短編 | ナノ


俺が生まれたその日を、



 ――――昔から、自分の生まれた日というものを好きにはなれなかった。
 いや、個性が発現する前は純粋に、誕生日の仕組みを理解できないままに母や姉や兄、そして幼なじみに祝われていた。だから、好きも嫌いも、ない。
 では、明確にその日に嫌悪すら思うようになったのはいつだったか。……そんなものは簡単だ。母が、耐えて耐えて耐え続けてきた心を決壊させてしまった、あの日から。俺にとっての誕生日は、母の心を崩壊させた己の誕生という目印にしかならなくて、ずっと、ずっと他の日と変わらぬかのように過ごしてきた。でも姉さんはどんなに忙しくても俺のためにケーキを買ってきてくれていたし、幼なじみは、愚かな俺にどれほど無視されても怒鳴られても、優しい笑顔で『おめでとう』と言ってくれていた。そう、どんなに、邪険に扱われても。
 体育祭できっかけをもらって、仮免試験で見ないふりをしていた己の血と向き合って、幼なじみと、ぎこちなく手を結び直して。まるで十年の隙間を埋めるように彼女と共に過ごすようになってから、今になってから、ようやく気づく。好きにはなれない誕生日が、どうして嫌いにならなかったのか、その理由を。嫌悪とは言ったものの、あれは単なる隠れ蓑だった。頬をほんの少し赤く染めて、俺に言祝ぐ彼女がいたから、好きにはなれなくても嫌いには、なれなかったんだ。

 そして、それを思い知ってから初めての誕生日が今日だった。

 どこから漏れたのかは分からないが砂藤の特製ケーキに、友人たちからのお祝いの言葉。あそこまで素直に受け止められたのは、やっぱり、汐のおかげでもあって。つい、自然と彼女の姿を甘いクリームの載ったスポンジを口に含みながら追ってしまう。「汐ちゃんファイト!」「きっと大丈夫ですわ」「うん!」どうやら、麗日と八百万と向かい合って話しているようだ。
「おいおい轟さんよ〜〜伊月のこと見すぎじゃねえ?」
「……そうか?」
「自覚なしかよこのイケメンが!!俺らと話してる時もずうううっと熱い視線を伊月にむけてたじゃんかよ、見てるこっちが火傷するわ!!」
「炎は出してねぇが」
「そうじゃねえよおおおお!!」
 隣に座った上鳴と峰田が頭を大袈裟に抱えて吼える。いつの間にか近くに来ていた蛙吹が、気にしなくていいわケロッ、とふたりを回収していき、代わりに緑谷と飯田が揃ってお祝いしてくれた。
 たぶん、いま心に浮かび上がった感情はきっと、楽しいと、嬉しいだった。

