天使の滞在

 困難の先はまた困難、とはよく言ったものだ。
 厄日か何かなのではないかと疑いたくなるのは仕方がないと思ってほしい。
 戦えば戦うほど強くなると言うが、その限度を超えたものというのはどちらかというとただの厄だ。
「おっ……まえというやつは!」
「ひぃぃごめんなさい〜! わざとじゃない、わざとじゃないのー!」
「オレンジグミを取り出すときにダークボトル落とす奴があるか!!」
 月と星が鮮やかに彩る夜の帳が降りる頃、地図を見ればここまでかかる道のりじゃないダリルシェイドへついたのは既に21時を回っていた。つまり、完全に想定外の帰還時間となったということである。正門前を警備している兵の前を通ってひと気がない場所で振り返り、柔らかく伸びやすい頬をつまんで左右に引っ張る。
 何故これほど遅くなったかというのは、後ろで謝り倒しているこいつに聞けば一発だ。戦えないから僕に戦闘を任せるのはもちろん構わない。シェスを前線に出そうとするほど僕も鬼じゃないからな。それなのに、こいつは。思い出すだけでもため息しか出ない記憶を引っ張り出し、脳裏に描いてみる。

「シェス。道具は一通りあるんだろう?」
「うん。昨日の夜もつくってたから……何か必要?」
「オレンジグミ頼めるか」
「はーい。ちょっと待ってね、ええっと確かここら辺に……あった」
「ありがとう」
「はい、───あ」
「あ?」
「っあああ!」


