世界の引金

 ボーダーと呼ばれる場所は、酷くあたたかった。理解のある大人たちが上に立っているからか、生まれついてこの身にまとわりつく呪いのようなちからを気味悪がる人間は、今のところ居ない。
 むしろ無闇矢鱈に未来を聴こうとせず、ありのままの姿で関わりを持とうとする人ばかりで、本当の意味で唯一の理解者だった母さんを亡くしたおれが、ひと握りの信頼を寄せるのも無理はなかった。
 筆頭は冷たい母さんの亡骸から引き剥がし、適切な行動でおれをボーダーに引き取ってくれた最上さん。それから、年齢に似合わず達観とした眼差しと思考を持って、おれを抱きしめてくれたかさね。様々な星と交流をして橋になることを目標とするボーダー内に手を貸す人は、大抵は最上さんたちの旧友かスカウトで引っ張ってきた大人たちがそうなんだけれども、たまにおれと同年代のこどもたちが加入することも多かった。いろんなやつらだった。騒がしくて明るくて、本当に穏やかな未来に満ち溢れているボーダーは、かさねにとっては“世界そのもの”だという。おれのちからは過去を見ることは叶わず、未来だけを視る。だからこそ好奇心のままに元気よくどら焼きを頬張っていた彼女に聞いた。「理由? そんなの」口端についた餡を拭って、かさねはなんてことのないように言葉を紡いだ。
「私は、此処しか知らないから」
「此処しか?」
「そう」
 誰かが躾をしたのか、義務的に通う中学で会う人間とは比べるのも失礼なぐらいに綺麗にお茶を啜り、そうだなぁ、と彼女は何かを考える様子を見せる。
「物理的にじゃないよ? 実際迅くんと同じ学校に通ってるけど、うーん……」
 次いでおれに向けて躊躇いの双眸を向ける。首を傾げた。
「ほとんどの子たちが帰る場所として決めてる、家族がいるところが、私にとってはボーダーにいるみんななの」
「……かさねって、何年前からいるの?」
「此処が出来た当初から。んと、計算して……七年?」
 驚いた。確かにおれが最上さんに連れて来られた時、いろんな人たちと関わりがあって頼りにされている節はあったけど、まさかこんなにも長く所属していたとは。だけど、妙に納得もできた。最上さんたちが幼子の時から育てたのなら大人っぽさも頷ける。
 最上さんを父親代わりと言っていたのも、嘘偽りはなかった。では、母親はどうしたのだろう。しかし尋ねるのはやめた。未来が視えたからじゃない。散々ちからに振り回されて、拒絶された胸の痛みが疼いたからだ。やっと、さっきどうしてかさねが躊躇ったのかが分かった。かさねは、配慮の鬼だと思った。
「五歳になった頃に引き取られてね、いや、拾われたって言うべきかな。まあいいや、捨て子って分かる?」
 普通に喋るようなものじゃない単語だったけど、小さく首を縦に振る。「よかった」笑った。
「誰に捨てられたのか、どうして捨てられたのか分からないことだらけなんだ。おまけに何かを引き寄せるちからも相まって、たぶん、気持ち悪かったんだろうね。最上さんによればボーダー前に捨てられてたらしいの」
「記憶は?」
「ううん。私も五歳なら覚えてるかなって思ったんだけど、不思議なことに丸っとそれ以前のこと、何も覚えてない」
 変な話だよね、とバツが悪そうに頬をかく彼女を見て、ほんの一瞬、未来が揺れた。
 ……えがおのみらいが、一瞬だけぶれた。冗談じゃないと目を凝らすとその未来はいつの間にか掻き消えていて、三度かさねを見ても既に揺れていない。固まったおれを訝しんだのか、目の前で小首が傾げられる。
「……なんでもないよ」
「ふーん? あ、そういえばそろそろお誕生日だよね! 最上さんになにか聞かれた?」
「うん。何が欲しいかって」
「最上さん謎にお金あるよねえ……この前なんて真都ちゃんにワンピース買ってたし」
 一体どこからお金を捻出してるのか疑問に思うも、すぐに興味をなくしたのか転々と話が変わっていくかさねについていきながら、ぼうっと考える。ちからの詳細も、調べてくれてるんだろうけどまだ全容は出てこない。かさねもかさねで、ちからで苦労してきている。
 ……それにしても、誕生日、か。
 今でも思い出すには辛いけど、やさしくて、おだやかな一日になるその日は、よく大好きな人が祝ってくれたんだっけ。ひたすらに愛を注いでくれて、掛け値なしに守ってくれた、だいじなだいじな人たち。

「悠一」
 色濃く焼き付いている、母さんの花が咲いたような笑顔。手には不器用ながらも立派に包装されたプレゼントがあって、嬉しそうにおれに手渡してくれる。ずっとおれを心配して、守ってくれた大好きなひと。……まもりたかった。

