短編 | ナノ


いとしさのけもの



※そういうことの匂わせ ※本番はありません



「───いい加減、抱きたいんだけど」
「……えっ?」

 視線を逸らすどころか、自分の心情全てを見透かすような深い聖臣くんの深い黒色の瞳がわたしを捉えている。
 いつも通りすぎる雰囲気に部屋着であるせいか、薄い唇から放たれた言葉の意味を正しく咀嚼することができずに間抜けな息と共に、返事とは程遠い一言がこぼれ落ちた。明らかに聞こえてるはずなのに反応が鈍いわたしに眉をひそめた聖臣くんに、慌ててぶんぶんと手を振る。聞こえている、意味は分かるよという意を込めて。

「だ、抱き……」
「汐ちゃんハグだと思ってない?」
「まさか! …………まさか、はは」
「汐ちゃん」
「すみませんその可能性を考えなかったわけじゃないです」

 思考を完璧に読まれて誤魔化すみたいに乾いた笑いをするが、前からの眼圧が怖すぎて正直に白状した。
 だって、聖臣くんがだよ? あの性行為なんて雑菌と粘膜接触の集合体だろと言いたげに保健体育の授業を受けていた、あの佐久早聖臣くんが、それを、わたしとしたいと言っているのだ。それだけでもびっくりなのに、その欲求を隠さずに伝えてきたことが、いちばん驚いた。
 冷静さを保とうとしても発せられた言葉の衝撃に脳内検問は吹き飛んだらしく、脳直そのままの「いや、ほら、できるのかなぁって」と告げてしまって思いっきり眉間に皺を寄せられてしまった。……今のはわたしが悪い、ごめんて。

「えっと、……え、」
「好きなおんなのこを抱きたいって思うのは、そんなにおかしいかよ」
「そっ! ……そんなことはない、デス」
「ん。なら歯磨いて寝室。明日休みって言ってたろ」

 どうやら聖臣くんの中では今夜の予定は決定らしかった。これだけだと彼がすきにしているふうになってしまうけれど、わたしと聖臣くんはもう長いこと男女関係を続けている為いつそうなっても、特段疑問を浮かべるような関係じゃないのだ。
 もちろんそういったことにわたしも興味がなかったわけでは、ない。
 わたしも年頃の女で、相手からの愛を受けている身。抱きしめられてる時も、同じベッドで眠る時も、考えなかったわけじゃない。でも片方がしたいと思っても相手の合意がなければ、そんなものは必要なくて。欲しいのはお互いの愛から来るものだ。

 ようやく、実感する。じわじわ頬に熱が集まって、鼓動の音がうるさくて、何も理由がないのに叫び倒したくなる。言われるがままソファーから立ち上がり、聖臣くんの横を通り過ぎた、とき。「なまえちゃん」
 低く落ち着いた声が、耳を打つ。

「お願いだから、逃げないでね」

 逃げない。逃げない、よ。
 男の懇願に見えて、その向こうに微かに見えた、匂い立つ雄の色香にぐっと心に鎖をかけられた感覚に陥る。
 聖臣くんは男。それは初めて会った日から知っている。知っているんだよ、わたしは。ゆるく抱き込まれて逞しい胸元に囲われるときも、よく聞こえないからと腰を折って耳を傾ける姿も、ぜんぶ、わたしとは違う男だからこその行動。

「……逃がす気なんて、さらさらないくせに」

 熟れたりんごみたいに顔を赤くして絞り出せた声は、ひどく掠れていた。



▼▼▼▼



 淡いブルーに彩られたベッドの上で、借りてきた猫のごとく聖臣くんと向き合う。サイドテーブルにあるランプの灯りが柔く辺りを照らしているのさえ、気恥ずかしくてたまらない。
 あのあと歯磨きを済ませて、する必要もないのにノックをしてから足を踏み入れれば軽く笑われた気配がした。突っ込む余裕もなく、小さく場所をずらしてくれたから素直にそこへ腰をかけ、口から心臓がまろびでそうなのに隣の男に手を取られて、顔をあげてしまって。

「な、なに、」
「……すっごい脈拍。ぶっ倒れないでね」
「余裕そうに脈を測るのやめてくれます!?」

 手首に指を置かれていつの間にかとられていたことに口を開けば、「元気じゃん」とさらに笑われる。
 わたしの言葉に何故かむっとした聖臣くんにわたしの手ごと強く引っ張られ、その手は聖臣くんの左胸、……は?服越しにでもわかる鍛えられた胸筋の感触に、引き攣った悲鳴が喉から迸る。

「っひい!」
「俺も早いから、汐ちゃんだけじゃないよ」
「そうだねそうだけどそうじゃないよ、あのっはなして、ください……」
「かわいい」
「話を聞いてくださいいい!」

 なんとかして抜け出したくても地力の差が歴然で、むしろどんどん抱き込まれるように引き寄せられる。
 かと思えば、とん、と肩をゆっくり押されてしまってベッドがきし、と軋む音がやけに響いた。

 ───押し倒された。聖臣くんに。簡単に、ころんと転がされた。

 状況に慣れるよりも早く覆い被さるようにわたしの上に体を動かした聖臣くんの影から、何度も見たはずの天井がうかがえて、きゅっと強く目を瞑る。「……ふ、」
 また笑われた!しかし文句を言おうにもがちがちに固まった手脚は言うことを聞いてくれず、そうこうしているうちに端正な顔が首筋に埋まって。一瞬、吸われた感覚に身震いする。

「……案外、つくもんだな」
「なにが!?」
「あ〜〜〜〜…………所有痕?」

 しょっ……!しょゆう!?

 彼らしからぬ直接的じみた独占欲に思考が止まってる隙に、釦を次々と外され胸が外気にさらされた。て、手が早すぎて、おいつかない。
 今度は羞恥とは違う、未知のそれへの不安によって震える肩に指が触れられ、魔法をかけられたみたいに視線を落とした。そこには、聖臣くんがいる。首から顔をどかした彼がほんとうに優しげに笑うもんだから。
 ……このひとに抱かれるのか、と、ふしぎな感情が湧き上がる。怖がることはない。人と距離をとりがちで努力を怠らない聖臣くんにあいされて、わたしも、あいする。自分しか知らないからだを晒すのに恥ずかしさはきっと消えないだろう、けど。

「……きよおみくん、」
「ぜんぶだよ、汐ちゃん」

 名を呼ぶと同時に、耳元に声を吹き込まれる。
 ぜんぶ……?と雄武返しでもらせば、ひとつ瞬かせた黒曜の眼差しがすっと細められ、間違いなく、ひとりの獣がわたしを見下ろしていて。


「みせてよ、汐ちゃんのぜんぶ。ぜんぶ俺に、ちょうだい」









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -