世界の引金

 夢を見たの。……怖い夢? 悠一くんが、離れていっちゃう夢。
 星の見えない夜半、お世辞にもいい夢だとは言えない夢に魘された私は水を飲もうとリビングに降りてきた。そこにはタイミングがいいのか悪いのか、渦中の存在が電気もつけずに冷蔵庫の扉を開け、中を物色していて。夢の内容なんて話す気もなかったのに、些細な変化でも気づけてしまう悠一くんの前では粗末なもので、私はぽつぽつと、冒頭の言葉を吐き出したのだった。
「はははっ」
 彼は笑った。無邪気に、しょうがない子供を相手にするように。
「わ、笑うとこじゃないでしょ!」
「だって、まさかかさねがそんなこと言うとは思ってもみなかったからさ」
 悪い悪い。と飲むか、と言いたげに差し出されたコップを受け取り当初の目的の水を呷る。先程までからからにかわいていた喉が、僅かに潤った。
「物理的にまず離れるのは不可能だろ〜?」
「そんなのは知ってるよ……でも」
「不安?」
 子供扱いだとしても、きちんと話を聞いてくれる悠一くんに小さく頷く。すると、彼は頬を緩めて大きな手を私の頭に乗せるや否や。
「わ、わーー! ぐしゃぐしゃにしないでー!」
「あはは! 生身だから大変だなぁ!」
 遠慮なし、手加減なく髪の毛を掻き混ぜてきた。幼子にする撫でつけ方と同じ感覚で、トリオン体ではないから治すのが億劫だ。……はぐらかそうたって、そうはいかないんだから。反抗の意を込めて声を上げかけた時。「だいじょうぶだから」思うより近くから、声がした。
「おれは、かさねから離れないよ。ずっと、なんて気休めかもしれないけど、かさねが必要としてくれる限り、おれは一緒にいる」
 そっと抱き寄せられる温もりに、張り詰めていた心が和らぐのを感じる。背に回った両腕に縋るように、私もまた彼へと腕を回した。
「……うん」
「約束だ。―――― おれは、かさねの傍にいるよ」
 甘い熱を持った青の眼差しに射抜かれながら、私は今度こそ自然の笑みを浮かべて微笑んだ。

***

―――― うそつき」
 砂塵が舞う。破砕音に、爆裂音。鼓膜を貫かんばかりの大音量なのに、なにも届かない。
 痛覚が麻痺して最早痛みすら感じない体は、もう一歩も歩けなかった。否、歩きたくなかった。侵攻してきた国を押し返すべく奮闘する味方同士の通信がひっきりなしにインカム越しに聴こえてくる。
 二度目の、爆発音。
 じわ、と米神から止めどなく滴る血にさえ気にかけず、どこか他人事のような感覚の中、私はそれに手を伸ばす。
 いつか共に過ごした、あの夜のような色の中に、澄み切った青空を埋め込んだみたいに淡く、光るそれ。―――― まちがいなく、ゆういちくんの、黒トリガーだった。触れて、掴んで、胸元に抱きしめて、温度もへったくれもない黒トリガーに力を込める。「なにが、」
「なにが『このせかいでいちばん、あいしてる』よ……!」
 口をついで出たのは、もう応えが返ってこない相手への憤り。ずるい、ずるい、ずるいずるい! そう言われてしまっては、わたしは戦うしかないではないか。離れないで、そばにいて。そう言った。でもそれはこういう意味じゃないのに。
 あなたという存在が居なければ、だめなのに。
「うそつき」
 もう一度掠れ声で絞り出した言葉は、虚しく、宙に浮かんで消え去った。

 脳裏で、ひどいな、と笑う彼の姿が過った。


続きません(たぶん)

うそつきとひとりぼっち




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