短編 | ナノ


お茶は見ていた



「えっ! 円堂のあの『サッカーやろうぜ!』がサッカー記念辞典に載ってるの?」
 ほんの些細なきっかけだったと思う。目を瞬かせて、珍しく私服に身を包みながらこちらを見ようともしない友人へ尋ねた。当の本人は「食いつくとこそこ?」と些か訝しむような雰囲気だ。
「アイネは見たことなかったよね。今度フェイの父親に頼んでみなよ、一週間に一回更新される便利なものだからさ」
「更新もされるんだ!? 特定の場所に行かなくてもいいの!?」
「辞典そのものにそれ専用のシステムが組み込まれてるし、寿命が来れば取り替えるだけで特に充電の必要も無いし……お得な代物ではあるよ」
 わーわーきゃーきゃー。言葉にするなら一番適切な擬音が辺りに散らかりながら(一方的にではある)、私はフェーダの皇帝から普通の子供に戻れたはずのサリューが拠点にしている図書室に似た空間へ来ていた。決して遊びに来たわけじゃない、様子を見に来ている。恐ろしいほど執務机がよく似合うサリューは己ができること全ての責任を果たさんと、怒涛の勢いでかじりついていると言っていたのはメイアちゃんだったか、ギリスくんだったか。
 率先して行っている書類整理とはなんら関係のない今日の話題は、数十年前より流行り始めたサッカー記念辞典だ。手元は淀みなく動きつつ四方八方に転がる会話を続けているのだから脳の処理能力は並外れていて、いやでも彼自身の地頭の良さが伺い知れる。
「それ、サリューも持ってるの?」
「僕? 持ってるよ。といっても与えられたのはずいぶん前の話だけど」
「へぇ……やっぱりすごいね、未来の発展した技術って」
 元の時代に見慣れていたはずのものが、姿形は変わらないのに異様な進化を遂げており、この現象の発見と驚きは既にこの今を選びとってから何度も繰り広げられていた。そういう時はいっしょに未来へ歩むと約束した子が「しかたがないなぁ、えっと、これはね」と心底宝物を見るみたいな眼差しで教えてくれて、大きな私の知識となっている。
 三百六十度ぐるりと環境が変わり、早くこの時代の常識を覚えなくてはと逸る心とは真逆に、焦らなくていいんだよ、僕もいるよ、と私の焦燥感ごとひっくるめて包み込んでくれるくすぐったさと心地よさといったら。それを思い出してしまえば頬が緩んでしまうのも禁じ得なくて堪えるも、そこは幼いながらに皇帝として座していた少年の手前、普通に見抜かれていた。「……うわぁ」
「な、なに」
「隠す気ゼロ?」
「男女の仲になったら教えてって言ったのサリューだけど!?」
「だから、それはメイアが知りたがってたからで。僕は特段気にしてなかったし、……ああもう、足元にも書類あるから踏まないでよ」
「ぐっ……納得がいかない……」
 所詮吠えてもサリューは取り合わず、涼しい顔色で被害状況や損害における簡潔に記された予定費用を見つめていた。どこまでいってもサリューはサリューのペースで行くらしい。フェイが軽い口論でも彼には勝てないと言っていたことを思い出しながら、悔しくも元の話題に戻すことに。……なんだか、どんどん話題が変な方向に膨れ上がるの天馬を思い出すな。さすがご先祖様とその子孫。血は争えない。
 ぶつくさ文句を小さくこぼしていると、漸く不思議な虹彩を持ったサリューの瞳が私を映していて、力強さと見透かす光にたじろぐ。「で?」しかしペンを動かす手は止まらない。
「で、って……」
「ここの位置、誰に聞いたの? メイアから?」
 言外に何用か問われてるようで、忘れかけていた本題をやっと目の前に出すことができた。薄桃の、少し重い紙袋をそっと机上に置く。
「そう。どっかの皇帝サマがいままで一緒にいた仲間たちのために奔走してるってことで、全員のうちリーダー格と個人的に親しかった子たちからの差し入れ」
「さしいれ?」
「うそでしょ、そこで止まるの?」
 ぽかん、とかけられた言葉の意味、いや真意か。真意が分からないのか動き続けていた手も中断し、やがて視線が手元に置かれた紙袋に向いた。ちなみに私は中身を知りません。仲介役といえどそこまでデリカシーがない人間ではないのです。
「なんで、アイネが」
「あー……その、あまり私も深くは詮索しないけど、いまサリューがやってるのって言うなれば『みんな』のためでしょ? 差し入れを持っていくと余計な気を回させるんじゃないかって、それで」
「それでアイネに任せたってことかい? はぁ……」
 額を手でおさえ、自分の心の中を整理しているのかサリューが立ち上がった。組織のトップにいる立場の人間は、大層難儀なものだ。皇帝も、王も、その役目を帯びた者はたった一人しかいない。周りが駆け寄って、支えて、手を繋がねば、いつか孤独に耐えかねないともいえなくもないから。
「アイネ」
「ん?」
「おすわり」
 いや待って。犬ではない。
「いいから。あ、座ったら絶対に動かないで、いいね?」
「ちょっと、サリュ…」
「いいね?」
 なんとも強引な頷きの強要である。笑顔の破壊力が違った意味で凄まじい。まあ押しかけたのは私で、権限を持っているのはサリューなので大人しく座ることにした。じゃなければてこでも次の行動を起こさないのが目に見えていたので。
「……えーっと、なにをしてるの?」
「見て分からない? 接待」
「え」
「間違えた。おもてなし」
 間違えたとは思えぬ訂正の仕方に肩透かしを食らった気持ちと、何やら併設された給湯室に佇む姿に疑問符を浮かべる。
 サリューは己のペースを保つことが得意だ。でなければフェーダのリーダーにいつづけられなかっただろうし、納得ではある。だけど、それなりに付き合いがある私たちからするとひとつだけ、彼について知っていることがあった。──が。
 言われた通りに待っていても、耳はしっかり機能してしまう。音を、拾ってしまうのだ。
 ──同年代の男の子が、お茶を入れることに苦戦している音を。
 それはあちらも自覚しているのか微かな悪態の声が滲み出て、たまに心配になるような音も出てるから、何度か腰が上がりかけたのはここだけの秘密。
「サリュー」
「うるさいそこにいて」
「居るよ。ふふ」
「笑わないでよ。ふんだ、この年になってお茶の一つ出せないんだ」
「ううん。その心遣いが嬉しいなって」
「……………、………アイネ」
「なに?」
「……やっぱり、おしえてほしい。力を持っていたことを後悔する気はないけど、僕には出来て当たり前のことが出来ないから」
 気恥ずかしげに、でも教えを乞うことは恥じずにサリューは続ける。
 これを言えば起こるかもしれないけれど、こういう部分があるから、きっと彼らはサリューを慕っていたのだ。出逢いがどうであれ、知り合った経緯がどうであれ、そこにしか行き場がなかったのだとしても。気性の激しい子も揃って彼に集っていたのだから。
 だって。私も、サリューも、フェイも。メイアたちも。こどもなんだ。
「もちろん。いっしょに煎れた方がより美味しいもんね!」
 よし来たと言わんばかりに握りこぶしを作れば、無邪気な笑い声をあげて、ありがとうと言う。
 私にとって、それだけでも価値のあるお礼だった。サリューといっしょに煎れたお茶、トウドウ議長にも持っていこうかな。あの鉄仮面が崩れる様が見たい!
 そんなことを考えてるとは知らずに、気のせいじゃなければそわそわしているサリューのもとへ一歩足を踏み出した。









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