短編 | ナノ


黒と白



「……見渡す限りの大森林……餓死にはうってつけの場所ってわけ?」
 松風逢音はぶつぶつと発散できぬ苛立ちと呆れを声にしながら、波打つ音を頼りに青々しい緑に囲まれた森の中を突き進んでいた。本来なら今頃、同じ仲間たちと一緒にいるはずなのにどうして自分一人だけが引き離されたのかというと───実の所、逢音にもよく分かっていない。ここに無理やり引きずり下ろされたあと、小耳に挟んだ“聖帝からの指示”の単語を聞いた瞬間、無愛想ながらも熱血さが迸るかつての味方の顔が脳裏に過ぎるも、それの真意を知るよりも早く置き去りにされたのだ。
 さほど権力も持っていないような下っ端が偉そうにふんぞり返るのを横目に、逢音は運び出されていく雷門イレブンの心配をしつつ何も出来ず立ち尽くしていた。延々と出口の見えない道を歩き、周りよりほんの少し大きな樹木に手を置いて、人知れずため息を吐いた。
「本当に円堂がここにいるの……?」
 事の始まりは約一時間前。
 今や自由なサッカーができる象徴として全国の注目を集める雷門中に、フィフスセクターから合宿参加を言い渡された。どこへ行き、何をするのかさえ明かされない未知数の合宿に大多数のメンバーは抗議をするも、理事長の言葉に釘付けとなる。──白恋中との試合後、唐突に監督を辞め雷門を去った円堂守が、この合宿先にいるかもしれない、と。
 罠だ何だの思いながら、何も動かないよりかは、中心である自分たちが無知のままではいられないと彼らは感じたのだろう。拒絶しようとした鬼道よりも早く、神童が前に進み出た。その目は、松風天馬の言葉を真正面から受け止めたあの時の目と同じで。
「……まあ、だからといってこの危機的状況がどうにかなるわけじゃないんだけど、さ」
 どういう原理なのかさっぱりだが──憶測は立てられるがあくまでも憶測でしかない──睡眠ガスで眠らなかった逢音を使った聖帝の目論見など知らない。ただ、早く仲間たちと合流しなければと逸る心を宥める。簡単に逃げ出せるような施設に放置するほど馬鹿な連中ではないから、考えたくはないが本土からかけ離れた島に連れていかれた可能性も十分にあった。おそろしいことに、彼らはそれをできるまでの権力と軍事力がある。
(豪炎寺くんが己のサッカーの道を捨ててまで管理したかったとは到底思えない……円堂並みのサッカーバカが、聖帝? 笑う他ないでしょ)
 どこのホストか、と思い切り突っ込みたい衣服に大きなピアスに、目立つメッシュカラーを取り入れた聖帝と名乗る炎のエースストライカーを描いて、目指す理想の先を思考する。一度も話をしたこともなければ、相手はこちらを覚えてすらいない。だから基本は逢音の推測が全面的に出てきてしまうのだが、考えられるのはひとつしかなかった。しかし、絶対の確証を持っても言葉にしにくいそれは、話してしまえばこれまでやってきた事を無に帰してしまうかもしれない。
 サッカーバカ筆頭の円堂が事情をろくに説明せず姿を晦ました時点で、もっと踏み込むべきだったのかもしれなかった。
 たられば、だ。今更たらればを積み重ねたところで円堂に問い詰めることさえできやしない今を悔いるより、まずは──。

