短編 | ナノ


絡んで、結んで。



※過去参加したアンソロジーの原稿です。
※キスにまつわる白鳥沢アンソロジー
※掲載許可を得ています。




 男女交際。お互いが好きだと思い、傍にいたいと願い、お互いが受け取り許して生まれる関係。世界には様々な「お付き合い」がある。本当にラブラブで見ているこちらが恥ずかしくなるようなお付き合いに、冷めきってるのか純情なのかこれまでと変わらない距離感の中に慈しみを感じるお付き合い、そして、周りが言われなければわからないほどのごくわずかの変化から至るお付き合い。
 ……私たちは、どこに属するお付き合いをしているのだろうか。腹立つぐらいに私はあいつのことが好きだし、あいつからの好意を疑ったことはない。あの性格上ほんとうに好きでもない人とは距離を置くタイプだし、私も私で嫌われていたり行き過ぎた好意を苦手とするあいつに脈がなければアタックすることもなかった。

(……そんなことを考えているから、私の方が好きなんだよ、ばーか)

 一年前、部活仲間でふざけて遊び始めた花火大会に咲かせた恋の花火は、儚くも強く私の心の中に根付いている。おそらく枯らそうとしても一筋縄では行かない大きな根。今なら山に昇って「バカヤローー!」と叫べるほどにぐるぐるしている。
 サイドテーブルに置きっぱのスマホの電源を入れてみても、何も通知はない。トークアプリのルームを開いてみても数十分ほどに交した「お疲れ」が最後だ。もういい。不貞寝しよう。そうだ、明日は遠出をしてケーキを食べるのもいいかもしれない。

 ───まあ、つまり、何が言いたいかと言うと。
 伊月汐は激怒した。そもそもあのバレー馬鹿ならぬ牛島さんを尊敬するあいつは確かに記念日とか気にしないタイプだけれども、だからって記念日にまで及ばなくてもいいんじゃないかって。
 激怒した。とあるが実際は怒りが三割、やっぱりというあきらめが七割、そして寂しさが一割と特にそこまで周りが勘づくほどでもないのだ。その一割の寂しさは朝起きたときに握りつぶしてゴミ箱に捨ててやった。もっとも捨てたことさえ気が付かないあいつは鈍いのかそれとも分かった上でスルーしているのか。どちらにせよ腹が立つのは変わりない。

「あ〜……」

 綺麗に磨かれたボールが音を立てて相手コートに叩きつけられる様をぼんやりと眺める。無論、己がなすべきことは果たすし、むしろそれができなければここに私の居場所はない。……監督は厳しいし、選手達もストイックに練習をこなして着実に個別のレベルを限界まで引き上げていく。

「一旦休憩を挟むぞ! 昼飯食ってから集合!」
「うっす!」

 大平さんの掛け声と共に、自分の荷物が置いてあるスペースに各自で散る部員達。私達マネージャーも例にもれず、この時間を利用して仕事をこなし昼休憩だ。……このもやもやとした気持ちも練習再開までにはなんとかなっていると願いたいところだ。
 スクイズボトルを片手に洗濯物を干していく。快晴が続くと言われる予報を信じて全て物干し竿にかけていき、最後に首にかけていたタオルで額の汗を拭う。空調で整えられている体育館と違い、外は灼熱地帯で、じわじわと暑さが襲いかかる。

「あっつ……」

 都心に比べれば赤道より遠い宮城はまだ涼しいんだろうが、いかんせん比較対象である関東には未だに行ったことはないため確証はない。しかし夏本番でもないのにこの暑さは、少々……いやかなり無理。むしろとっとと洗濯を終えて帰りたいぐらいには。
 ふと気配を感じて、振り返ればそこには。

「川西」
「よーお疲れさん」
「お疲れ。どうしたの、お昼は?」
「飲み物買いに来た」
「ああ……私のもよろしく」
「パシんのかよ」

 軽口を叩きあいながら私は洗濯物を干し終え、もう一度汗を拭ってから川西の隣に並ぶ。パシるわけがない。ちょっとしたジョークというものだ。

「何食う?」
「あれば親子丼」
「ほんと桐原好きな」
「だって美味しいじゃん。残念だったね、すき焼きなくて」

 白鳥沢学園の食堂ラインナップを思い出しながら、隣の男の好物であるすき焼きは二年いても一度も出たことがない。和洋中さまざまな料理が並ぶ中、すき焼きはなかった。仕方が無いといえば仕方がないだろう。美味しいけど。
「今日もあっちーなぁ」
「ねー。寝る時も熱帯夜で冷やした枕が手放せないよ」
「それな」

