短編 | ナノ


隠しごとがお上手ね



 まだ誰も出勤していない自分の部署オフィスに足を踏み入れてすることは、日当り良好のキャビネ上に置かれたサボテンの水遣りだったりする。
植木鉢からにょきっと生えるその子の左側面には二個の黒い染みのようなものがあり、それがチャームポイントで部署───広報企画部内ではひとつのマスコットと化していた。『なんとも言えない顔をしているよな』『不機嫌な人と言われると頷いちゃう』などなど、感想もそれぞれだ。
 自席のパソコンを立ち上げてから、専用の如雨露に水を汲んで戻れば、心做しかサボテンもうきうきとしているように見えてしまうのだから、錯覚というものは恐ろしい。ちなみに、名前は勝手に黒い染みがホクロに見えたのもあって、高校時代お世話になった先輩にちなんで【キヨちゃん】である。
 水を遣るその間、壁に設置された勤怠管理のシステムに社員証を通して如雨露を片付けに行くタイミングで少しづつ同僚や先輩たちが出勤してくる。「おはようございます」挨拶をしながら備え付けの給湯室へ向かった。そこにあるカレンダーの日付に、朝起きてからずっと緩んだままの頬が再びゆるみきってしまうのを感じて、きゅっと引き締める。

 ……ああでも、ゆるんじゃうなぁ。

 今日は世間には秘密だけど、社内では公認されている恋人が珍しく出勤する日だ。


▼▼▼▼▼


 出身は宮城なのに、大阪に本社を構える自動車部品メーカーへの入社を決意したのはひとえに、父が日本製の車好きだったのと中学の修学旅行で大阪に出向き、幼いながらに将来生活するなら大阪府がいい!と考えていたからだった。
 高校時代で稼いだバイト代をフルに使用して、比較的治安のいいアパートを借りて高卒でも正社員として雇ってくれたムスビィに初出勤を果たしたのが四年前のこと。そうして、その人は新品の社員証を首に下げて両手を腹の前で握りながらやってきた。記された部署名は海外事業部。うちの広報企画部とは深い縁を持った部署だなぁ、と呑気にしていたが。


「さっ……佐久早聖臣さん!?」


 部長が紹介をするよりも先に、見覚えのありまくる顔に声が飛び出てしまった。ハッと口元を押さえるも遅く、ぱちぱちと目を瞬かせた佐久早さん≠ニ視線がかち合ってしまい勢いよく頭を下げた。幸い、空気を切り裂く一声でも他の方々は許してくださり、そしてどういうわけか知り合いならわたしを軸に連携をはかったらどうだと提案される。新人のわたしが拒否できる立場などなく、苦笑いで頷いたのだった。

「えっと、じゃあ取り次ぎの方法からお教えしますね」
「……はい」

 頼んだよ、と部長に肩を叩かれてしまっては元々拒否できない身といえども、改めて背負った職務の重さがのしかかる。少なくとも佐久早さんにとっては不審な動きしかしていない人と奇しくも組まされたのだ。僅かに覇気がない声なのも納得であった。ミーハーだと思われたらどうしようとか、いや説明をしてしまえばミーハーなのは間違いないのだけれど、そうじゃなくて……。「あの、」「はい!?」

「全然、違ってたら別にいいんですけど、あの……六年前の人ですか」

 人間、驚きすぎると固まるのだと知った。
 ぐるぐる考えていたわたしに投げかけられたのは、花丸満点をあげられるほどの正解で。バレー選手の中ではひときわ有名だったあの佐久早聖臣に反応したんじゃなくて、この人とは、もっと前に不思議な縁を結んでいたのだ。

「その……すごくバレーが好きな同級生がいて、どんななのかなって、たまたま夏休みと被ってまして距離もそこまで遠くなかったから、……はい、インハイ本戦会場にいました」

 社会人とは到底思えぬ説明下手に、自分でも落ち込む。しかも。

「以前は言えるはずもなかったんですけど、優勝おめでとうございました!」
「……イエ、……ありがとうございます」

 ぴくっと肩を震わせて、静かに返事をする佐久早さんを目にしてもう埋まりたい気持ちになった。
 ありがとうございましたってなんだ、ましたって。六年前のことを今更ほじくり返されて祝福されるなんて、佐久早さんだって意味がわからなすぎるだろう。う、埋まりたい。
 簡単に言えば、一人で会場まで訪れたのはよかったのだが、あまりの広さと応援の圧迫感から迷子になりかけていたところを二日目の試合を消化した佐久早さんと、おそらく古森元也さんに助けてもらった。事前情報で優勝候補校のエースだとは知っていたが、まさか関わりを持つとは思っていなくて大層焦ったのだけは覚えている。
 さ、佐久早さんが一瞬に程近い空間にいたわたしを覚えているのは想定外だったけど……。

「……すみません業務説明に戻りますね。わたしが籍を置いてるのは広報企画部といって、佐久早さんのいる海外事業部とは緻密な連携をしているところです」

 とはいうもののたぶん、というかきっと佐久早さんは選手としての割合が強いだろうからこういった業務は滅多にしないのだろうな。でもする可能性のある仕事だから、手は抜かない。提携業務までの説明をし終えて内心安堵しているともう一度あの、と声をかけられた。

