題され、片手で額をおさえたのも記憶に新しい。

 今でも明瞭に描ける、同じクラスの候補生たちの眼差しに浮かぶ、あの色。
 ずっと閉じていた目をこじ開け、口を開く。

「…………別に、」
「うわ喋った。で?」
「テラってそういうとこあるよね。……別にさ、なんて言われようが自分が人間離れした“なにか”なのは自覚あるし、朱雀にとって……世界にとって異端なのはもうしょうがないよ。割り切れてるから、安心して」
「とか言いながら伏せってるのはどうして?」
「───この力、正しく使えてるのかなって思って」

 ようやく顔を上げたゼルディアの表情は、無に近かった。気高く燃え、高く舞い上がる朱雀と同色の双眸は遠くを見ていて。ただゼルディア曰く、本来の瞳の色は漆黒だと言っていたが。

「今更なのも分かってる。ずっとずっとこの体質と付き合ってきたから、深く考えたって無意味なのも、分かってるけどさ」

 理解している。ここでこんなことを考えても何も変わりやしないし、本当に今更な懸念だ。
 高度な魔法を操れれば操れるだけ誰かを救わねばという強迫観念。どんな魔法を繰り出そうとも他とは桁違いの威力を滲ませる自らの手を見下ろし、ゼルディアはゆるく息を吐く。

「でも、やっぱり不安もあるんだよ」

 ───この魔導院には0組と称される特別な候補生が集うクラスがある。
 巡りの中でクリスタルの恩恵を阻害するクリスタルジャマーの影響を一切受け付けず、「死」すらも跳ね除ける特異にも程がある彼ら。それを実現させているのは彼らの魂によるもので、供給する源がいる。だがゼルディアとテラは源に連結せずとも極めて特異な体質を発現させていた。身も蓋もない言い方をさせてもらうと彼らに失敗はないだろう。神がバックにいるのだから。

 しかしゼルディアは違う。

 彼女は見方を変えればこの世界で最も異質な存在だと言える。神による干渉も恐らく無効化でき、類まれな魔力をその身に控える者。下される任務もモンスター討伐もしくじらぬために準備を怠ることはないだろうが、それでも、彼女に絶対はない。
 ミスをして怪我を負えば当然痛いし、治療が遅れれば大惨事に繋がりかねない重傷者に陥ったのも過去の巡りのいずれかでなっていた。とさらに不安を支える思い出に再び机に顔を伏せて、不貞腐れた心持ちでぼやく。「わたし、こんなに弱かったかなあ」「ゼロは弱くなんてないさ」独り言に近い言葉に、返事があった。いやそれだけなら別によかった。問題はその声だ、テラの声ではない。さらりと頬にかかる鮮やかな金糸。落ち着いた低い声。背にあるマントの色に間違いなくそれが誰なのかを完璧に把握した。

「エース!?」
「幽霊でも見たような反応だな、……ほら、大丈夫か?」

 いるはずのない彼の姿に心底驚き、勢いよく後ずさろうとしたところで足を引っかけ転んでしまいそうになる。けれどそこは流石想い合う関係性、とでもいうべきかそつなく支えられた。麗しく整った顔が間近にあるのも相まって心臓が早鐘を打っている。

「う、うん。ごめん、ありがと」
「なかなかエントランスに現れないから授業が長引いてるのかと思えば、なにかあったのか?」
「え? ……あ、お昼一緒に食べる約束!」
「………忘れてたのか?」
「まさか! いや、忘れてた……わけじゃ、ないんだけど」

 長らく魔導院に存在していなかった朱のマントを揺らし、隣に腰掛ける少年を横目に見つめて、ああ、と頭を抱えたい感情にかられた。「テラは?」「僕を手招きしてさっさとリフレに行った」「あの男……」憎らしげに扉を睨むが、気安く笑うテラはしばらく戻って来ないだろう。

「ちょっと、考え事してて」

 ゼルディアの知る巡りまでまだかなり数を要する今の世界で全てを打ち明ける度胸はなく、適当な言葉を選んで声を出した。が、かち合った空を望む清々しい蒼のそれは、相変わらず綺麗で美しく。隠した気持ちを無理やりではないけれど前に無抵抗のまま引きずり込まれそうな、そんな色をしていた。

「……さっきの話だけど、ゼロは弱くないと思うよ」
「あはは。気遣わせてごめんね、少しセンチメンタルになっただけかもしれないから、あんま気にしなくても」
「いやだ、気にする」

 あっさりと返ってきた言葉にたじろいでるところに、畳み掛けるようにエースはさらに重ねる。

「僕はゼロの恋人だ。何かあれば力になってやりたいし、ちゃんと知りたいんだ」

 こうもストレートに伝えてくれる、頼りになる彼に呆気なく陥落した。だって乙女だもの。ずっとひとりだけを好きでいつづける乙女だから、少しばかり眩しいのだ。

「う、……本当にまっすぐだね。エースのそういうところ、好きだな」
「ありがとう、僕も好きだよ」

 ぎゅっと握られる手に、穏やかな気持ちで握り返す。すると途端に嬉しそうな顔を浮かべられるのだからくすぐったくって仕方がない。
 実戦面はともかく、エースはゼルディアに甘く、ゼルディアもエースに甘いためにこれ以上隠したってエースはテラに特攻するのも辞さない目をしていた。優しくて、善人なテラだから余計な心労をかけたくない。一見クールで無口なように思えるエースは、意外にも熱血で無鉄砲な行動を起こす確率も高く、それによる弊害を主にテラが受けていたりする。