「ねえ、何してるの?」
「えっ」

 勢いよく振り向いた。何も音はしなかった。折れた小枝や砂を踏む音、持っていて然るべき気配すらも感じさせず、その少年は逢音の背後に立っていた。
「な、え……な、にも?」
「へえ。僕はてっきりこの森に迷い込んだ迷子かと思ってたけど。ああ、さっきの独り言もおもしろかったよ」
 驚きで声を詰まらせ、ばくばくと脈打つ鼓動を押さえつける逢音に興味があるのかないのか、木々の影から静かに出てきた少年は歌うように言った。「独り言……?」かけられた言葉を反芻し、やがて思い当たる。
「み、みてたの!? どこから!? ぜんぶ!?」
「うん。君が森に置いていかれて、同じところをぐるぐる回ってるところから危機的状況とかなんとか言ってる部分まで、ぜーんぶ」
「恥ずかしくて死ねる……!!」
 まさか人に聞かれるとは夢にも思わず、割と脳内で精査せず降りてきた言葉を吐き出していた過去の自分を恨みつつ、蹲る。……蹲って、顔を上げた。
 ──この少年は、誰だ。
 線が細く、しなやかな肢体は逢音と同じ歳か、少し上のように見える。昏い暗い色を基調とした制服のようで民族衣装のような衣を着ていて、前髪を括った不思議な玉飾りが風にそよぎ、どことなく、神秘的な雰囲気が滲み出ている。
「不思議そうな顔をしているね」
「……そりゃあ、ここが雷門中の近くだったならよかったんだけど……、えと、あなたは?」
「僕はシュウ。ずっとここに住んでるんだ、だから、君がここに来た時も手に取るようにわかった」
 シュウ。そう名乗った彼に対して、逢音もまた名乗り返す。この島に住んでいると言った彼には悪いが、手放しの信頼はできなかった。
 けれど名を聞いて答えてくれた分には、逢音も返さなくてはならない。
「じゃあ、私の仲間がどこにいるのかも、分かる?」
「もちろん。もうそろそろじゃないかな。案内するよ」
 立ち上がった逢音に笑みを浮かべて、シュウはそのまま影に溶けるようにして歩き出す。慌てて駆け寄れば、再び笑われた。斜め後ろからついていく形をとった逢音を振り返って、彼は言う。「ただし、条件がある」「条件?」「そう」慣れた様子で薄暗い道を進むシュウを見遣り、首を傾げる。
「声を、一切あげないこと」
 意味が分からず、もう少し説明を求めようとした時に目的地に着いたのか、黒い肌をした指先が滑るように上へあがった。伸び分かたれた樹木の太い枝、だろうか。言外に登れるか聞かれてる様子に一も二もなく逢音は強く頷いた。
 木登りは別に得意不得意でもなかったが、何故かできる気がした。
 果たして───逢音は登りきり、落ちぬよう枝に両手をつき、視線を辺りに巡らして目を見開いた。眼前は、芝生に覆われていたのだ。
「これから、試合が始まる。その試合中は気づかれないようにしてて」
「つまり……大きな声はだめってことね」
「そう。それが条件だ」
 いつの間にか樹木を背に腰掛けたシュウの話に了解の意を示し、次いで鋼鉄のアーチの下から出現したサッカーグラウンドに、先程の試合と相俟って、は、と息を呑んだ。
 完成したフィールドに立ち並ぶ白のユニフォームをまとった選手たちの前、見覚えのある濃い青のジャージを着た面々がいた。試合とは、まさか。
「彼らは、アンリミテッドシャイニングと戦う」
 補足するシュウの言葉は、見て見ぬふりをしていた嫌な予感が輪郭を成し、逃れられない形となって逢音を襲った。

