短編 | ナノ


かろやかな心中



 妙に寝苦しくて目が覚めた。
 真冬突入まで後幾ばくかの猶予もないと日中の番組で云われていた今日だったが、夜になればなるほど冷え込みが増し、これが冬本番ではないのならこれから牙を剥く冬の夜が大変恐ろしい。だから、というか自然の摂理で羽毛布団を頸あたりまで掛け、寒さを凌いでいたから若干の重さと苦しさは予想範囲内であったのに容易に上回る苦しさが体中を駆け巡っていた。特にお腹、お腹が苦しいのは数時間前に食した味噌汁やらが出てきそうで、いただけない。
 凶悪犯罪の常習で有名な裏社会を牛耳るポートマフィアの拠点が街の一等地に有るというだけでも治安は悪いと云っても過言ではないのに、自宅の鍵を閉め忘れるなんてどうぞ襲ってくださいと誘っているようなものだ。故に、絶対にそんなことはないと言い切れる。そんな状況下で寝苦しさの原因である腹に両腕を回し、足を絡ませる人なんて一人しかいなかった。

「……太宰さん。太宰さん、起きてますか?」
「起きてますん」
「どっちですか。……そっち、向きたいので少しばかり力を緩めていただけると、非常に助かるのですが」

 普段の飄々とした声色ではなくただ聞かれたから返しただけのどこか気だるい声に、私はああ、と何となく彼の身に起きていることを察してしまいもぞもぞと芋虫の如く体勢を弱まった腕の隙をついて反転させた。緑のループタイが見えるのと同時にぎゅっと加減されていない力で抱き寄せられ、おおよそ女らしくない蛙の潰れたような声が喉から飛び出し、もう少し緩めろと腕を小突けば渋々といった様子で緩んでいくのを感じ、けれど、それでも私の寝間着の裾を握るのをやめない太宰さんは矢っ張り───弱っていた。

「いつお帰りに?」
「二、いや…三時間前……? ……よく判らない。何件かはしごして、そこから……色んな酒をちゃんぽんして死ねるかなあ、そう思ってたら如何してかここに来てた」

 びっちり染みついた酷いアルコールの匂いが鼻をつつき、弱ると同時にこの人はその弱さを逃がしたり発散させる手段が圧倒的に少ないと改めて痛感し、失礼しますと前置いてループタイを解き襯衣シャツを開かせる。これなら、微かに息苦しくない筈だ。
 ふう、と息を吐いて凝然じっと一連の動作を眺めていた太宰さんを見上げれば、其処には思わず鼻を覆いたくなるほどの酒の香りを纏っても尚、平然とした顔つきをしていた。本当に、この人は。
 怖いぐらいに頭がよく回り、常人なんかより二歩三歩どころか千歩先の未来さえも数多の可能性から弾き出し、最適解を要する太宰さんは酔っぱらうことがない。否、死ぬほど飲めば如何なるかは判らないけれど(しかも死ねるのならそれはそれでこの人は喜ぶ人種だ)、私の記憶している限りの宴会や宅飲みではたらふく飲んでいると見ても顔が赤くなるどころか、酔った同僚のからかえる醜態ネタを探すなど前後不覚になったことはただの一度もなかった。
 背に回る手をゆっくり握れば、倍の力で握り返される。
 弱味を見せれば直ぐに付けこまれる世界に嘗て身を置いていた太宰さんは、凡ての経歴が消えた今でも常に余裕を崩さず隙を作らせなかった。その脳内で様々な可能性や懸念事項を瞬時に取捨選択を行って失敗を限りなく細くする為に後方支援を主とし、必要とならば自らの身を危険に晒してでも情報を持ち帰り、私達が働いている武装探偵社の有利となるように動けてしまえる。勿論、彼の作戦立案が失策しくじったことはなく……なんだか、ないないだらけだなぁ。

「子供体温なのかなあ、すごく、ぬくい」
「二十歳超えてる女を子供扱いするの、太宰さんと中原さ───」
「……中原、なんだって?」
「………………素敵な帽子を被った人ぐらいですよ」

