ぬばたまの黒玉
※佐久早の双子
「飯綱掌さん……ですか?」
初夏の匂いがだんだんと東京に広がってきたある日。部室の鍵を持って帰宅しようと校門に向かって歩いていた時に、背後から女子生徒に声をかけられた。
あれ、と思うのも仕方がない。とっくに最終下校時刻は過ぎているし、なんだったら自主練の末に20時半は回っている頃だ。さらにその女子生徒は制服に身を包んでいたので今まで校舎内に残っていたのも明白。ただ、それを注意できる間柄どころか初対面のために口を噤んでしまったが。
「そうだけど……何か用事?」
やはり見覚えのない顔だった。僅かに内巻きの黒髪に、同様のぬばたまの双眸。学校指定のリボンタイは二年を示しており、俺にマネージャー以外で二年女子の知り合いはいない。のでまたも首を傾げてしまう。そんな俺をお構い無しに彼女は薄く微笑んだ。「いつもお世話になっております」
「一度お会いしたいと思っていて」
「え、え? えーっと、きみ、吹奏楽部の子だったりする……かな」
バレー部は応援の関係で吹奏楽部と密接だ。盛り上げてくれる彼女たちには深く感謝しているし打ち合わせで部長と顔を合わせている、が、全員を把握してるわけじゃないからなんだか聞きようによっては失礼な言い方になってしまった。この子もこの子で聞く男によっては勘違いされかねない切り口だったから余計にどもってしまう。くすくす控えめに笑って、バッテン印のヘアピンが揺れて上品に笑う姿に俺も男子高校生なもので少し、どきどきしてしまった。
訝しむ様子に彼女は素性を明かしていないことに気がついたのだろう、小さく口を開きかけて。
「─────汐ちゃん」
そのまた後ろから声がかかる。今度こそえっ、と疑問が形となってこぼれた。視界に入った自分と同じジャージをまとってマスクをした男から発せられた呼称にこちらが目をまんまるくさせる。
いや、ちゃんって。佐久早が??こいつほんとに佐久早か??
「きよおみくん」
「聖臣くん!?」
あ、やば。立て続けに目を見張る出来事に無意識に叫んでしまった。親しい関係を思わせるふたりの態度にびっくりしすぎて頬が引き攣り、何を考えてるか分かりづらい黒の瞳が俺を射抜く。
「あっ、ごめんなさい。汐です、佐久早汐と言います。聖臣くんの双子の」
「ふたご」
「はい!そっくりだと思いませんか、この髪とか!」
「そ、そう、だな……?」
想定外の答えに呆気にとられてぺこりと遅れ気味に軽く会釈をする佐久早にツッコミが追いつかず、じゃあ俺らはこれで、と双子と言っていた女子生徒の手を引いて並んで帰っていく後ろ姿を見送るしかなかった。
思考と理解がいまだにできない。街灯に照らされて車道側を歩く佐久早も、そりゃ女子をそっちに歩かせるはずがないんだろうけども、でも佐久早だよなという気持ちが先行して視線が外せないまま固まる。
「や〜〜飯綱さん汐ちゃん見るの初めてでしたよね!」
「うおっ!……古森、わざと音を消して近づくのやめろって言ってんだろ」
「すみませーん」
隣にいつの間にか立っている古森は笑って軽く謝罪して、どこかおもしろそうに犬みたいな眉を持ちながら、猫のようににんまりと目を細めた。
「あいつん家、両親も兄姉もみーんな忙しくてあんま双子と接する時間が少なくて、ほら、佐久早はあんな感じでしょう?汐ちゃんも汐ちゃんで寂しがり屋の面があったから、周囲の双子とはほんの少しだけ違った関係なんですよ」
「自然と手を繋いでたもんな……」
「そこ指摘すると無言で圧飛ばしてきます」
「あ〜〜わかるわ。なんとなくそんな感じするわ」
脳裏で部活中のような顔をした佐久早を想像して素早く頷く。あの佐久早でも血を分けた双子には優しく甘やかしの色を見せるのかと、新たな発見を見出していれば横からまさか! と声があがって。
「ないない! ないですよ、そんなもの。いやまあ、俺は佐久早じゃないんで絶対にそうだとは言えませんけど、佐久早が汐ちゃんに向ける感情も、汐ちゃんが佐久早に向ける感情も家族だから≠カゃないですよ、アレは」
「……というと?」
「世間一般的に存在する双子の感情じゃないってやつです」
俺もぜんぶわかるわけありませんけどねー。
そう肩を竦めて飄々と笑う古森の言葉を先程の後ろ姿と雰囲気に当てはめてから、すとんとある答えが舞い降りてきた。たぶん、つまり、こういうことだろう。
「激重感情ってことか……」
「そこに執着とか束縛とかはありませんがね」
「ソフトな激重感情……」
「ぶっは!!柔らかな重い感情は笑いますって!」
ちょくちょく失礼に笑い声をあげる後輩はもう置いておこう。ひとりでに納得して再び、既に見えなくなった彼らの進行方向を見遣る。何も知らなければとても仲の良い双子で、社交性のある女子とそれを見つめる男子の図ができあがるのだが、古森の話を聞いてからはある意味、彼らの形は至極当然であたりまえのものなのだと腑に落ちた。
もともと学年も違えばバレー部でもないから顔を合わせる機会もそんなないだろうけれど、校舎内で見かけたら気にかけることにしよう。
「そうだ、飯綱さんって汐ちゃんの好みの男にどんぴしゃりなんですわ」
「それ今言う必要あったか!?古森、おもしろがるのはいい加減にしろ!!」
えっ、や、でも、うん。可愛い子ではあった。