 全くバレーとは関係の無いことを話しながら、私は伸びをする。太陽はぎらぎらしてるし、見たくはないんだが。
 一瞬だけ、言い争いこそしていないが鬱陶しげにこちらを見る彼の表情を思い出してしまって後悔した。

(あーあ……まったく)

 分かりやすい程に、私は白布賢二郎に首ったけなのだ。
 ───付き合うということは、お互いに好きでなくては始まらない物事だ。そして、物事には結果が付きまとう。つまり、そういうことなのに私は前々から不安と不満だらけの思考にがんじがらめにされている。関係は部員なら知っている。別に隠していたことはないし、隠そうともしていなかった。部内恋愛禁止なんてものはないし、活動に支障が出なければ構わないと監督にも言われている。たまに、牛島さんの天然ハイパーマイペース発言でかき乱されることはあれど、大したことじゃない。……いや、一度だけ自爆というか己から墓を掘ったことはあったけれど。良い思い出………だと思いたい。

「百面相」

 自分の世界に入り込んでいると隣にいる無表情の川西に引き戻される。

「悩み事か?」

 これだ。これである。本当にこれだから誰一人の前でも気は抜けない。
 悩み事は悩み事ではあるが誰にでも言えるものではないし、さらに渦中の人物と親しい人間なおかつ同学年の友人となれば尚のこと。絶対に口を割らないという確証はない。むしろこの男、全てを見通した上で軽く煽ったりするからタチが悪い。いい意味で。

「悩み事……ってわけじゃないけど、自分に対する嫌悪と激ニブチンのあいつに腹が立ってるだけ」
「立派な悩み事じゃん。回りくどいな」
「うるさい」

 へー、とか言いながら興味津々の視線を向けてくる川西から逃れられず、大きくため息を吐いた。肩を震わせて笑いを堪えようとする男の腰を小気味いい音を立ててひっぱたき、今はとりあえず昼休憩に勤しもうとその手を引く。
 気遣いの差はあれど、結局は優しい部員の手。それにすらあいつの手と比べてしまうのだから私が一番タチが悪いのだ。あーあ、あーあ!

「私だけが好きみたいであほらしくなる」
「白布のこと?」
「心を読まないでニヤニヤ顔やめてはっ倒すよ」
「それは困る」

 言いながらもニヤニヤをやめずに私の奥底を見抜くような視線をくれるので、とりあえず全体重を川西の背にかけてやった。手とか足には絶対にしない。もちろん身体にも負担はかけないがこれぐらいは許せ。

「今思いっっきりカラオケで発散したい気分。川西の奢りで」
「俺かよ」
「彼女いないから平気デショ」
「なんで振られたこと知ってんですかね伊月パイセン」
「さあなんででしょうね」

 割と顔が広い女子先輩によく聞かされている、とは言えない雰囲気にふふんと勝ち誇ったように川西を見る。さっきの仕返しといえばいいが、実際はそんなんじゃない。幼稚な私の八つ当たりである。バレたら散々からかわれそうだがそれはそれ。まあ、実際はバレているかもしれないがそこを追求しないあたり、本当に良い奴だと改めて思う。
 道中、バカみたいな会話をしながら辿り着いた自販機の前に、予想外の人物の姿が見えて私の体は硬直した。

「よう」
「白布も飲みもん? 俺のも買ってー」
「自分で買え」
がこん、と缶が出口に落ちる音が酷く大きく聞こえた。どくんどくん、心臓が早鐘のように鳴り響き少しだけ息苦しい。

「伊月は」
「………麦茶、で」
「ん」

 軽く投げられた缶を受け取りながら、私は彼の目が見れない。それに気づきながらも何も言わない白布に、むくむく沸きあがる不安。わからない、わからない。
 私は、本当にこの男の彼女なのか。

