青く濁る。
(.......なんか、いる)
九月半ば。我が梟谷学園高校男子バレー部は、井闥山学院との練習試合に臨んでいる。昼を跨いでの予定だったため両校の監督たちによる「昼休憩!」という号令と共に解散した選手たちの隙を見て、ビブスを山ほど積んだ籠を片手にいざ洗濯へ! と、体育館外の渡り廊下を過ぎて、校舎に入る前のところに凄い顔で自販機……というよりその下を睨みつける人がいた。相手校のエース、佐久早聖臣くん。
洗濯機がある部屋に行くには、どう遠回りしてもその自販機近くを通らなければならない。いや、無機物にあそこまで感情のない視線をやれるのって逆にすごいな。
お金を落とした、のは明白だった。たぶん、地面に。
そこで、ああなるほどと合点する。
彼は潔癖だった。
「とろうか?」
籠を脇に置いてから声をかけると、一瞬借りてきた猫のように肩を震わせ振り向いた佐久早くんは、ぱちぱちと目を瞬かせた。まあ選手でもなければ交流も何もない他校のマネージャーのことは、逐一知ってるはずもないよね。
返事を聞く前に手を地面について覗き込めば、ぎょっとしたように場所を開けてくれた。あ、あった。五百円だ。指先でつまんでみせれば僅かに埃が被っており、眉が顰められる。きっとこの場合は入れてあげるのが正解だ。飲み物を買ったあとじゃないのは何も持っていない時点でわかる。視線を彼に向けると、尋ねてるのが理解したのか「……お茶を」「おっけー」ボタンを押して、自販機の入口を押えた。綺麗な手がお茶のペットボトルを取り出すのを満足気に見届けて。
「じゃあ、また午後。次は負けません!」
そう言って近くの蛇口で手を洗って、今度こそ私はビブスを持ってその場を去った。
少しだけいいことをした気分になって、雪絵先輩につっこまれてしまった。
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体育館に並べられたパイプ椅子の片付けを手伝いながら、今日は木兎さん絶好調だったのになぁと考える。合計で6セット。内、梟谷が撮ったのは2セット。負け越してしまった。その理由にやっぱり佐久早くんの調子が良すぎた、のかもしれない。
使用したボールと洗濯したビブスを折りたたんでしまって沈みかけた夕日の中、井闥山の人と挨拶をし合う。自由に先輩らが話しているのを眺めつつ、忘れ物がないかをもう一度調べるためにエナメルバッグを開けていたら、足元に影が落ちた。
顔を上げる。見る度にピスタチオを思い出すカラーリングのジャージは梟谷じゃない、井闥山のもので、もっと視線を上にしたら佐久早くんがいた。驚いた。
「ねえ」
話しかけてきた! 少しどきどきしながらなに、と返事をする。
「名前、なんていうの」
「伊月です」
「下は?」
フルネームを要求された。
「汐です。伊月汐」
「汐ちゃん」
汐ちゃん。えっ、とつい声がもれた。
自分の名前の響きなのに生まれて初めて聞いたみたいな声で、まさかの下の名前に先程よりも心臓が落ち着かなくなる。「さっき、言いそびれてたから」
「ありがとう、助かった」
「さっき? ……ああ! ぜんぜん、汚いもの触りたくないよね。わかるよ」
律儀な性格なのか最後にお礼を言いに来てくれたらしい。あまり他校の選手と話すことがないから、なんだか嬉しくなってコートの外から見た試合の感想までも話してしまう。佐久早くんは鬱陶しそうにするどころか、相槌も打ってくれた。それは背後から名前を呼ばれるまでつづいて、ハッとなる。
そうだった。彼は帰るタイミングだったのだ。後ろから来たのは幼馴染の京治だ。
「そろそろ戻るって」
「わかった、えっと、佐久早くんじゃあね」
次会うとしたら大会になるのだろうけども。佐久早くんも古森くんに呼ばれており、踵を返していった。京治に行こうかと目を合わせたら、「汐ちゃん」その声に振り返る。
「またね」
小さくあげた手をゆるく振る姿があった。
試合中に見せる凄まじい集中力や、点を獲る一種の執着とは別物じみた馴染みやすい雰囲気に、意外性を感じながらも私も振り返して。やがて見えなくなって手を元の場所に下ろしていると京治がやや難しそうな表情で、つぶやいた。
「いやあんたそういうの柄じゃないだろ」
意味を上手く咀嚼できず、どういうことなのか訊ねてもはぐらかされた。何故。
どんなに聞いてもひょうひょうとかわされる態度に不満を垂れて、私は京治を追いかけた。