「──これから、よろしくお願いします」

 軽く頭を下げられて、あ、と何かを思うより早くこっちも頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願い致します」

 どこかほっとしたような顔を浮かべる佐久早さんが気にかかったけど、踏み込みすぎるのもよくはないよね、とその時は特に気にせず広報企画部オフィスに戻ったのだった。


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「────上の空」
「あっ、佐久早さん。す、すみません」

 ぱちん、と風船が破裂する感覚で過去に馳せていた意識が現実へと切り替わる。
 目の前には怪訝そうな表情の中に少し心配の色のまじった顔の佐久早さんがいて、ああそうだと把握した。二階フロアの食堂でいっしょにお昼を摂っているんだった。わたしたちの他にもお昼休みをとってる社員さんたちがいる食堂は、なかなか大きいフロアで、日替わり定食やらうどんやら、購買のパンも売られている。
 こうやって向かい合って昼を共に過ごすのもだいぶ久しぶりだったせいか、出会いまでも遡っていたらしい。意識をしっかりさせつつエビピラフを口に含む。うん、今日もとっても美味しい。

「前回のリーグ戦の見逃し配信観ましたよ。やっぱり、レシーブが強いですよねRAIJIN……」
「次は勝ちます」
「ふふ、応援しています」

 佐久早さんと他愛のない話をするのがうれしくて、どんどん頬が緩んで、もう緩みきってるのではないかと思うほどの顔で彼の顔を見つめる。見つめすぎたせいか微妙に居心地が悪そうに視線を落とされたけど、気にしない。嫌なら嫌と言ってくる人だから、いつまで経ってもそうしないのはつまりそういうこと。
 いまだにつづいている連携関係は良好と言える。海外から来る電話対応にも慣れてきたのかスムーズに事は運べているし、広報も概ね順調だ。仕事をしていく上で対人関係は良好であることはかなり重要なためである。……そういえば。「協会との打ち合わせ、予定通りで?」

「……ああハイ、ぜんぜん構いません」
「時間の余裕を最大限優先させるので宮選手と木兎選手との合同となりますが」
「……。……大丈夫です」
「それは大丈夫な人の間じゃないですよ佐久早選手」

 不安な面も多少は残るが、彼も大人だ。対応もきっちり考えてくれるだろう。佐久早聖臣さんとは、そういう男の人だ。


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 午後最後のミーティングがばたつき、定時より大幅に伸びてしまった。御手洗で少しだけ化粧直しをして下ろしていた髪を緩くまとめ、おかしなところがないかを確認して、一度笑みを作る。よし、隈もないしニキビもない。最高のコンディションだ。
 出勤と同じく勤怠システムに社員証を通す。現時刻が表示されたのを見届けて裏口へ足早に向かいながら、スマホのトークアプリを立ち上げて恋人≠ノ対してメッセージを送信。『すみません、今終わりました。すぐ向かいます』と。

「あああ……長引いちゃったな」

 瞬時に『いい、急ぐな。待ってる』と返ってきたのを見て、ちょろいのは百も承知だけど心がきゅんきゅんしてしまう。
 警備員さんにお辞儀をしたあとは、駆け足気味になるのは許してほしい。恋人と過ごせる時間は一秒たりとも無駄にはしたくない。待ち合わせ場所は三つ角を曲がり、ちょっと歩いたところの───。「なまえちゃん」

「急ぐなって言った」
「だって待たせてますし……すぐに会いたかったんですもん」
「転ばれて、怪我でもされたら困る」
「そこは気をつけてますよ。社会人ですし」

 えへん、胸を張ればそういうことじゃないだろと呆れられてしまった。
 と、なぜか大層不満げなお顔をされてしまい、一瞬わからなくて首を傾げかけてから……納得した。苗字で呼んでしまっていた。

「ほらほら、行きましょうよ聖臣さん=v
「汐ちゃんさ、サボテンの名前どうにかならない?」
「キヨちゃん?え、でもあのこは潔子さんに似てるなぁって思ってるので……」
「……企画部の人たちが、やたら生暖かい目で見てくるのがやだ」

 由来も知っている同僚たちはどうやら聖臣さんのキヨとサボテンの【キヨちゃん】が被ってるのを、面白がっているようでよく話題のネタとして上がってる。

 ところで。

 もうお分かり頂けているだろうが、わたしの恋人は佐久早聖臣≠ウんである。馴れ初めはまたどこかで話すとして、恋人のことがだいすきだ。向けられる愛情に疑いはなく、差し伸べられる掌には信頼しかない。わたしのことをちゃん付けで呼ぶのも、かわいくて、すき。


「今夜はどこへつれていってくれるんですか?」
「汐ちゃんが喜ぶとこ」


 佐久早さんも、佐久早選手も、聖臣さんも。わたしにとっては唯一の人で、このひとの中でもわたしが唯一の人であればいいなと、ずっとおもっている。
 たぶん、死ぬまでそれは変わらないんだろうなぁって勝手に予感した。









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