短編 | ナノ


夕暮れのベルガモット



 どうぞ、と招き入れた来客はいつもの服ではなく、左胸に鮮やかな花飾りを身につけた云わばよそ行きの出で立ちで、室内にある窓から差し込む夕陽がうつくしい白を彩っていた。朝焼けも、夜空も、夕暮れも、素直に好きと言えるもののひとつだからか、私もどこか上機嫌に居間へ案内しようとしていた、ら。「あの」控えめながら、できれば退かないと言いたげな眼差しをこちらに向けるヒースくんは言葉を続ける。夕陽に反射する碧瑠璃が眩しい。
「お茶会、庭でしていただいても大丈夫ですか?」
 滅多に誰かのやることを曲げない彼の珍しい申し出に、彼に対して馬鹿みたいに甘さを引き出している自覚はあるが、今日も今日とてそれは遺憾なく発揮された。東の魔法使い、ファウストとはまた違った大切さを抱く相手なのだから、仕方がないのである。他意はない。ないったらないのだ。
 痛いほどに真摯に私を見つめるヒースくんを見つめ返しつつ、ふと、彼との出会いの頃を思い出してしまい、無意識に目を細めた。あの時のヒースくんは心の内を話すような真似は一切せず、引っ込み思案を形にしたような性格で、まさかそんな彼がここまで親しくしてくれるとは私も予想していなかったけれど。ぎこちなく、慣れない笑みを貼り付けた過去の残像と今が重なるのに苦笑をこぼし、さぁいつまでも客人を玄関先に立たせたままではいられないと私は快く頷いた。「っ、ありがとうございます」またもや眩しかった。
 準備していた道具や軽いスイーツなどを手に、庭へ伸びる扉を開く。辺りは柑橘のように橙色に染まっていた。

****

「──……へぇ、中央と東で合同訓練。しかもオズさんが?」
「はい。守護魔法を、教えてもらいました。ほとんど実践に近い教授でしたが、オズ様らしいものです」
 穏やかで柔らかな空気が流れていく。繊細なデザインが自慢の茶器に注がれた紅茶がそれぞれに一度飲み干して、自然と会話は三日前に行われたという合同訓練の話題になった。なんでも攻撃魔法がほとんどの授業な中央と、実技がいいと進言したシノの要求が掛け合わさって、今回のオズさんが先生役の守護魔法を教わることになったらしい。最強の魔法使いから直々に伝授する守護魔法か。その場にはいなくても凄いというのは分かる。
「やっぱり、大事な故郷ですし…できることなら俺の力で護りたかったんです」
「その気持ちがあれば大丈夫だよ。上手くいったのも、わかるよ」
「え、そ、そうですか……?」
「一概に嬉しいことがあった、ってわけじゃなさそうだけど、なんとなくね」
 見えるところにいるなら、ずっと見続けてしまう君のことだから。とはさすがに言えなかったけど。南の国の商人から仕入れた精神安定のハーブの紅茶を再び注いで、自分より若い魔法使いのささやかな成長を私は喜んだ。何かによって形作られた神像の如き美しさを溢れんばかりに身に宿すヒースくんの顔は、いつ見ても、飽きが来ない。むしろ日に日に良さが出てきているのだから。
 そうまで考えて、息が漏れる。「じゃあその格好は」
「ご両親が用意してくださったもの?」
「張り切って、みんなの分まで振る舞ってました。…似合ってますか?」
 あ、と思う。
 時々、ヒースくんは驚くくらい積極性を見せることがある。佳麗な碧瑠璃が見透かすように覗き込む。
 答えなんて決まりきっている。こんなにも息子であるヒースくんを大事にし、慈しんだご両親が用意した装いだ。似合わないはずがない。
「とっても、似合ってる。いつもの服も清潔感と爽やかさがあって好きだけど、こっちも純潔さがあって素敵」
 本心から垂れる感想にヒースくんも満足してくれたのか、やや気恥しそうにお礼を言ってくれた。踏み込んだ質問をしてくるのに、こういった面でまだ羞恥が残る彼をかわいいと言ってしまえばおそらく失礼にあたる。が、かわいいものはかわいいのだ。
 そうして、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうもの。
 夕陽が消えかける、不思議な色合いな空が私たちの視界に入って、どちらからともなく片付けの準備に入った。といっても、魔法でキッチンに運んで、ちょいちょいと片付けるだけだけれど、私はこの、名残惜しさを感じられる時間が案外好きだったりする。ヒースくんも以前そうだって教えてくれた。魔法舎での夕飯もあることで、軽めのケーキが載っていた皿を持ち上げて───止まった。正確には、皿に描かれた絵により、あることを忘れていた事実を思い出したのだ。
「ごめんヒースくん、ちょっとここで待っててもらってもいいかな?」
 不思議そうに目を瞬きながらも了承をくれたヒースくんを見、私は急いで自室に足を動かす。目当てのものは箪笥の二段目の、奥のスペースに確か置いておいたはず……。薄暗くなった部屋を一時的に明かりを灯し、爪の先を引っ掛けぬよう引き出しの奥をまさぐる。かつん、と何かが当たる。控えめな彫りがうつくしい箱。「あった」それをそっとそっと丁寧に取り出し、僅かな埃をハンカチで拭い、足早に庭へと戻った。
「お待たせしました! これ、ヒースくんに」
「俺に?」
「そう! さっきの紅茶を仕入れた商人がね、おもしろい物を売ってたから、つい」
 思い浮かんだのが目の前の魔法使いだったから、購入したもの。あけてみて、と促せばゆっくり開かれていく。
「……これ、羽ペン?」
「機械いじりをする時、こう、書き記す時ってあるでしょ? 丈夫で、長持ちするものって聞いたから。よければ、使ってくれる?」
「もちろんです。ありがとうございます!」
 心底嬉しそうな顔を浮かべるヒースくんに、こっちまでもが嬉しい気持ちになり、大事そうに抱え羽ペンを掲げている頃合を見計らって、私は続けた。
「羽に、オレンジの繊維が組み込まれてて」
「え?」
「だから傾けたりすると小さく柑橘系の匂いがするんだって。いい匂いだよね」
 実はオレンジではないが他のフルーツの繊維を組み込んだ羽ペンをもう一つ買っているため、実質お揃い、というものだったりする。頭を冴え渡らせたい場面で重宝しそうだな、と贈り物に喜んでくれたヒースくんを見上げていれば、じわじわと白磁の肌が紅潮し始め……ん!?
「…ヴィはすごいなぁ。ほんとうに、凄い……。
 ───ヴィ、こんなにも嬉しい贈り物をありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「やだな、ぜんぜん。いいんだってば」
「いつか、」
 陽だまりが綻んだかのように花開いた微笑のヒースくんはそこで区切り、何度か深呼吸をする。そして。
「──いつか、ブランシェットの城のオランジュリーにご招待させてください。シノも、連れて」
 ああ、またそうやって。私の知らない笑い方をしている。まだまだ若い魔法使いの成長速度に、いつだって眩しいのは私の方。いつまでもずっととは言えないけど、見守り続けることは、できないのかもしれないけど。それでも、私がこの子を見守りたいと思った心は本物で、願った心のままにかけた祝福の魔法は限りなく、ヒースくんを守ってくれるだろう。
 緩やかに、差し出された掌に指先が触れる。
「ぜひ。よろこんで」

 夕陽が沈み、艶やかな夜の帳が包まんとする時間帯。
 甘くて、爽やかな、それでいて誰かの心を安らげるオレンジの薫りが今日という日を愛するように、つよくなった。









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