 間もなく、雷門VSアンリミテッドシャイニングの試合が、行われる。



……
………

 アンリミテッドシャイニングと、エンシャントダーク。

 その言葉を分解しふたつの単語に分けるとするならば──光と闇。繋がりがないと言われたとしても到底信じられず、ぼろぼろに倒れ込んだ雷門のもとへ駆け出すこともできなかった。圧倒的なまでの力の暴力と、桃色の衣服を着た教官と呼ばれた男の欲に満ちた目は、いつかの誰かを彷彿とさせて。逢音は体から力が抜けて、ただ呆然と目に映るそれを見つめ続けていた。
 結局───感情の抜け落ちた眼差しを向けていたシュウに促されるがまま、何故だか彼の言うことを聞いて随分と森の奥深くまでやってきてしまった。ここで逃げ出したところで、脱走が成功するとは思えなかったからかもしれない。ひとりでさまよっていた時には視界に入ることもなかった古びた廃墟のような瓦礫に腰かけて、そんなことを考える。思考が整理できるまでに歩きながら教わった状況と現在地から察するに、『合宿』とは名ばかりの、他の目的の打算に染まったものである。
(……それに……)
 先程の試合、雷門側の人数が欠けていた。
 天才ゲームメイカーの鬼道やその妹であり顧問の音無、そしてマネージャーの面々。大人たちがいない中勝負を挑んでいたのだ。当初は合流が間に合わず後半戦に来るのかと思ったが、ちがう。前提から違った。催眠ガスで全員を眠らせ、選手とそれ以外に分けるのがフィフスセクターの目的だった。
 つまり、万が一にでも雷門が逃げ出さないようにするための、人質。ぐ、と投げ出した手を強く握りしめ瞼を閉じれば。「やあ」
「少しは落ち着いた?」
「落ち着くも何も……、……いいや、ねえシュウくん」
「なに?」
 木々の影から音もなく現れるのも、考えが読めないのも慣れてしまった。まだ顔を合わせて数時間も経っていないというのに、どうにもこのシュウという少年には目が離せない魅力があり、こうして少し遠い位置で大樹にもたれるぐらいは許してしまっていた。
 きっと、静謐さの中に計り知れない激情を秘めるシュウに言って逃げられるほど甘くはない。それだけの軍事力と人事があるということを、既に逢音は知っている。ならば、迂闊に動いては後に何かの支障になりえるかもしれない。少なからず情報を集め、時を待つのが賢明か。
「ここ、古代の遺跡とか、そんな感じの場所だったりするのかな。あまり本土では見かけない造りになってるし……」
「建築物の歴史とかに詳しい人? 逢音って」
「えっ……。い、いや……掠れて見えにくいけど複雑な紋様とかあって、見たことないなーって」
 突然の名前呼びに噎せそうになるも、気合いで封じ込めた。
 そんな様子の逢音に気づいているのかいないのか、大して気にせずに説明を始めるシュウはやはり、フィフス側の選手なのかどうかわかりかねる。
 シュウ曰く、ゴッドエデン島には昔様々な集落が寄り集まって、小さな国のような場所だったらしい。いま逢音が座っている瓦礫もその頃の名残だろうとも説明をしてくれる彼から視線を逸らさないでいると、シュウもこちらを眺めていて。普通にびっくりしてしまった。虹彩の伺えない暗い目は、穏やかに細められているのに、そこからあるはずの温度は感じられない。
 ──するり。「これさ」
「え……」
「あった方とない方……キミはどっちが好きかな?」
 さらには相手に違和感を抱かせずにカチューシャを抜き取られ、もはや唖然としてしまう。
 どっちが好きか、と聞かれても気に入っているからそれを付けているのであって、しない方と比較するためのものではない。神童と霧野が中心となって贈ってくれたカチューシャは宝物であるし、優劣なんて、付けられるはずがなかった。
「うーん、そういう話じゃないんだけどね」
 眉尻を下げて困った様子のシュウに顔を上げれば、くすくすと笑われる。
「まあ、でも。逢音にとってこれはあってもなくても、大事なものであることには変わりないよね」
「……? それは、もちろん」
「なら、その気持ちをずっと持ち続けてなよ。いつか、キミの光になるからさ」
「ひかり……?」
 うん、と頷いてゆっくり元の位置に戻してくれる指先は、ひんやりと冷たくて。訳が分からず困惑している逢音を見て、再びシュウはわらった。今度は、微かな色が乗っていた。意図が読めないままだったが、何かしらの選択を間違えなかったらしい。
 それからは、無言に包まれた。
 別に居心地の悪いものではなく、訪れるべくして訪れたといえる無言というのだろう。耳に届くのは絶え間なく擦れる葉の音色と、時折風に乗って流れるさざ波のそれ。状況が状況じゃなければ胸いっぱいに大自然の空気を吸い込んでいただろうが、接するシュウの態度や何かを答えてくれる姿勢に勘違いしてしまいそうになるも、逢音も人質であることには変わりない。
 その静寂を切り裂いたのは、ゆったりとした声色を持つ少年だった。
 「シュウー」「来たの?」「ああ。この先にいる」気弱そうな目の少年──カイは干満とした仕草で、親指を後方へ指した。そうしてその目が逢音を見、しかし何も言わずシュウへと戻っていった。
「この子はどーすんの?」
「残念だけど、ここにいてもらうしかないね。彼女も馬鹿じゃない、ちゃんと残ってくれるはずだよ」
 一体来たというのはどういうことか。残るとは。
 問い尋ねたい質問は山ほどあるはずなのに、ひと言も口に出せなかったのはカイが声をかけた瞬間にシュウの雰囲気ががらりと変わってしまったから。
(……。………理由のない優しさは、シュウくんがする意味はない。来た……天馬たち、かな)
 事態が好転しないのは百も承知だった。
 膝を抱え、動く気配を見せない逢音を最後に振り返り、シュウはいつの間にか集まっていたチームメイトと共に遺跡跡を後にする。特に見張りもつけないのは、彼女が逃げたところで簡単に捕まるのを、逢音がきちんと理解しているのを知っているからだ。
 会話をしていく中で視えた別の形──松風逢音であって、そうじゃない人間は数知れない逆境に立たされ、その度に悔しさを知っていた。雷門の他の誰よりも現実を突きつけられている回数が多い。だから、大丈夫だと。

「ごめん。ごめんね、天馬……がんばって」

 近くに人の気配がなくなり、肌寒さを堪えるためにもっと体を縮こませる。
 こぼれ落ちた声は、風に乗って、それまでだった。









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