 狡くやらかしを感じて閉ざした口を無理にこじ開ける太宰さんの様子を伺い乍ら、個人名は何が何でも伏せて洩らす。私が二の句を告げる前に心底厭そうな顔をして、さいっあくだ、と溢す太宰さんは、子供のような目をしていた。
 ───まだ私達がマフィアに在籍していた頃。私は異能力の効力故に先陣を切ることもなければ拷問の手伝いさえしたことがない雑用係だったけれど、太宰さんと先程告げかけた名の持ち主は畏怖と尊敬を携えた双黒そうこくという通り名を欲しいままにしていた。力の相性が善いのなら、仲も善いのでは? と考えていた時期もあった。あったとも。実際は会えば即喧嘩をし、挙句の果てには壁をぶち抜く器物損壊の激しい肉弾戦に縺れ込むことも、なくもない程度には可也独特の関係性を築いていた。本人達は食い気味に否定したがるだろうけど、彼らは彼らなりに互いの力を正しく理解していたと思う。…凡人には思考の読めない希死念慮を持つ太宰さんは、善く世界の凡てをどうでもよさげに眺めている時があった。仮令たとえ恋人であったとしても、踏み込めない領域染みたそれは敢えて言葉にしてみるのなら、孤独、なのかもしれない。物理的な意味ではない。森羅万象の凡てを予測し得てしまえる太宰さんは、いつも日常を退屈そうに過ごしていたのだ。
 閑話休題。
 子供扱いをすると云ったけれど、まあ、直ぐ撤回する羽目になるだろう。その答えを私は既に持っているし、知っている。

「蛞蝓と同等だと思われるのは癪だけれど、……ものすごぉく厭だけれども。私は君を、子供として見たことはないよ」

 明確な色を宿した眼差しが私に向いたと肌で感じた途端、赤子の手を捻るような手際でいつの間にか布団に押し倒されていた。

「この体が一番よく知っていたと思っていたのは、私だけかい?」
「……いいえ」

 知っているとも。伊達に数年間彼の恋人をやってきていない。
 自分ですら太宰さんに会うまで知ることはないだろうと踏んでいた色んなことを、この身を以て教え込まれているのだ。鳶色の瞳に過る揺れる焔を見てしまったからには、夜がまだまだ長いことを示していて、降りてくる温もりを抱きしめようと目蓋をそっと閉じた。



***



「───……懐かしい、夢を見てたんだ」

 汗ばんだ体の熱気を冷まそうと、よれよれの包帯を弄って遊んでいたら上から囁き声に似た呟きが聴こえてきて、無言で私の髪を慈しむように梳いていた太宰さんを見上げた。

「私が飽き飽きと任務のことを話して、彼らが思い思いに感想を述べていく。酒を飲み、些細なことも凡て話して、………楽しかった」

 『マフィアになるために生まれてきたような男』、そうまことしやかに云われる最年少幹部だった太宰さんには二人の地位の垣根を越えた友人がいたのは、時折混ぜてもらうことがある私は知っていた。殺さずのマフィア、マフィアの凡てを識る男。振り分けられる任務は特色が違った筈なのに同じバーで約束も取り付けていないのによく一緒に飲んでいた、私から見れば友人関係だった彼らの縁は或る日突然、断ち切られたのだという。
 そのうちの一人が、死んだから。彼に懐いていた太宰さんは間もなく失踪した。君は此処に居るべきじゃないと森さんに云われるがまま構成員の精神安定を任されていた私の腕を引っ張って。
 子供扱いをされていないのを知っているのと同様に、私はあとひとつだけ知っている。
 仮令若し、太宰さんが異能力を無効化する力を持っていなかったとして。私の異能力を借りたいと申し出ることは、たぶん一生ない。如何に毎日勤務中に佳い自殺場所や自殺法を探し、美人を見掛ければ口説いてみたり一見ちゃらんぽらんに思える彼は、良い意味でも悪い意味でも誰よりも理性的な人間だ。ここぞという場面では才能を遺憾なく発揮し、戦場を裏から操ることだって容易い。
 だから、どんなに弱ったって太宰さんは過去を消したりはしない。苦しくても向き合って、ある意味で彼は生きる意味を探し続けるのだ。自分の異能力───【思ひ出ゆめはみ】がとことん皮肉なように思えてしまってしょうがなかったが。

「太宰さん」

 それでも。

「明日仕事帰りに海の見えるお墓に行きましょうか」

 かの人が太宰さんに願ったように、私もまた、この人に生きていてほしいのだ。
 どんなに厭がられたって自殺は防いでみせるし喚かれても絶対に側を離れるもんか。話せないことがたくさんあっても私が見てきた太宰さんが嘘だとは思わないから、小さくて頼りない手だけれどみんなと力を合わせて太宰さんを支える。間違いだと恐れない。
 けれど若し、若し。生き残る可能性を限りなく零にして死ぬと云うのなら。どうか、どうか私を連れて行って。太宰さんが引き抜いてくれなければ私は黒の世界しか知らず、いたずらに生を消費していただけだろうから。共に堕ちた先でも、繋いだ手は離しやしないから。隙間を微塵もなくすために規則的な呼吸をする胸元に顔を寄せて、確かに感じられる温もりに安堵の念を覚えた。

 昇華できない思ひ出を、誰もが持っている。抱え乍ら生きていく横浜を鮮やかな光を放つ月だけが見ていた。



※異能力名は文豪 太宰治著書「思ひ出」より
 概要:悪夢の内容を具体的に話してもらい、対象に触れることで記憶を搾り取る異能。









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