「そういや、さっき監督がBチームとAチームの練習時間を変更するって言ってた」
「へえ、どうせ終了時刻は変わんないだろ」
「そりゃそうだ」

 用事を終えて体育館に戻るふたりの背をぼんやり見つめながら、無意識に止めていた息を吐き出す。
 ……私、ここまで臆病だったのか。溺れていれば、世話ないというのに。


***


 休日の部活を終えて家に帰る頃には時間は夜に近い。それほどまでに宮城県最強と名高い白鳥沢学園は努力を惜しまない。部員も監督もコーチも、マネージャーだって自分に出来る最大限のことを百二十パーセントの力でやりきりながら、何年も何年も続けて全国まで進んでいるのだから。
 今日の夕飯はお父さんお手製のオムライスだ。甘い味を好む父の方針でオムライスの上にかけられる卵も僅かに甘い。できれば今日は苦いものが食べたかった気分だなー、と風呂に入りながら零せばタイミング悪くトイレに来ていたお父さんに聞かれ、がたたんっ、という大きな音とお母さんの慌てるような声を聞いてとうとう噴き出した。

「汐ー、あとでお父さん宥めなさいよ
「はーい」

 暖かい湯船の中で、くすくすと笑いを零しながら私は今だけは不安を忘れてゆっくりしていた。
 お父さんとお母さんは大好きだ。心配性で、私に甘いけれど厳しい時は厳しい。ずっとずっと大切にしていきたい家族。
 リビングには美味しそうな夕食が並び、パケットの中にはフランスパンが香ばしい匂いを周囲に撒き散らしながら鎮座している。オムライスの横には小皿に盛り付けられたトマトが特徴的なサラダが。私はこのレパートリーが大好きだ。

「んむ、そういえば……汐」
「ん? あ、お母さんお茶おかわり」
「はいはい」
「賢二郎くんは元気か?」
「ぶふっ」

 突如として突き刺してきたタイムリーな話題に危うく器官に水が入り込み……いや入ってむせ返ってしまった。食べ途中のご飯に入らないように口元を抑えるがなかなかに厳しい。投げつけてきた当の本人はきょとんと目を瞬かせながら、「大丈夫か?」と言ってティッシュを差し出してくる。
 まあ、お父さんは自然な会話の内容として提示してきただけだろうけど、今は……あまり触れられたくない内容だったかな。

「……元気だよ。今日なんてバリバリ先輩の練習に付き合ってたし」
「そうかそうか! それならいいんだ……うんうん。なんてったってあやめの彼氏くんだ」

 ───彼氏。本当に? と頭の中で誰かが囁く。

「このままいけば結婚とかも考える歳になるでしょう?」

 結婚。その言葉に頭を鈍器で殴られたような衝撃を与えられた。そうだよな。お付き合いしているとなるとその先もあるわけで。さらに高校二年でのお付き合いとなればそれはそれは、両親は“その先”を望んでいるわけで。一人娘で高校まで男の影も見せなかった私が初めて紹介した男性が、白布賢二郎だったのだ。
 無愛想だし言葉遣いは同級生に対しては少し悪いけれど、その身に秘める情熱は誰よりも熱い。そんなところをすきになったのだ。だけど……。……だけどほんとうに、彼は私のことが好きなの、だろうか。

「…………」
「汐?」
「なんでもない。これ食べたら少し走ってくるね」
「えっ、もう二十二時過ぎてるわよ?」
「平気。コンビニ周りだけ」

 ご馳走様でした! と半ば無理やりに雰囲気をぶち壊し、台所に食器を運んで急いで部屋に戻る。動きやすい格好に着替え、必要最低限のスマホと財布を持って家を転がり出るように飛び出した。一秒でも一人に早くなりたかった。
 都心ではない宮城の住宅街は、思ったよりも静かだ。星も綺麗で、虫の声もよく聴こえる。時折混ざる生活音も心地よい。この同じ空の下に、どうせ起きながら静かに部屋で過ごすあいつもいるんだろうな。

(って、なんで考えるのをやめようとした矢先にあいつのこと考えてんのよ私! めちゃくちゃ面倒な女になりさがってる自信しかない!)