「数日前の……魔力考査でね、やらかしたんですよ」
「ああ……あのブリザドを放ったらガ系の威力で、闘技場が一時閉鎖したやつ」
「ああぁ……やっぱり0組にも噂回ってるじゃんんん……! 話は早いけどすごい複雑!」

 候補生たちの憩いの場での伝染を舐めてかかっていた。そこまで考え、そういえば現在の0組には噂好きなクイーンが在籍したなと思い至り天を仰ぐ。彼女がいる時点でお察しであった。
 そうなのだ。エースが言うガ系の威力が飛び出した、というのはゼルディアの放つ魔法は一体全体どういう訳か初級を放っても周囲とは一線を駕す威力を誇ってしまい、あわや魔導院に併設された施設のひとつを氷漬けしてしまうほどに。ここだけの話だが実は編入する際に行われたクラス分け実技でもゼルディアはやらかし、咄嗟に試験官とは別に待機していた、当時を知る朱雀武官がクラスメイトを下がらせた結果巻き込まれる惨事は免れたが。

「ちょうどシンクがタチナミ武官に用があって、直接見てたんだ。擬音とか大仰な手振りですっごかったよって言ってたな」
「いやまぁ、これを非難する人とかいないんだけど、なんというか」
「うん」
「……少なくとも、わたしの魔力は朱雀にとって戦力になり得るものでしょ? ずっと作戦とか任務とかで散々使用してきたものだから、無意味な悩みというか」
「うん」
「…………、……正しく扱って、大事な人を、まもれてるのかなって、考えちゃったりして」

 エースは優しい。それはどの巡りでも変わらず、ゼルディアを真正面から否定したりはしない。
 甘やかされている自覚はある。故に一度でも否定されたら自分でも引くくらいに落ち込むだろうという謎の自信はある。

「今でも2組の中で独立した遊撃隊に所属してるんだけど、放出操作が上手くいかないのも、考えものだから」
「ゼロ……」
「一応、ドクターアレシアにも診てもらってるから」
「マザーに?」

 ゼルディアは小さく頷く。

「0組が関与しないとこでやってもらってて、だからみんなは知らないと思う。てか、話したのもこれが初めてだし」
「……マザーはなんて?」
「魂の寄る辺によるもの、根源へと至る理外の所以ってさ」

 大いなる計画の一部とはなれず、いずれも好き勝手に動くサンプルにもなれないゼルディアの存在は、どちらかというとアレシアからしたら迷惑に違いない。検診もゼルディアとアレシア両者が言い出し始めたものではなく、ゼルディアの魔力を心配した院長が依頼したものだ。
 半端な真似はしないものの、自分の計画に支障をきたさない範囲の検診ははっきり言って既知の情報をおさらいしているような感じである。

「だから、ね。こういう考えになる自分が弱いって思いました」
「………むしろ、弱いの逆じゃないか?」
「え?」

 予想外の反応にエースの青の瞳と合わせ、次の言葉を待つ。
 顎に手を置いたエースは一度顔を俯かせ、上げた。

「魔力があればあるほど戦闘スタイルは臨機応変に動けるだろうし、意図しない強い魔法を放っても、それは味方を助けられる力になる。ゼロの考えは全部朱雀のためで、そうならないために努力をしようとしている」

 ぽかん、と口を開ける。
 しかしじわじわと理解が追いついていくと同時に、心にやわらかい光が差し込み、名前を呼ぶ。

「エース……」
「ん?」
「……めっっっちゃ、好きです」
「ははっ、なんだ、それ」

 元気になってよかった。
 そう呟くエースに感謝を述べながら、発想の転換で一瞬にしてゼルディアの悩みを砕いてしまった彼に舌を巻く。

「ゼロはよくやってると思う。テラも合わせてね」
「直接言ってあげて。何気にテラはエースのこと気にかけてるから」

 ゼルディアの顔色がいつものに戻ったのを確認し、立ち上がるエースに差し出された手を取り、少し時間が経ってしまったお昼を食べるためにふたりは2組を共に出ていった。

 迷うことはない。

 魔法の操作が容易くできればそれに越したことはないが、それでも、ゼルディアはゼルディアのやるべきことを果たし、彼らを、彼を助けるだけだ。
 もっとも、不安を覚えるのであればより努力を重ねていけばいい。できないことをできないと嘆くだけじゃなくて、やれるようになるまでやり続けるだけである。
 ただ。願うのは、ただひとつ。




君のいる朝焼けを望む


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