「悠一」
 よくやった、と頭をぐしゃぐしゃと撫でる最上さん。額に乗っているサングラスが今日も今日とて格好いい。かさねとおれに居場所をくれた、最高で最強に憧れたひと。

 たたかって、たたかって、たたかっても。
 ふたりのことは守れなかった。
 蜃気楼のように揺らめいて、影すら残さない彼らの残滓を追って、おれはからからの口で叫ぶ。待って、待って、待ってくれと。置いて行かないで、どこかに行くのならおれも一緒に。
 悠一、と呼ぶ人間は、ごく僅か。彼らが呼ばなくなるのなら、呼ぶ者はいなくなる。おとしごろってやつの年代の異性を名前で呼ぶ人は居ないだろうし、別に呼んで欲しいとは思わな………。
 …………いや、おれは。
 うそだ。いるにはいる。培ったずる賢い知恵を使って、おれは彼女に強請ったじゃないか。それから毎年、呼んでくれる人がいるじゃないか。

「それなら私が呼ばなきゃ、あとは誰が呼ぶの? ―――― 自分だ、なんてもう聞き飽きたよ」

 そう言ってくれたじゃないか。

 大事で、
 大切で、


 ――― かけがえのない人が。



「“悠一くん”」

 ――― そこで、白昼夢にも似た幻影は消え去った。
 嗅ぎ慣れてしまった異臭ではおれの意識を揺さぶることは出来なくなってしまったらしい。手に風刃あのひとが在ることを確かめて、漸く夜の帳が下りた現状を把握する。置き去りにした冬の風が、生温くて心地のいい春風に変化した季節に、おれは。
 そうだ、……今日は。
「お誕生日おめでとう、悠一くん」
 自発的に動く前に、息のひとつ乱してないおれと視線を合わせるために屈んだかさねが柔らかい微笑みと一緒に、祝詞をくれた。
 顔を見る。記憶の縁にひっかかるあどけなさは成りを潜め、しかし子供っぽさを存分に残したかさねの表情に張り詰めていた気が緩むのを自覚して、へらり、といつも通りの笑顔を浮かべて笑った。かさねは大事なものを精一杯抱きしめて、おれの名前を呼んでくれる。異物の上で交わされる会話じゃないだろうけど、もう毎年行われていることなので特段誰にも何も言われない。というか、言われたらおれがとことん駄々をこねるので問題は無いな。
「はは、ありがとう。秒刻みしてくれたのか」
「もうバレちゃってるだろうけど、日中は玉狛で祝うんだから、防衛任務で一緒の私はちょっとだけ抜けがけさせてもらったんだ」
「そうかぁ……小南のカレーうまいもんなあ」
「栞ちゃんもレイジさんも、とりまるくんも陽太郎も楽しみにしてるよ」
「かさねは?」
「ん?」
「かさねも、楽しみか?」
 我ながら、ずるいと思う。でも聞かずにはいられない。一寸たりとも揺れない未来に内心ほっと息をついて、急かすように彼女のまだまだ小さい手を掠めとる。
 互いに戦闘体であり、痛覚やら何やらを遮断しているためにあるはずの温もりは感じ取れないけど、そんなのはどうでもよかった。
「楽しみだよ。だって、悠一くんがまた一年生きてくれたって証だもん」
「……そっか」
 本気でそう思ってくれるかさねに溢れんばかりの衝動を小柄な体を抱き上げて、落とさないように上へ持ち上げた。無論、がりがり腕を引っかかれてしまうが。
「ちょっと! 子供扱い、やめてってば!」
「ははははは」
「無視!? ああもうっ誕生日じゃなかったらトリオン器官貫いてやったのに……!」
 ぽこぽこと弱く殴り掛かるかさねに笑いをこぼして、その体ごと抱き寄せる。自分にはない柔らかさがおれを包んで、離す。うん、かさねがいる。
 モノクロの世界に、彩りを取り戻してくれた彼女の存在が、今年もおれの傍に居る。それがどれだけの奇跡なのか、おれは痛いほどよく分かっている。自分の身を蝕む力――― 副作用サイドエフェクトとも昔より上手い付き合い方も学んで、できることだって沢山増えた。だけど、人が離れないために何をすればいいのかは、正直言って未だ分からない。だから願うしかない、祈るしかないのだ。我楽多だらけのこの世界で、いつだっておれを見つけてくれる彼女が傍に居てくれるように。

 母さん、最上さん。悠一はまたひとつ歳を重ねましたよ。
 もうすぐおれは、一般的に大人だと判断される齢になるよ。生きて今年もまた、おれを心から必要としてくれるかさねの未来を見届けるからさ。

 ひかりの向こう側で、見ててね。

午前零時の贈り物




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