 あいつの性格上、こんな面倒な女だとわかったらすぐに切り捨てるんだろうな。
 あ、言ってて悲しくなってきたので前言撤回しとこう。とりあえずは、コンビニまで走ってお菓子とアイスを買って明日に響かない程度の暴飲暴食をしてみようか。幸い、明日は体育館の点検だとかでマネージャーは学校周りを走る選手のサポートだけだ。

「……あ」

 コンビニに寄る前に財布の金額を見るために開いたが、そこにあったのは硬貨二枚。百円玉が二枚。……飲み物しか買えないじゃんね? あー、あー……。

「伊月?」
「ふぁい!?」

 自分のずぼらさに途方に暮れていると、背後からかけられたいきなりの呼び声に訳が分からない奇声が喉奥から発せられ、勢いよく振り返った。

「っ、あ」
「なにしてんだよこんな時間に。つか、女が薄着でうろつくな」
「な、は、え」
「日本語を話せよ」
「なんで白布がここに?! 寮の門限は?!」

 現れると思わなかった人物の登場に小さなパニックを起こしながら問い詰めれば、彼は息を吐いて「伊月」と呼んだ。

「近所迷惑」
「…………、……………すみません」

 非常にご尤もな指摘を割と真顔で頂いてしまい、私は気まずさよりも前に自然と謝罪の言葉を口にできていた。
 白布曰く、今日は前々から家の用事で家に宿泊するということだったらしく、私と同じような時間に帰っていたらしい。コンビニに来たのは親戚の要望でつまみとなるものを購入するためだとか。要するにパシリ……。

「買ったら送る」
「いい」
「は?」

 しまった。つい反射的に否定をしてしまった……。でもこの精神状態のまま彼とふたりで道を歩くとかとてもじゃないが出来そうにない。途中で自己嫌悪で泣くか、それらまとめて嫌だからこその拒否の言葉。
 だけど白布はそれこそ意味がわからないものを見るような目で私を見ている。

「なんでだよ」
「なんでも。ココア、奢ってくれてありがと。それじゃ」

 店内で走り出すわけにも行かないので扉をくぐった瞬間を見計らって駆け出そうとしたのだが。

「……う、話してくれると嬉しいな」
「まだ話は終わってない」

 私は終わった。きみと話すことなんて、なにもない。

「───太一」
「!」

 ふと鼓膜を叩いた人名に、面白いぐらいに肩が跳ねた。これでは何かがあったと自分から言い出しているようなものだ。つくづく、隠し事が出来ないなぁ、と現実逃避のように視線を下げる。視界に移るのは白布がよく履くシューズの靴先で。
 ……そのシューズは、私が付き合ってから誕生日にあげた靴であることは知っている。大事に使われていることも、逆に私の誕生日にくれたタオルは今でも宝物だ。色気のないプレゼントだと周りに言われようが、それに込められた想いが、私にとっては何よりも大切だったから。

「……詳しくは聞いてない。これは、伊月に直接聞いた方がいい話だと思った」
「……明日ぜったい締める」

 おちゃらけた様子で首を傾げるチームメイトの姿が容易に思い描け、私は大きく大きく深呼吸をする。明日のことは明日。今は目の前にいる白布をなんとかしなければ。
 踵を返す。困惑げな視線を感じて、少し立ち止まって振り返る。片指で指し示した方角にあるのは幼い頃から立ち寄った公演。たったこれだけで意味を正確に察したらしい白布がゆっくり着いてくる。やけに街灯の光が眩しい。
 足を踏み入れた公演は時間も時間のためか人の気配はなく、暗闇に包まれたブランコが目立っている。

「夏だからって油断はすんなよ。寒くなったら言え」
「うん」

 合図もなにもないのに、ほぼ同時にベンチに腰を下ろした私たち。特に急かすことなく、先ほど購入していた翼を授ける缶を飲んでいる白布を見ながら、私は胃の中を占領し続けていた感情をぽつり、呟いた。

