───ある少女は既視感に悩まされる、朱のマントをはためかせる同年代のケイトに笑って告げた。曰く、「魂の抗い」がその人自身のデジャヴや夢を呼び起こすのだと。
 良く言えば信頼、悪く言えば盲信とも呼べる思慕を向ける彼女にとって絶対的なマザーが一番ではあるが、基本同じクラスの人間しか立ち入りが制限された0組の教室で、どこか寂しげに笑って教えてくれた黄色のマントを背に宿した少女との関係も、また珍しく大事にしたいと思っていたから素直にお礼を述べた。「魂の抗い」とやらが何なのかは秀才なクイーンやトレイのような頭を持たないケイトはあとでマザーに聞いてみようと自己完結させ、目の前の少女に誘いをかける。「ねえ、次の授業までまだ時間あるよね? リフレで一息入れよ!」「うん。わたしもちょうど行きたいと思ってたの」唐突な誘いなのに、心底嬉しそうに少女は微笑む。道中、花を見つめていたデュースを引き連れ少女と一緒にリフレへ出向き季節限定のスイーツを頬張ったのだった。


 ……それも、もう、指折り数えても見い出せない螺旋の果ての向こうで交わした会話であるが。


 クリスタルの恩恵と称した死者の記憶を抹消させるこのオリエンスにおいて、誰もが交わした約束を軽んじる者はいない。抹消されるのは死者に関する記憶のみで、かれらに抱いた途方のない感情はまるで心にぽっかりと穴が穿たれたように、残された者は虚無と共に生きなければならなかった。
 クリスタルの恩恵は、絶対である。それがオリエンスに生きる者たちの常識であり、疑う余地すらない現実だ。さらに、ごく僅かな限られた存在だけが知っている螺旋の巡りの中で、何もかもを失う者だって少なくはない。

 だからこそゼロは大切だと感じる相手との思い出を、ずっとずっと覚えていた。どういう訳か己の知る世界とは別物の、それでいて根幹は同一の世界にゼルディア・コノハナとして転生を果たしていて、加えてクリスタルの加護なく魔法を扱え死者の忘却も訪れない異端者。いつの巡りも決して変わることのない概要に適応し始めたのは、数十巡目あたりだろうか。

 最初の巡りは、それはそれは大変だったと記憶している。

 状況が理解できない中で右も左もわからずベヒーモスに襲われるわかち上げで意識を失うわ、目が覚めたら覚めたで知らない誰かに引き合わされるわで処理落ちしかけた頭で唯一分かったのは、ベヒーモスの襲撃から助けて運び込んでくれたのは眼前で心の底から安堵したように胸を撫で下ろす、知っているけれど、でも知らないエースということだけ。
 そこからも驚きの連続だ。
 誰も彼もが椋宮詩織のことをゼルディアとして認識している。椋宮詩織ではなく、不思議な髪色を持つ肉体に名付けられた個体名として。休む間もなく魔導院をふらふらと回ればすれ違ったり心配の言葉を投げかけてくれた0組であろう面々の、全て違う色のマントに、変わらない長話を披露するトレイの前で発狂しなかった自分を褒めても許される程に、ゼロは困惑しきっていた。いや、一瞬たたらを踏んで短いスパンでまたもや気を失ってしまいそうになったが、そこは謎の矜恃で耐え忍んだ。聞き覚えのない候補生総代という肩書きを持つ勝気な少女に促されるがまま、ゼロは名乗った。総代はミユウ・カギロヒと言った。知らない名だ。彼女を支える補佐役がクイーンであるのはらしくて無意識に笑ってしまう。
 名前や出自、性格は知っているのに何も知らないこの世界でようやく生きなくてはならないと察した時に全部を投げ出さずにいられたのは、きっと今は普通に逢えなくなってしまった大人しくも思慮深く優しかったトオノ・マホロハと、明らかに挙動不審で日々を全力疾走していたゼロを見放さず、長く続く白虎との戦争の果てに守ると言ってくれたエースのおかげだと言えよう。まさかエースが歌を知らず、自分が「あの唄」を教えることになるとは夢にも思わなかったけれど。

