短編 | ナノ


ながいこいじの話



「カルビと塩タンとホルモンとりあえずセットで」
「角名」
「あ、ビールどうしよっか。最初は烏龍茶?」
「角名ってば」
「俺はシーズンオフだし程々だけどあんた酒豪だもんね。ふらふらになっても送ってあげるよ」
「………………」

 で、なに?

 さんざん呼びかけても無視を決めていたくせにこちらが黙ったら意識を向ける男に、あきらか焼肉を食べに来たであろう格好じゃない私はひとつ大きくため息をついた。向かいの席に座る男の装いも、黒のブラックスーツにネイビーブルーのネクタイを小洒落に決めていて、もうお察しのとおりだ。
「……生で」
「そうこなくっちゃ。この店タブレットで注文できるから簡単なんだ」
「ふーん」
 慣れた手つきで(たぶんどのメニューがどこに載っているのかさえ把握している)注文を済ませていく角名の指先にじっと視線を落としながら、どこか祝福に満ちた式場を出てからふわふわしていた気持ちがやけに凪いでいくのを感じて、やってしまったなと考える一方で、ああ、やっぱりなと思う。
 感じの悪い反応に角名は何も言わない。呆れたっていいのに。
 事前に用意されたおしぼりで手を一度拭って、口を引き結んで顔を上げた。
 そこには驚くほど普段の雰囲気をまとった高校時代の同級生であり、あの賑やかで騒がしかった代の中で、唯一わたしの感情を目敏く見抜いて不承不承ながらに共有していた角名倫太郎が座っている。

 ────大安吉日、この佳き日に。
 とてもお世話になった先輩と、大好きだった先輩が、結婚式を挙げた。



▼▼▼▼▼



 わたしが進学した稲荷崎高校は、バレーボール部と吹奏楽がすごく強い学校で全国大会に何度も出場する強豪校だった。どんくさくて、運動神経はからきしのわたしは最初こそ文芸部あたりに入ろうとしていたのだ。バレーのルールなんて中学以来からアップデートされるどころかもはや忘れていたし、運動部には関わらないからと問題はないと思っていた、のに。
 初夏の香りがだんだん兵庫を包み始めてきた頃、同じクラスの角名の忘れ物を担任に押し付けられ、男バレが使用する体育館までやってきた。きっと、それが転機だった。腹の底から出すような大声と授業でやるバレーとは全く違った、いわば鬼気迫る圧倒的なオーラに気圧されて覗き込んだままたじろいでいたら、不審に思ったのだろう、ジャージを着た先輩……のちに好きな人となった北信介先輩に声をかけられたのだ。

「───ひとめぼれってやつ?」
 じゅうじゅうと頃合の焼き加減となった肉を掬いあげ、タレに染み込ませて意外に大口で咀嚼する角名の問いかけに、ふるふると小さく首を振る。
 そうではなかった。他の先輩方と話して笑う顔も、口角をゆるくあげ挑戦的に微笑む顔も、堪えきれず噴き出した顔も、確かに好きだった。けど、決定的だったのはもっと別のもの。
「わたし、のろまだし器用とは言えないでしょ」
「ウン」
「……。……だから部誌とは関係ないけど、自分用のノートを、まとめてたの」
 タンが焼けたのを見て、口に運ぶ。レモンの酸味がちょうどいい。
 そうして少しばかり生ビールを飲んで、苦くなった口内にそっと目を伏せた。
「褒めてくれたんだよ、……北先輩が」
 お世辞にもすっきりとまとめられていたわけじゃない、所感と付箋にまみれたリングノートを廊下ですれ違った際に落としてしまって、それを、拾ってくれた。すぐに謝って受け取ろうとしたら『これ、自分が書いたん?』と尋ねられ、何か指導されるのかと思ったら、ただ『反復はええことやな、続けていけばみょうじさんの糧になる』と褒めてくれたのだ。
 褒めて欲しいから始めたものじゃない、自己管理用のそれをなんてことないように褒められて、ほんとうに単純かもしれなかったけどそこで、わたしは先輩へのこいを自覚した。少女漫画のヒロインなら、障害や苦難があっても結ばれて幸せになる道筋だ。だけど、わたしはヒロインじゃなかった。
「あんたがヒロインの漫画、見てみたい気もするけどね」
「うるさいな、柄じゃないのは分かってる」
 ケラケラ笑う角名を睨めつけてから、ゆるやかに今度は過去ではなく、たった先程行われた結婚式を思い返す。
 まるでその時だけ高校時代に戻ったのだと錯覚するみたいにふざけて、多方面からツッコミを受けて無邪気に話をする宮くんたちと、変わらない笑顔をみんな浮かべて北先輩と彼女を祝福する、あの情景。ウェルカムドリンクを片手になんとなく角名の隣に立って、遠い世界で繰り広げられているような感覚を覚えていた。ひどくお似合いの、ふたりだった。
「割と直前までね、」
「うん」
「笑ってられるかなーとか、素直にお祝いできるかなぁとか、考えてたんだよ」
 嘘ではない。ここで偽ったってどうせ角名には気づかれる。無益な嘘をつきつづけられる器用さなんてあったものではない。というか、仮面を被る必要はなかった。
 箸を小皿に揃えて僅かに俯く。かちゃり、とその音で角名もわたしの声に耳を傾けているのが理解できて、どうしてこの男はそこまでするのか、と少し輪郭を描いていき──やめた。いまはそうじゃない。
 でもさ、とどうしようもなく笑えてしまって、頬がひきつる。
「あのふたりのこの先の幸せを、ふつうに願えちゃったんだよね」
「よかったね?」
「うん、よかった。さすがに先輩たちの挙式でみっともなく泣いて周りに気遣われた日になんて、あそこから逃げ出してた自信がある」
 そんなことになっては永遠を誓い合った新郎新婦に申し訳が立たないし、幸せの雰囲気をぶち壊しだ。心の底から、安堵した。
 それから。……それから、自分の気持ちと向き合うようにして沈めていた感情を整理し始める。「こいだったのかもしれない、し」
「そうじゃなかったのかも」
「さっきこいを自覚した〜とか言ってなかったっけ?」
「過去の心情だったじゃん。……そうじゃなくて正直な話、16にもなって初恋もまだだったわたしは北先輩へのあこがれを知識として知ってたそれにあてはめちゃったのかもね」
 たぶん、ほぼ合っている。かもとかみっともなくあがいてはみてるけど、こいだとしたら式場を出たときの感情に説明がつかないのだ。肉体が発達すると共に精神も大人に近づいて、こいごころを柔らかい真綿で覆い隠した可能性もありえた。ありえた、けども。自分の中を巡るすべての細胞がそうだと訴えている。
 いい感じに酒が回ってきた。気持ち悪くなったり眠くなったり、泣きたくなったりする下戸ではないわたしはちょっとだけ気分が上向きになって、ふふふ、と笑って。角名も、頬杖をついてこちらを見ている。ああ、そうだ、思い出した。
 この男はよくこうやって笑ってわたしを、見ていた。
「……角名?」
 微笑んだまま無反応なので手を振りながら呼べば、彼は追加注文したレモンサワーを突如として一気飲みをした。え?一気飲み?!いくらシーズンオフといっても体が資本のバレー選手あるまじき飲み方に立ち上がったら掌を突き出され、釈然としないが座り直してどぎまぎする。
「俺ね、」
 淡い照明に覆われる個室に、角名の静かな声が響く。
「すっごくひとめぼれした子がいたんだ」
「…………」
「その子は入学式の時、校門前で困ってたおじいさんを助けててさぁ。特に信じてなかったけどびびっと来たんだよ、これがひとめぼれだって」
「…………それ、は」
 聞いてはいけない何かを聞いているかんじで、心臓を鷲掴みにされた感覚にぎゅっと膝の上に置いた手を握りしめる。わたしの狼狽えは想定内だったのか、むしろこどものようにくしゃっと笑って、角名はわらった。