「白布はさ、私のこと。本当に好き?」
「ぶふっ」

 むせ返っている白布はそのままに、私は一気に畳み掛ける。

「私だけだよね? 記念日とか、意識してるのって。白布、誕生日を祝った時も少しだけ面倒な顔したじゃん……これ、私だけが白布を好きってことだよね……」

 あ、まずい。自分で言いながら視界が滲んできてる。やばい。泣きたくない。泣きたくない。面倒な女なんて、思われたくない。

「川西からどこまで聞いたのかはわからないけど、これはずっと前から思い続けてきたことだよ。白布から好きって言われたの、告白を受けいれてくれた時だけだもん……」

 ───ずっとこの人だけを好きでいつづける。そう誓ったはずなのに。

「ねえ、付き合ってる意味って、あるのかな。白布は、私のことなんとも思ってないの?」

 紙にインクを垂らすように、一度吐き出された言葉は留まることを知らずに前後の脈略もあったものじゃない台詞がぽろぽろと出てくる。溜まりに溜まった泥のような感情が、がんじがらめにされていた不安を解き放つように。
 話している間、一切口を挟まなかった白布は今何を思っているんだろうか。やっぱり面倒な女だって思われてるのかな……付き合わなきゃ、よかったなんて思われてたら一ヶ月は立ち直れなさそう。十分ありえそうな未来に私は頬を伝う涙に気づきながらも歪な笑みを浮かべた。酷く醜くて、見るに堪えない笑顔だろう。
 白布。白布賢二郎。私の、初恋の人。いつだったか諦めようとした恋が成就した時、死んでもいいと思えるほどに嬉しかった。だって自分が心を通わせる相手が、俺も、と応えてくれたんだもの。嬉しくないはずがなかった。そこからは世界が色づいて見えた、なんて乙女チックなことを思ってしまうほどに、大好きな大好きな恋人。
 けれど心中に巣食う不安の種はいつの日か芽吹き、大きな大きな花を咲かせたのだ。怖くて怖くて、本人にも聞けない内緒の感情。ようやく吐き出すことのできたそれは、予想以上に闇を抱えていた。

「え、っ」

 闇をまとう心に引きずられそうな時、手にある違和感。白布の手が、私の手を握っている。弾かれるように隣を見遣れば、あ、と息が漏れた。

「……本当に、」

 ひとの、それも仲の良い存在から発せられる低い声に耐性がある人間はどれほどいるだろう。しかも普段は感情をあまり動かさない人の、である。
 あ、地雷を踏み抜いた。と、すぐに察した。私はずっと大好きだったから。大好きで大好きで、自慢じゃないけれど部員たちとは違う視点から彼を見ることが許された存在だから、それぐらいの変化はわかる。……それほどまでに、いま白布は感情を顕に、内に秘めた牙を剥き出しにしつつある。

「本当に俺が、なんとも思ってないと思ってんのか」
「朝だってなんにも言わないで、私も怖気ついて言わなかったのも悪いけど……やっぱり、言葉は……欲しい、よ」

 じっとこちらを見つめる茶色の瞳に耐えきれず、視線を足元に落とす。漠然とした恐怖だ。

「……なあ、伊月」
「………なぁに?」
「答えろ。本当に俺が、なんともないと思ってるのか」

 白布は、怒っている。疑われたり、幻滅されたことに対して。

「……それ、は」

 ───言われなくても知っている。どれだけクールに見えていても、恋人なのだから自分を好きで居続けてくれていることなんて。分かっていた。分かっているとも。白布は言葉は少ないけど、その分瞳の奥にチラつく炎はわかりやすい。

「答えられないなら、態度で示すぞ」
「え、ッ……?」

 世にも恐ろしい宣告が聞こえたかと思えば、湿布を貼ったその手であられもない場所に這わしてきた。

「ちょ、ちょ!?」
「………」

 むっすりとした表情は変わらず、目つきも鋭いままで唇を寄せたのは───太腿。スカートで隠されていたはずのそこに、白布の唇が。そう思考が答えを弾き出した瞬間、身体がこわばった。

「ひっ……」
「知ってるか伊月」
「な、にを……」
「キスする場所によって、意味が違うんだと」

 太一から聞いた、と事も無げに言い放つ白布の顔は、これまで見たものよりもいっとう鋭く。地雷を踏み抜いたどころかあまり他人には触れさせたくない心の奥底にまで無遠慮に手を突っ込んでしまったと悟っても遅い。こうなってしまった白布は手が付けられないと身をもって知っている。
 普段、自分でも洗う時などではあまり触らないところに触れられる熱を帯びた唇の感触に、恥ずかしいやら情けないやらで顔に熱が集まる。白布がここまで態度に起こすことは初めてで、どう対処していいかわからないのも本音だ。

