短編 | ナノ


あえかの死



 人間、死ぬ気で物事に取り組めばなんでも出来てしまうんではないかと最近よく思う。
 本でしか見たことも知識としてしか知らない礼儀作法やテーブル―マナーが佳い例だ。朝目が覚めたら全く知らない天井にふかふかの寝具ベッドで眠ってて、ああ、気持ちのいい夢だななーんて考えてたらやけにリアルな感触や匂いに咄嗟に現実だと飲み込めたのは、今にして思えば過去の私にグッジョブと云ってやりたいぐらいに英断だった。あのままぼんやりしていたら脳を疑われていたかもしれないから。
 状況を説明するにも、成り代わりが一番しっくり来るのだが如何せん同姓同名で顔も同じ、しかも呼びに来た両親も同じだと知れば、少しだけ違和感を覚える。言動、仕草、癖、趣味……人間性を構成するものは何一つ変わっていなかったけれど、たったひとつだけ。仕事が違った。覚えてる限りだと中小企業の課長のお父さんと、コールセンター勤務のお母さんだったのにも関わらず今のふたりは。
 ───この横浜の暗部そのものと云っても過言ではない、それでいて、横浜を愛している裏社会の頂点のポートマフィアの専属情報員だったなんて。この夢みたいな現実リアルで十六歳の誕生日を迎えた当日に打ち明けられて、鋼メンタルとして自負していた私は柄にもなく卒倒してしまいそうになった。否、した。数十秒間意識が何処にあるのか判らなくなった。しかも詳しく聞けば、現在横浜では夥しい量の死体を生産している抗争の真っ只中であるとか……。あーうん、これ以上は聞かなくても大丈夫かな。

「自分でも吃驚するぐらい現実逃避してたのにな……ポートマフィアに龍頭抗争……」

 確定した。此処は、此の世界は。 ……私が好んで読んでいた漫画の世界だと。
 そう判断した私は愛情を注いでくれる両親の「マフィアに這入るか如何かは自分で決めなさい」という言葉に甘えて、何としても以前の居場所に戻れるまでの間絶対に生き延びるぞ作戦を練り、最下級構成員ならば兎も角、決してそれ以上の階級に位置する人間とは徹底的に出くわさないよう、両親が家に誰かを招いたり、購い出しに向かった時も時間をかけず急ぎ足で済ませた。
 幸いにも一歩間違えれば即お陀仏の龍頭抗争は誰にも出逢わず切り抜けられ、心底安堵した。主に在宅で情報収集をしている両親も五体満足の無傷で存命していて、詳細は判らない私は部屋の中でほっとしていたのだ。銃弾の雨に血しぶき、其れから不気味な紅月を見ず、此の地で生き延びる難しさを、真に理解していないことに気づかずに。
 母は云っていた。「私達の異能力は後方でこそ真価を発揮するの。だから、踏み込まれればあっという間に瓦解するわ」
 そもそも、両親の異能力はどちらとも電波を介し一定条件を満たせば欲しい情報を入手できるものであり、その力を有益だと判断を下した組織からそれなりの護身術や体術を習っていると云えど付け焼刃程度のもの。母の云う意味を、正しく理解したのは龍頭抗争が終結して、僅か六日後のことだった。
 其の日は正午頃に組織の幹部が訪問することになっていると聞いて少しだけ心が鬱になっていた。玄関のインターホンが鳴って、覚悟を決めようと深呼吸をしかけた───瞬間。
 ここまで生きてきて聴いたことがないような轟音に、何かが砕け散る音、それから怒声に家具を退かす大きな音が響き渡った。水底の如く静けさを保っていた我が家の異音に、私はだいぶパニックになっていたのかもしれない。意図的に接触を避け続け、体術すら会得していない無防備な女が駆け付けたところで何もできやしない。そんなこと、判っている。判っているのに、足は止まらなかった。只動かねば両親が死ぬ……! そう思ったのだ。
 頭が真っ白になる中扉を押し開け飛びだした先、一階のホールを見下ろせる欄干から身を乗り出して、両親と襤褸を纏う集団を見た。先代派を名乗る方は既に人手が足りないのか、襲撃者の数は三人。内の二人は銃を構えていて、一人は鋭利な刃物を突きつけている。

「……ッ、お父さ、お母さん!」
「汐!? 下がれ!!」

 策など有りなどしない。自分でも愚かだと思うこの行動に、何か意味があるのか。
 何も判ってはいないまま欄干に片足をつけ、飛躍してホールの地面に降り立った。正直痛い。足の平から痺れるような痛みが体全体に訴えかけ、今にも膝をつきそうだ。背後で悲鳴を上げる両親の声が聴こえて、それで……そうして。
 両眼が、燃えるように熱かった、、、 、、、、、、、、、、。驚いた様子の男達の表情を───眼を見詰め乍ら、殺させはしないと心が吼える。銃口が向けられても、退けなかった。死ぬ心算は、なかった。でも人間危機に瀕すると衝撃に備えるために瞼を下ろすのか、次いで、数秒。

「がっ……は……?」

 私でも両親でもない苦しむ声に、はっと目を開けて見れば。
 ……花だ。
 口から、眼から、朱い紅い花が咲き誇っている。其れは連鎖反応なのかひとり、またひとりと藻掻いて苦しみ出し血を一切出していないのに、青白い顔で倒れ伏していく。眼が熱い。
 なんだ、何が起きた。何故彼らは苦しみ、倒れている? 花が、咲いた。咲いて、どうして?