 そうして、いまは何巡目だっただろう。三万をゆうに超えた巡りなのは分かるが、正確な回数が出てこない。
 拭い去れない過去への執着と、手放したくなかったふたりの掌への憧憬が今日も今日とてゼロの心に広がっていき、午前の授業が終わった瞬間3組の教室から飛び出さんばかりに駆け出し、ゼロは一番心安らぐ場所へと急いだ。
 今回自分に頼れる友人は数少ない。当然である。こちらが覚えているだけで相手方は砂の一粒のごとく違和感しか覚えていないのだから。

「あーー……」

 大魔法陣が起動した先は、独特の匂いをまとわせる、愛くるしくとんでもない脚力を持つチョコボ牧場。魔導院内にある施設だけれど澄み切った青空が見え、小さな命たちが駆け巡るこの場所が、ゼロにとって落ち着けるところだった。
 ゼロの来訪に気がついたヒヨチョコボがひと鳴きし、突進するのではという勢いで顔面目掛けて飛んでくる。その背後には見慣れた姿が伺えた。「お?」ぱちぱちと瞬かせ、ゼロに気がついた。

「ゼロじゃないか。どうしたんだ今日は。いつも来るのはもっと遅い時間だろ?」
「イザナ。こんにちは。……あーはは、ちょっとつかれちゃって。チョコボの体に顔を埋めて寝たい気分なの」
「ははは! なんだそりゃ。なんかあったのか?」
「あったといえばあるし、なかったってこともあるよ」

 自分でも阿呆らしい言い回しに自嘲げに薄笑いを浮かべ、チチリと共に歩いてきたイザナ・クナギリと向き合う。
 彼もまた、ゼロが有する友人の一人であり続け、よくしてくれる存在だ。チチリも可愛らしいし、イザナも話しやすく気安い性格のおかげかいつだって何かあっても、なくたってここへ訪れていた。

「ま、誰だって悩み事のひとつやふたつやみっつやよっつあるか」
「それはありすぎじゃない?」
「ほら、あそこに朱色のマントの候補生がいるだろ。あれはきっとチョコボが好きだぞ」
「その自信はどこから来るわけ」
「? チョコボ好きに悪いやつはいない」
「…………」

 見事な極論にもはやツッコミを入れるのさえ忘れ、指差す方角へ顔を寄せる。

「……なんだかなぁ」

 視界に入った朱。そよぐ風に吹かれる柔らかな金髪。
 ゼロがこの世界で投げ出さない理由の一位に食い込む候補生が、目と鼻の先に居る。持て余している感情の行先が見当たらない時、それはまるで定められているかのように彼はいつもいつも現れてくれた。甘やかされている、とでも言えばいいのだろうか。果たして。
 だから、なのか。希望を諦めきれなかった。期待しても裏切られることが多い賭けなのに、どうしても諦められなかった。一個人から来る身勝手な気持ちの延長線上にある想いは、幾万回巡ったって消えやしない。

「知り合いか」
「……一方的に」

 噂と肩書きが独り歩きして、半ば腫れ物扱いされている伝説の0組。たった五人の、生ける伝説。最初はエースひとりだけだったのが、他の座を司る彼女らを見つけてきたのか一万回以上前から0組は複数人体制となっていた。だけど、そう簡単に交流が図れたら世の中なんでも叶うわけだ。一万か、それ以上前の巡りでゼロはケイトと親しくなり、その頃からだったか、絶対的な母を演じ始めたのは。けれど慕っていたのは上手くいかずケイトだけだったが。
 魔法で組み上がったカードで手数多く戦場を駆け抜け敵を屠る姿を、何度見てきたのか。まだまだゼロの知る0組と程遠い、人への警戒を自然に持ててしまうエースをじっと見つめていれば、説明した通り気配に聡い彼が気づかないはずがなくて。
 振り向いて、ゼロとイザナを見た瞬間に大きく肩をびくつかせるのだから居た堪れない。