「キスする意味……って?」
「……別に俺もそこまで興味はなかった、から」
「?」

 足を下ろし、どこか気恥しげに視線を彷徨わせる姿に首を傾げた。

「どうやったら、どこが伊月がはっきりと自覚する意味になるか、としか考えてなくて。教えて貰ったのは一箇所だけ」
「……もしかして、太腿?」
「ああ。意味は───支配」

 嗚呼。ここまで独占欲の滲む強い瞳を見たことがあっただろうか。否、ない。バレーへかけるひたむきな姿勢も、牛島さんへの尊敬の念も。私は知っていた。その思いに偽りも何も無いと。だから好きになった。好きで好きで、胸を焦がす想いを抱くのは白布だけ。

「わかったか。俺はお前にこういう気持ちを抱いてる。正直、五色に呼ばれてデレッデレしてる姿なんか見たくない」
「デレッ!? そんなことは……!」
「いつもは距離を置く天童さんにもマネージャーとしてまっすぐ向き合う姿も好ましいし、かと思えば太一や俺に対する気さくな態度も悪くない」
「えっ、えっ、なに、なんでこんな急に褒められ……」
「黙って聞く」
「うっす……」

 散々唇を這わし、だいぶ満足したのか白布が離れていく。その熱を、名残惜しいと言ったら目の前の人は何と言うだろうか。
 こんなことを考えられる余裕が出てきたことに私は安心する。まだ、まだこれなら大丈夫。「でも相談事は俺にしない」

「その度に、なんでだよって」
「なんで?」
「黙って聞けって言っただろ」
「ハイ」

 泣く子も黙る表情に冷や汗を垂らしながら二の句を待つ。

「伊月は俺の彼女で、俺は伊月の彼氏だろ。不安に思うことや、嫌なこと、ぜんぶ溜め込まないで俺に言え」
「………」
「……それが、付き合うってことなんじゃねえのか」

 ベージュ色の瞳に映るのはゆらゆら揺れる不安定な光。……そうか。そうだったのか。

「白布も、不安だったの……?」
「当たり前だろ」

 顔に出ない。口にも出さない。そんな男の機微をどう分かれというのか。

「……まあ、今回は俺も悪い。悪かったな」
「ううん、私も怖気付いて何も言えなかったのも悪いから」
「これからは何を思っているか、言い合うことにするか。こんなすれ違いは、割と本気で心臓に悪い……」

 視線を落とし、目を伏せる白布は物珍しく、下から覗き込めばほんの僅かに歪んだ口元に目を見開く。いつも冷静で、誰よりも情熱を秘める彼がこんな顔をするとは。少しだけ、おかしくなって笑いがこぼれてしまう。自嘲気味の笑みは良く浮かべたけれど、おかしくって笑いをこぼすのは……久しぶりなのかもしれない。ずっとずっと白布の気持ちが見えなくて悶々としていたから。ゆるく繋がれた手のひらの温もりに、私は口元が緩むのを抑えきれなくて片手で口を覆う。それでも、笑いは収まってくれなかった。
 そんな私の気持ちに気づいたのか白布はゆるりと握る力を強くしてくれた。ああ、ああ……温いなあ。

「なんだよ、その顔。だらしねえな……」
「そういう白布も、珍しい顔をしてて天童さんに見つかったらからかわれちゃうね」
「うるさい」

 言葉を遮るその台詞に、小さくあ、と漏らす。似ている。図星を突かれると豊満な語彙力と情報処理能力は消え、ただただ幼い拒否の言葉のみが出る。そういえば川西にも同じことを私は言った。なんだか本当に表情筋の制御が利かなくなっている。んふふ、と気持ち悪い笑い方をする私を見て白布は若干引いているが、別に構わなかった。だって、もう不安に思うことは何もないのだから。
 そっとスカートの裾をめくって、そこに咲いたひっそりと浮かぶ紅い花に、私は目を閉じて祈りを込めた。

 どうか、これからもこの人と歩んでいけますように。できたら優しくして欲しいけれど、今の関係が心地いいので……もう少し、ふたりが大人になったらこの願いを言ってみよう。きっとだるそうな表情をしながらも叶えてくれるはずだから。









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