(………眼……?)

 熱を持つ両眼。そして、両親も異能を持っている。若しかして、これは。

「汐! 無事か!?」

 お父さん?! だめ───!

「っ来ないで!」

 滅多に大きい声を出さない私に瞠目したのか、駆け寄る足音がすぐ側で収まった。ぎゅっと閉じていた視界を恐る恐る押し上げて、真紅の花を咲かせて絶命した襲撃者の姿だけが見えるのに胸を撫で下ろし、如何しようと煩い程脈打つ鼓動の音で満足に思考が回らない頭を抱えていると。新たな靴音が無残な屋敷ではなく、玄関の向こう、つまり外から。
 誰なのかを把握したいのに、引金トリガーが自分の眼であることは百も承知のため迂闊に目線を上げられなく。まずい……これで増援だとしたら隙が出来すぎている。
 近くで息を呑む音が聴こえたと同時に、喉から振り絞った声が届く。

「だ…太宰、幹部」
「やあやあ、派手にやってるね。何時から伊月家は廃屋になったのかな?」

 太宰。太宰というのは、真逆。

「先代派の襲撃です。初めは私達だけで対処をするために何発か撃ったのですが……その、娘が異能を、発現させまして」
「へえ」

 未だ異能が暴走しており、顔を上げられない私に誰かの鋭い眼が見下ろしている感覚に、無意識に両腕で自身の体を抱き込んだ。
 何度も、何度も耳にした読めない声音に、間違いないと断じる。──太宰治。

「お嬢さん、立てるかい」
「は、い……」
「……異能力の微かな暴走か、若しくは常時発動型の力。孰れにせよ、私には関係ない。眼を開けて」
「…………」

 ひりつく痛みのある眼を開け、映ったのは。
 黒い蓬髪、額に巻かれた包帯。袖を通さない黒外套の下は黒のスーツ。最後に眼があったと思った鳶色の片眼。先程の男と同じように太宰さんの体が淡く輝きだし、赤が侵食するごとに、螺旋状の蒼が其れを相殺していき、霧散していく。

「眼をあわせた人間の眼と口から真紅の花を、然も強い毒性反応のあるものを咲かせ死に至らしめる異能力。…ふむ」

 無効化の効果に改めて目を見開いていると、伸ばされた手が私の指を掠め取り、再び太宰さんの視線が私へ向かう。

「元の眼に戻ったね。伊月さん、この子連れてくけどいい?」
「えっ?」
「……矢っ張り、首領に報告、ですか」

 悲し気なお父さんの問いかけに、太宰さんは顔色を変えずに。淡々と。「現状無効化できるのは私しかいない」

「何が契機きっかけだったのかも判らないし、娘さんの状態を見るに異能を制御下に置けていない。このままだと二度と人に会えなくなるよ」
「!! 人と…」
「そう。意識して解除できないのなら、誰も這入らない部屋で大人しくしているしか、道はない。其れに、眼を見るだけで対象を殺せるのなら鍛えれば任務に使える」

 そう云うなり歩き出す太宰さんに引っ張られる感じで私も動かざるを得なくなり、慌てて振り返って両親を視界に映す。不安と心配の感情が入り混じった表情に、私は小さく笑った。

「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、私、覚悟できる」
「汐……」

 そうだ。この世界で生きていくと決めた以上、何時かこうなる可能性は知っていたのだ。
 その時が早まっただけで、何も可笑しくはない。

「あの」
「ん?」
「お名前、聞いてもいいですか」

 知っているけれど、如何してかこれきりの付き合いではなさそうだと直感が云っている。
 彼はきょとんと音が似合う顔をしてから、伏し目で口を開いた。

「私の名は太宰。太宰治」
「太宰さん……、私は伊月汐と云います」

 諦めるしかない。
 五大幹部と知り合ってしまった時点で、安穏は遠ざかってしまった。ならば、殺されないよう生き抜く努力をし、力を認めてもらわなくては未来はない。さぁ、と間を行き交う一陣の風に目を細めて、上を見遣る。
 清々しい程の、青い空が広がっていた。


 これが、私がポートマフィアに加入することになった事件であり、出来れば会いたくなかった主要と云える存在たる太宰治との出会いだった。









×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -