短編 | ナノ


一年頃の話



 いけないとは理解している。いくら慣れない環境といえど、いつまでもこのままでは一度きりしかない高校生活が味気ないものになってしまう。
 しかし、でも。
 聞き馴染みのない関西弁に、これまで周囲にいなかった雰囲気とノリを有する同級生たちについていけてないのも、事実で。誤解なきように言うけれど、別に無視とか露骨に避けられてるとかそういうものではなく、ただ、自然に会話を続けたいのに何かが喉で言葉を押し込めているかのように口にできず、気づいたらろくに友人も作れずひとりで行動することが多かった。
 挨拶はする。業務連絡やらではちゃんと受け答えはする。だけど学生同士がするような話はできなくて、いつしか私は誰かと目を合わせるのがどこか気まずくなって俯くことが増えていた。そうしたら誰とも話さず、緊張によって固まる自分に嘆くのもなくなるから。悪循環。遠回り。それが打ち砕かれたのは。


 ───……一年、秋の暮れ。

「、あっ……」
「と……すまん」

 苦手な科目で移動教室のために、いつもと変わらず孤独に教科書などを抱えて渡り通路を歩き終えた瞬間。角を曲がった際に人とぶつかってしまった。お互い歩いていたこともあってしりもちをついたりはしなかったが、ノートに挟んでいたプリントがひらりと舞い、落ちた。

「……ご、ごめん、あの」

 普通ならこんなに狼狽える必要はない。怪我もしていないし、学校ではよくあること。なのに上手く呂律が回らず拾うのさえままならなくて、絞り出たのは微かな謝罪の声。
 ああ、だめだ。やっぱり、なにも。
 二ヶ月経過しても改善の色すら見られない挙動不審さに情けなくなる。じわ、と相手を困らせるのに眦が熱くなり、もう消えてしまいたい感覚が体全体を蝕んでいく。幾度も繰り返す自嘲を考えていれば、「みょうじさん」落ち着いた声が前から届いて、ほんの少しだけ顔を上げた。でも彼は先程よりも、少し強めに続ける。「伊月さん、」

「落としたのはこれで全部か?」
「うん、えっと……ご、ごめ、」
「謝ることはないで。俺とみょうじさんが出てきた場所に窓なんかないやん、お互い様や」
「ごめん………」

 呆れさせてしまった。人の話を聞いているのに、音になるのは小さな謝罪だけで、手渡されたプリントがしわくちゃになるぐらいに力が入ってしまう。「何が怖いん?」「え、」

「ここにおるのは伊月さんと同じ歳の連中。ずっと肩に力を入れたまんまじゃ、しんどいんちゃう?」

 顔を上げる。毛先だけが黒く、薄い銀色の髪をもったクラスメイト、北信介くんが表情を変えずに私の目をじっと見ていた。
 ぶつかったのが北くんであることも気が付かなかった。

「まっすぐ人の目を見ぃ。怖がることあらへん」

 茶色の双眸には、不思議な力があった。あまり抑揚がない声質のせいかもしれない、北くんの言葉はすっと私の心に入り込んで、蹲っていたかつてのわたしをいとも簡単に、立ち上がらせてみせた。
 うじうじしていたのが、嘘みたいに。それぐらい、今の言葉に私は目が覚める思いを抱いた。「信介ー」「おん。今行くわ」

「き、北くん!」

 自分でも引くほど必死な声だ。北くんが振り向くのと同時に笑顔をつくって、言わなければならない言葉を形作る。

「あの、ありがとう!」
 たくさんの意味を乗せたお礼。微かに目を見開いた北くんはゆるく手を上げて、「おん」と言ってくれた。

 それが、私と北信介の出会いであって、確実に私を変えてくれた日のこと。









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