「伊月のこと、すきだよ」

 すとん、と、心にあったくすぶりが消えていく。
 瞬間、いろんな思い出が脳裏を過ってはあるひとつの気づきを、わたしは掴みとった。隣の席になって休み時間になる度にふたりで話をしては、SNSでおもしろい動画を並んで見たり、部活中もそうだとは感じさせないバランスで気にかけてくれていた角名くんの行動の意味を、おそすぎるいま、理解した。
 ひとめぼれ。角名が、わたしに。悪い感情を抱かれていないのは知っていた。同輩で、気のいい友人で。
 ───……ほんとうに?
「す、な。あの……」
「最後まで聞いて。
 俺があんたのこいに見抜けたのは至極単純なこと。だって、俺はあんたを見てたから」
「……角名」
「聞けよ」
「……はい」
 強い目で射抜かれて、口を噤む。乱雑な言葉なのに見つめる瞳にはやさしい光しかなくて、それがよりわたしのこころを締め付けた。
「北さんの横でころころ笑って、日に日に可愛くなるあんたを見てて気づかないわけがないだろ。本気でまぶしそうに、うれしそうに北さんに向かい合ってた姿はとんでもなく凛々しくて、俺のひとめぼれは間違ってなかったんだなって、思った」
 着地点がうっすらと浮かびあがる。
 一息で吐き出した言葉に嘘などない。このひとは本気で、わたしのことが好きなのだと思い知った。場の空気を読むのが上手くて、双子の乱闘も面白おかしく動画に撮って、独特の笑い声をあげるひとだけど。
 決して、決して嘘は吐かなかったから。
「ほんとは、下心ありきだったけど慰めるだけにしてちゃんと帰るつもりだった」
「下心はあったんだ……」
「当然。だって好いた女だよ」
 予想以上に掠れた声でつっこめば清々しい顔で返されて、苦笑いがこぼれる。
 そして今度はわたしではなく、角名が立ち上がって、座っているわたしの隣へやってきた。握っていた片手をすっととられて、横を見上げた。
「さっきのあんたの話を聞いて、俄然、あきらめるつもりはなくなった。何もしなくていい、昨日までと変わらない生活をしてて。俺があんたに手を差し出しつづけるだけだから」
 やわく握られていた手が離されて宙に行き場を失ったわたしの手に向けて、宣言通りに無骨で、しなやかな指が差し出された。

「だから、伊月は伊月のタイミングで、俺が好きだってなった時に握ってくれればいいよ。その先に、俺はいる」


 ────北先輩にあこがれた、幼くて、何も知らなかったわたし。ほんの僅かでもあのひとの思い出に残れたのなら、これほどうれしいものはないでしょう。すきだったかもしれない、うたかたの、ひと。

 でも。

 それとはちがって、あの頃のわたしを抱いたままずっとずっと手を差し伸べてくれて、ずっと見ていてくれたこの男を──馬鹿でも切り替えの早い女だとからかわれてもいい──好きになってみたい、好きに、なりたいと。確かにそう、思った。









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