かぞく、それは。
セカンドステージ・チルドレンの力を手放したといえど、おそらく彼らの地頭は元々相当良かったのだろう。そこに超常現象を起こせる特異能力が加わったことで軍隊すらも敵わぬ無敵のフェーダが生まれた──そう、サリューは言っていた。……フェーダに属さないSSCの子供たちの中だと、うまく力を扱うことができずに中途半端な成長を遂げた者もいるとも。
能力を覚醒させて誰かに疎まれて生きていくか、雑踏に埋もれたまま己の違和感を抱えたまま生きていくか。どちらがどうとかは別に言うつもりなんてない。両方とも何かを諦めなければこの世界を歩んでいけないのだから、そんなもの、どちらだって選びたくなかった。
一歩。踏み出すために一歩、歩み寄るための一歩。そして、選択と辿り着いた先を間違えれば取り返しのつかない未来を招いた、一歩。人類の存亡をかけた終焉と紐づけられたあのラグナロクから既に数ヶ月は経過しているというのに、私はどうしてか与えられた自室で考えなくていいことを考えるようになってしまっている。頻度はそれほど多くはない。けど、泥濘に嵌って抜け出せなくなっているような、あがいても余計に体が沈んでいるような感覚は、日に日に強くなっていると思う。
本当に一歩を、よく考える。何かを見逃していたら、何かを掴み取れていなければ、誰かを……失っていたら。得られなかったいま。
「………ッ!!」
寒気が、した。胃の中がぐるぐると回って、胃酸がせり上がる嫌な感覚。
大丈夫。目の前が見えない真っ暗な未来は、時空の彼方へと消え去って今を歩んでいる。そんなものは、いつになろうとも訪れやしない。私のことを気遣って色々よくしてくれる大人のひとも、サッカーを通して親しくなったトモダチも同じ時代ではないけれど同じ時空にいる。だから、怖がる必要なんて、ないはずなのに。
サリューたちに聞いてみれば分かるのかな。どうしようもない感情の行く先を。人並みとはかけ離れた頭脳を持ったあの子たちなら。……ただの普通の子どもに戻れた彼らに、余分な負担はかけたくない。かけたくない、のだけれども。他に相談する周囲も見当たらないし──「アイネさん」と、思っていた。今この瞬間に、誰もいないと踏んでいた場で右肩にゆるゆると手を載せられるまでは。
視線を右肩へ、それから触れている手が成長しきった手であることに冷水をかけられた気分になり、そこから表情筋があまり動かないながらに心配げにこちらを見ている男の人の顔へ。…次いで。
「わあぁぁ!?」
悲鳴。
ドッタンバッタン、と仰々しい物音がぴったり当てはまるような、魚みたいにまるで天敵を見たかのような後退りをし、バクバクと口から心臓がまろびでる錯覚をやり過ごした。何でここにいるかの疑問は簡単に解ける。此処は、私の自室があるこの家の家主は眼前で珍妙なものを見たと瞬きを繰り返す男の人……アスレイ・ルーンなのだから。
家主が戻ってきて何も問題はないし、なんだったら思考の沼に溺れている間にノックをされてたのなら気がつかなかったこっちの落ち度だってある。
「すまない、そうまで驚かせるつもりはなかったんだ。だがもうじき検査の予約時間だろうと思って」
「あ、ああ……ごめんなさい。そのために学校休んだのに」
「なにか気がかりなら、次の週に予約を伸ばすことも可能だが…」
「だいじょうぶです。少しぼんやりしてしまって」
丁寧に謝罪を重ねるアスレイさんを座ったまま見上げて、今日の予定を馬鹿らしくもたった今思い出した。自分の体質を調べると共に未来の時代だけ成長を再開できている謎を解明するべく、残留してから定期的に行われている健康診断とはまた違った検査。そのために、自分のせいとはいえ溜まりに溜まった書類を昼夜問わずこなしているこの人も有給をとったというのに。
日帰りで済ますことができるので特に負担と感じたことはない。検査の主治医が顔見知りだから、という理由もあったりするがそれは割愛。
「フェイは?」
「さっき病院を出たと連絡があったよ。あの子を拾ってからアルノ博士のもとに向かおうか」
「はい。もうそろそろ定期検診が半年に一回でよくなってきてるらしいので、よかったですね」
「……ああ」
おや、歯切れが悪い。なんとなく大好きな彼と同じ色の双眸に私を見透かす光が宿ったのが見え、あえて小首を傾げてみる。
子供心が十分に理解できていなかったアスレイさんでも、ここ最近はフェイやサリューたちとの対話や触れ合いを通して小さくても確実に私たちをしっかり見ることができていた。だから、不必要な動揺を悟られれば不利になるのは私の方。抱いている私でさえ説明し難い感情を誰かにさらけ出すのは気が引けるのだ。
頼っていないわけではない。住民票やら戸籍やら行政機関に関することを任されていて、しかも実の子であるフェイと二人暮らしをするはずだったこの大きい家に住まわせてもらっている。これを頼っていないというなら、何をもって頼っているというのだろうか。
(……だけど)
きっと、この感情は自分自身でケリをつけなくてはならなかった。真っ先に相談しようと思い浮かべたのが大人ではなく、サリューたちであることはほんのちょっとばかし蓋をして。
曖昧に笑って、誤魔化しに徹する。するとアスレイさんはフェイと同じ白い指先を額に押し当て、深く深く、息を吐いた。……ため息、だ。
「だめだな、私は」
「えっ?」
そうして呟かれた脈略のない言葉に今度は純粋に首を傾げる。
「アイネさんの『だいじょうぶ』はあてにならない、と先日フェイに教わったばかりだというのに…また君のそれに甘えて見て見ぬふりをしてしまうところだった」
「……フェイが、そんなことを……」
まさか自責の念に駆られるアスレイさんとフェイがそんな話をしていたとは。ピンポイントで、悪い癖と言われる溜め込みを父親に相談していた。
すぅ、はぁ、と何度か深呼吸のあと目の前の人は不器用な笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「フェイとかぞくに戻れたのも最近の私が、アイネさんに言えることばなんて限られているのかもしれない。それでも、それでも私たちはかぞくなんだ。不安に思うこと、心配なこと、……なんでも言ってほしい」
「…………」
「どれだけ力になれるのか分からない。また私は道を間違えて、君を怒らせてしまうかもしれない。そうやって辿り着いてもいない未来を恐れて何も行動しないよりかは、幾分かマシだろう。だから、アイネさん」
いっしょに抱えさせてくれないか。
差し伸べられた手。色褪せぬ思い出の中でもいっとう輝きを放つそれは、いつだったか共に公園で話をした時の、フェイと被って。──眦が熱くなる。泣きたくないのに、泣く要素は、ひとつもないのに。
「……うっ……く、」
かぞく。家族。私たちは、家族なんだ。
複雑に絡み合った末の形だとしても、かけがえのない、これからもっと絆を重ねていく家族だ。とらないはずが、なかった。
「ありが、とう」
「アイネさん……」
「ありがとう、ございます……っ…アスレイさん…!」
どうしてだろう。涙が止まらなかった。
みんなの顔が滲んだ線となって、描かれては、消えていく。数々の思い出を共有して、苦楽を共にしたみんなの顔。
かぞくになるということは、こんなにも、尊いことだったのか。
泣きわめいて顔を上げられない私の背に、そっとアスレイさんの掌が添えられたのを感じながら、思い出と愛を抱きしめて、私は泣き続けたのだった。
──のちに、目元を真っ赤にした私を見たフェイがとんでもなく慌てていたのは……また別の話。