 とはいえ、声をかけない選択肢は最初からなかったが。「ねえ!」突然響いた声に、可哀想にエースはさらに頼りなさげな風貌を演じた。

「あなた、チョコボ好き?」
「……どうだろう、よく分からない。そう……なのかもしれない」
「じゃあこっち、こっち!」

 イザナを置いて勝手に誘いをかけてしまったが、特に気にされず、それでも近寄ろうとしないエースへ痺れを切らし彼の元へ歩みを進める。
 少々強引な手で彼の手を掴んだ。当たり前ながらに身を強ばらせてしまい、なぜだかゼロの心が痛い。

「わたしはゼルディア。ゼロって呼んでね」
「え、……エース。ゼロはここで何を?」
「んー。悩み事の昇華……だったんだけど、エースの顔を見たら吹っ飛んじゃった」

 そう言えば酷く驚いた表情になるエースに、ゼロは畳み掛ける。

「ふふ、こういうのを一目惚れ、って言うのかもしれないね」
「───ひとめぼれ?」
「おーい、おふたりさん。オレを置いて話を進めないでくれ、オレもいるんだぞ。てかゼロ、お前こいつのことタイプだったんだな」
「忘れてたごめん。エース、こっちはイザナ。イザナ・クナギリ。で、心友のチチリだよ」
「クエッ」
「………イザナに、チチリ、ゼロ……か」

 エースは意外と押しに弱い。これも巡る螺旋の中で知った情報だ。弱いと言っても、誰にでもそうなわけではなく。
 言ってしまえば大事な人の押しには弱い。そういうことである。ゼロは魂に強く刻まれる、最初の巡りでふたりは恋人同士だったから。いまのゼロへの気持ちがなくとも、ちいさなちいさな、胸の疼きがあるはずだから。
 予想通り一目惚れの定義すらあやふやな彼に微笑んで、イザナを紹介した。きっと彼の心強い友人となってくれるはずだ。

「さて、んじゃ。わたしとイザナの仲はいいとして、エースと仲良くなってみよっか」
「構わないぞ。やることもないしな」
「よーし! 決定! 拍手!」
「……ごめんな、ゼロのやつ、たまにこういう時あるから」
「あ、ああ。でも、いい子だな」

 「うるさいやい。仲良くするんだよー!」小走りで隅に寄りつつ後ろから聞こえてきた聞き捨てならないイザナの評価に小言を言いながら、遊んで欲しいのか機を見て足元で飛び跳ねるヒヨチョコボに笑ってそこに腰を下ろした。

 胸に巣食っていたどうしようもない憧憬はなりを潜め、ゼロはふわふわの頭を撫でてやり、視線をかれらへ向ける。
 距離があるため何を話しているのかは聴こえない。けど、楽しげに話しているのを見るにうまが合ったのだろう。負に類する表情しか引き出せなかったエースの顔が、柔らかくなっているのがいい証拠だ。

「ここにマキナも加われば、言うことはないね」

 濃い藍色のマントを羽織る後ろ姿を思い浮かべて、ふと、息を吐く。

 そう、そうである。

 ああ、そうだ。

 ゼロはこれを見たかった。自分が生きて、彼らが何かに阻まれることなく、楽しそうに話すふたりのことを。これからも頑張ろうと思えてしまう、尊ぶべき、あって然るべき絆の関係性を。

 チョコボを交えて歓談を続けるエースとイザナの様子を少し離れた場所からヒヨチョコボと眺めるゼロは、なんだか泣きたくなり、静かに目を閉じて膝に顔を押し付けた。

「がんばるから、がんばるから……ね。
          ───わたし、がんばるよ」



 ぽつりと呟かれた小さな声は、どこに行けるわけもなくて、誰かに届かないまま霧散した。


わたしだけが見ている、幸せな夢


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