*****

 ……コンコン。

「、誰だ?」
 夕食時の騒がしい時間も過ぎ、それぞれが自室に戻るなり自主練をするなり引き上げる者が多くなった時間帯。俺は自分の部屋でお母さんへの手紙をしたためていた。少し前まで、何を話すのかさえつっかえつっかえだったそれも、回を重ねていくにつれて躊躇いも消えてなくなっていた。いい変化、なんだと思う。箪笥横にはみんながくれたプレゼントの箱が積み上がっていて、後で開けよう。
 そんな時に、ノックが響いたのだ。
 緑谷たちだとしたら一度連絡を入れてくるはずだろうし、常闇たちならもうちょっとだけ力強いものだった。だから見当がつきにくく問い尋ねた。
「焦凍くん、休んでるとこごめんね。わたし、汐」
「……汐?」
 声を聴いた瞬間には腰を上げて、かけていた鍵を外していた。
 扉を開けてやれば目の前には恐らく風呂上がりであろう汐が、両腕を背後に回して佇んでいた。しっかり乾かした雪みてぇに真っ白な髪はゆるく結ばれており、体温が上がっているせいか首筋はしっとりしていて、同じ石鹸を使っているはずなのに鼻腔をくすぐる甘い匂いは、間違いなく彼女から香って、すこしだけ、落ち着かない。
 ……なにいってんだ、俺。
「お邪魔しても大丈夫かな。無理ならまた時間あらためるけど……」
「いや、平気だ。これ逃すと消灯時間がきついだろ」
「それもそっか。じゃあ、おじゃまします」
「おう」
 律儀にも軽く会釈をして敷居を跨ぐ汐を室内へ招き入れて、隅に置かれていた座布団を差し出すと笑ってそれにすとんと腰を落とした。俺も、書きかけの手紙を丁寧に端に寄せて、視線を彼女に戻す。別に彼女が自室にいるのはもう珍しいことではない。それこそまだ無邪気に遊んでいた頃にも実家の部屋で、こうやって汐が俺の部屋にいたことだってある。
 高校に入るまで、再び汐と笑えるなんて思いもしなくて、焦がれてもなかった過去の俺に伝えてやりたい。彼女はずっと、俺のそばにいてくれてるんだと。
「もしかして、冷さんのお手紙書いてた?」
「あぁ……お母さん、汐が来てくれるの楽しみにしてるって」
 実際、お母さんにとって汐は同級生の娘で、一緒に過ごせたのはほんの僅かだったが大事に思っていたのは確かだ。縁側で見上げた川辺で行われた花火大会の打ち上げ花火は、色鮮やかな光を放って、封じ込めていた思い出の中でもいっとう大切な、記憶だった。
 俺も、汐とお母さんがまた笑って話をしてるところが見てぇ。壊してしまったのは俺だけど、それでも、見てぇんだ。
 そう思っていると、微かに眉尻を下げて苦笑いをこぼした氷麗が口を開いた。「実はね、」
「昨日早めに授業が終わって、急いで冷さんのとこにお見舞いに行ったの」
「え、」
「言うべきことかも、とは思ったんだけど目的が目的だったから、その、言うに言えなくて……」
 ごめんね、と紡ぐ汐に拍子抜けというか目まぐるしく動く展開に追いつけないだけで、別に複雑な感情はひとつもない。昨日、だからあんなに走ってたのか。「それで……」後ろ手に持っていたのだろう、薄縹の小花柄が刺繍された上品な小さな長方形。何なのかを認識するより早く。
「じゃん!」
「お」
「なんと、冷さんよりお手紙を預かっています!」
 差し出された手紙の差出人名は、見慣れた名前。
 間違いない、お母さんの字だ。しかし事態と事態が結びつかず、首を傾げた。
「当日に届けられたらいいなって前々から相談は受けてたんだよ、冬美さんを通じてね。そしたらちょうど昨日は金曜だったし、自由に動けたから。あと……」
 手紙を受け取って封を切る。二枚の紙にやさしい文字が並んであって、無意識に頬が緩んでしまった。そして次に手渡されたのは、ベージュの小箱。汐を見遣るといいよと言わんばかりに頷かれたので蓋を開けて中を見て。

 ――一瞬、息が止まった。

 そんな俺にお構い無しに彼女はそっと手のひらを添え、目を伏せる。
「……お誕生日おめでとう、焦凍くん」
 何度も、何度も何度も贈られた、俺の誕生を祝う言葉。
 同時に贈られたのは、幼稚だった自分がやけになって振り払い、一度は床に叩きつけられたお守りだった。見間違いでは、ない。五年前に発売された、数量限定のオールマイトモチーフの、健康を願うおまもり。新品のようにまっさらで新たに購入したのかと頭を過るも、すぐにそうじゃないと気づく。
 これは、……これは。ずっと幼なじみがもっていた、心遣いの欠片だった。それを、大切に、大事に、もっていてくれた。
「きみと出逢えてほんとうによかったって思ってる。……いっぱい遠回りをしちゃったけど、たくさん、たくさん傷つけてしまったけど、こうしてきみと幼なじみに戻れたこと、ほんとうに、うれしいんだ」
 伏せられていた青い眼差しが、昔とかわらぬ光を宿して俺を見つめる。その目に映る自分の顔は、情けなくも歪んでいた。
 ……汐、なあ、汐。

 おまえ、やっぱりすげぇよ。

「ほんとうに、おめでとう。――なりたい自分に、なれますように」
「……あ、りがとう、俺の、方こそ」
「うん」
「おまえと、またこうして、話せるようになって」
 ――――うれしい。
 その言葉が最後まで言えたのかはあやしい。ゆっくり汐の目が細められて、心底、嬉しそうに笑うから、右手で目元を拭う。
 いつも考える。俺が思い返しても、傍から見たってとても酷いことをしつづけてきた男にどうして、どうしてここまで優しく笑えるのか。なぜだか、今なら想像ができる。
 どうしたって俺を大事に思っていてくれることを、もう、知っているから。
 オールマイトのおまもりが滲んで見えるのは、満たされた心の反映だろうかと考えたらなんだかおかしくなって、泣きながら、笑ってしまった。

 ……一月十一日。俺が生まれた、冬。
 幼なじみと手を繋ぐためにいのちの産声をあげた、俺の、誕生日の話。









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