短編 | ナノ


ひかりのしずく



 久々に、長い長い夢を見た気がする。

 上体を起こしたまま指先を眦に這わせば、乾いた涙の跡があってそれがいい証拠だった。特に夢を見たからといって深く眠れなかったというわけではなく、むしろ珍しくはっきり目が覚めているとも言える。しかし鏡を見ていないが目元はあまりよろしくない状態だろう、真っ赤のままどこかへ行こうものなら無用な心配をされてしまう。それは私としても本意ではない。
 もう朧気にしか覚えていない夢の内容は、まだ、私が今の私ではなかった頃の夢で。大事なものが詰め込まれた、多幸感に包まれた夢。流した涙は別離を慟哭するものでも、理不尽に嘆いたものではない。では、何を意味するのか──。
「……おはよう、逢音」
「! フ、フェイ……おはよう……」
 思考を断ち切ったのは寝起きであるからか僅かに掠れた声のフェイで、言われるまま挨拶を返すと彼は何度か眠そうに瞬きを繰り返し、ようやく自らの左手に視線を落としながら、言った。「外れちゃってたね」「え?」
「寝た直前は繋いでいただろう? 僕の左手と、君の左手」
「あ、あぁ……うん。…もしかして起こしちゃった?」
「ううん。いつもと同じぐらいの起床時間さ。……へへ」
「なに?」
 年相応に笑い声を小さくあげて、伸ばされた指が、私の頬をすりと撫でてからそれから私の眦へ。そうして、破顔した。
「うさぎさんみたい」
「……やっぱり赤い?」
「うん。乾燥しきってるし、ごしごし拭っちゃうと痛むからあったかいタオル持ってくるね」
 軽い寝間着を着替えることなく、ベッドから降りようと触れられていた指先が離れた途端、言いようのない不安に駆られる。そんなことはないと分かっているはずなのに、私の手はまるで自分の手ではないみたいに勝手に動いて、やわく、それでいて強くフェイの手首をつかまえてしまった。
 は、と我に返っても遅く。不思議そうな声が上からかけられる。
「ご、ごめん……その、まだくっついてたい…んだけど」
「……逢音」
「年上なのにみっともないこと言ってるね。ごめん。大丈夫だよ」
「──いいよ。僕も、まだ逢音とくっついていたい」
 そう言うなりするりとやさしく指先を絡められ、ぐっと引き寄せられ嗅ぎ慣れたフェイの匂いに包まれて。どくん、どくん、どくん。胸元に押し付けられた耳が抱きしめてくれているこの人の鼓動を拾い、段々と、段々と心に巣食っていた不安などが溶解していくのを感じる。
 そうして唐突に、理解した。
 夢を見て、泣いてしまう理由。悲しくないのに、涙をこぼしてしまう理由。それは。
「…フェイがね、いないの」
 あの人類の存亡を決める運命の試合からそれなりに経って、男の子らしい成長を遂げるフェイの体つきは、確実に私と違いが出ていた。こうして抱きしめられれば、こっちの姿なんて、誰にも分からなくなる。実際その通りで、選んだのはフェイの隣なのに。
「しあわせなはずなの。円堂や天馬たちと一緒にいて、誰にも忘れられず、たまには馬鹿をやって……」
「うん」
「でも、でも、……フェイが、どこにもいないの」
 ぎゅっ、と握りしめた力を強くする。複雑に絡み合った、きっと、これからも答えが出ない思考をひとつずつ、少しずつでも当てはめてみるように。
「…こわかった?」
 赤子をあやすような声音に、泣ききったと思ったのに泣きたくなる。
「こわかった、のかな……私が選んだのは、フェイのいるこの場所で……だけど、天馬たちといっしょにいることを選んだ私も、いるかもしれない」
 フェイも、天馬も、円堂たちも、かけがえのない私の大事な人たちであることは変わりなくて。未来に残る決断を下したのを、迷ったり、後悔したつもりはなかった。彼らとの絆が永遠であり、何ものにも引き裂けない強固なものであるとも胸を張って言える。
 迷路みたいだ、と思う。フェイとこうして共に寝て、起きて、なんてことない明日を歩んでいく。決めたのは私で、幸せで、もちろん天馬たちと離れたくなかったと感じる私がいるのも、事実で。
「ねえ、逢音」
「……なぁに?」
「無理に結論を出さなくても、いいんじゃないかな。今ここに、僕がいて、君がいる。…まだそれだけでも僕はいいと思う」
 え、と声をこぼす。
「僕だって、心の整理がつかない部分がある。父さんのこと、黄名子のこと……たまに考えちゃって、答えが出ないまま朝日を迎えることだって、あるよ」
 背に回されていた腕が徐に顔まで動き、髪を撫でつけた。顔をあげれば、慈愛のこもった眼差しとぶつかり目が離せなくなる。
「だから僕らは、こうやって、手を繋いで隣にいるんだ。上手く考えられないことも、答えの出ない迷路も、いっしょに出口に向かっていくんだ」
「フェイ……」
 ぱたぱたと頬を伝う涙は、私のではない。うつくしく、幼い光を残したフェイの双眸から、くっついている私の手に落ちてきていた。泣いて欲しくなんかなくて、そっと拭うように手を持ち上げたら、それよりも早くより強く抱きしめられて身動きが取れなくなり、抗うことなく身を委ねる。
「いっしょにいるよ」
「逢音が嫌って言うまで、ぜったいに離してやるもんか」
「ううん、嫌って言ったって傍から離れない」
「ずっと隣にいて、いっしょにこたえを見つけていこうよ」
 与えられる、最上級の慈しみと愛しさが入り交じる、心を解していくフェイの言葉に、気づけば私も泣いていた。
「フェイ……どうかいっしょにいてね。私も、君の傍をはなれないよ」
 力のまま抱きつけば自然とシーツの海に逆戻り。私の髪とフェイの髪がシーツで踊って、泣いていたのに、どうしてだかおかしくなって。
 きゃらきゃらと不格好な笑顔をお互いに浮かべて、ただただ泣きながら、私たちは笑っていた。









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