 いやだめだ、思い返しても間抜けとしか言いようがない。綺麗に収納しているのに出す際に他の物をぶちまけては意味がないだろう。しかも落としたのがよりにもよって雑魚魔物を呼び寄せるダークボトルという点。これがシェスじゃなかったらもはや会話はかわさないし置いて行っていた。
 今日は根本的に自分が悪いと感じているのか、いつもより反論をしてこない彼女の様子に狂わせられながらも、その姿を見て溜飲が下がってしまうのだから僕も大概だ。とにかく、うじゃうじゃ湧き出てきた魔物を狩りつくしてようやく帰路についたのだ。
「はぁ……怒ったら余計に疲れるな」
「で、でも! 怒り散らしてるのにわたしを守ってくれるあたりリオンだなって感じた!」
「は?」
「ごめんなんでもない」
 訳の分からないことを口走るシェスに怒気を向ければ、すぐさま大人しくなった。真面目にシェスじゃなかったら今頃どんな風になっているのか想像もつかない。
 空気が読めないわけじゃない。ここぞという場面だと逆に真理を見抜く目を持っているくせに、普段に発揮されないのはどうしてだろうか。……僕の前だと、気を抜いているから、なのか? だとすると口角があがるぐらい嬉しいが。
『坊ちゃん坊ちゃんよかったですね! シェスから頼れるって認めてもらったようなものですよ!』
「……シャル」
『ふふーん、僕は誇り高いですよ。シェスは優しい女の子ですからね』
 姿は見えないけれど胸を張って言っているのがよく分かる声に、シェスとは別の意味で額に手を押さえる。シャルティエもまた、シェスと似たようなものだったことを忘れていた。声が聴こえていないのをいいことに到底本人には聴かせられないようなことも好き勝手に喋るというのもあって、おしゃべりな性格には辟易している。
「シャルティエさん、なんて言ってるの?」
「特に何も。さあ、屋敷に戻るぞ。明日も早いんだから───」
「リオン様! ああようやく見つけましたぞ!」
「…………」
 ……なんだ、なんなんだ今日は。行動を起こしかけると出鼻をくじかれることが多いのだが? ダークボトルで足止めを食らい、今度は街の人間に呼び止められるとは。
 まあ、ただ今声をかけてきたのは僕から依頼した加工を得意とする店の主だったから別に良かったんだが。ぜぇぜぇと肩で息をする店主は一度ぺこりと頭を下げ、両手で大事に持っていた箱を見せてくる。
 一か月前に依頼したもののことだと分かると同時に、彼女の反応が気になってくる。
「完成したのでお届けにあがりました。ちょうどシェス殿も見えたので好機だと思い……」
「あ! ペンダントだ!」
 説明も何も聞かず箱の中身を取り出し喜ぶシェスを見て、店主……ダンガルは白髪を揺らして微笑んだ。明かりがなくても輪郭を捉えられるというのは利点だな。
 6cmの平たいレンズを支える流れるような金細工に、二対の翼。僕でさえも惚れ惚れしてしまうそれにシェスはよほど感動したのか、しきりにダンガルにお礼を述べている。
「ご依頼されたのは持ち運びが楽になるような加工と、私の店にある鉱石の中からリオン様が選び抜かれた厄除けの意味を担うもののさらなる加工でしたね」
 月光に掲げ美しい装飾に目を細めていたシェスが、もとから大きい瞳をもっと見開かせ、不思議そうにダンガルを振り返った。
「身につけられるように加工してもらうってのはリオンから聞いてましたけど、鉱石に関しては知りませんでした。どういう効果があるか教えていただいても?」
 知りたくてうずうずしているのを必死に隠しているのだろうか、少しだけ早口で。その様子にくすりと笑みをこぼして温和に話そうと……って、おい。待て、何を話すつもりだ。
「中央から厄除けとして最強の名を欲しいままにしているモリオンと……と、これ以上話してしまうとリオン様に怒られますゆえに」
「だったら最初から話さなくていい! シェスもシェスでその眼差しはやめろ!」
「えーどんな眼差し?」
「おまえっ……!」
 にやにやとペンダントと僕を交互に見やるシェスに言い知れぬ羞恥が生まれ、気取られないように背を向けるが既に遅い。後ろで小さな歓声をあげるシェスは迷わず首につけて、次いで僕の前に移動して。
「ありがとう、リオン」
 ……そうやって、幸せそうに笑うんだ。
 認めるのは大変に癪だが、この笑顔が見たいから僕はこいつになにかしてやりたいと思うんだろう。シェスとは小さい頃からの付き合いで、一般的に見ると幼馴染だ。同年代で同じ街に住んでる友人に近い存在は彼女以外にはおらず、屋敷で帰りを待ってくれているマリアンとは別の感情を抱いている。といっても、その感情に名はなく、ただ傍にいて息苦しくないことは確かで。
「ではリオン様……説明なさるときはこちらをご覧くだされば」
「い、いらんお世話だ! 知りたければ勝手に調べればいいだろう!」
「素直じゃないですね」
『ええほんとうに』
「どさくさにまぎれて結託するな!」
 当然ながらダンガルはシャルの声は聴こえない。聴こえずともそこにいる者として扱う数少ない人物であると同時に、こうして意地の悪い行動を起こすからタチが悪い。
「まあまあリオン、そんなに大きな声出さないで、ね?」
「もとはといえばシェスがダークボトル落としたが故の遅い帰還だからな」
「わかってますよーだ、じゃあダンガルさん。ありがとうございました」
 話は終わりだと丁寧にお辞儀をして僕の手を引っ張るシェスを止めようとするも、どういうわけか振りほどけなくて、これ以上言葉を連ねるのはやめた。が、やっぱりシェスに引っ張られているのはかっこがつかないと思って隣へと並んで、横目でペンダントを見る。
 純度の高いレンズを埋め込んだ金細工のそれは、前からあったのではないかと思ってしまうほど彼女に似合っていた。
「それで?」
「……なんだ」
「だから、鉱石のことだよ。モリオンしか分かってないから」
「僕に説明しろってことか?」
「わたし、こういうのには疎いから。それにさ、リオンにもらった大事なものだもん。知っておきたいよ」
 こいつは。
 この、言いにくい台詞をぽんぽん言い放てるとは。いや、長所なのは間違いない。裏も、打算もないと理解できるから。
「───モリオンはダンガルの言うように、厄除けの意味を持つ。そこから左右に展開してて、左にアマゾナイト、サファイア。右にブラッドストーン、ラピスラズリ……だ」
「すごい、ぜんぜん分かんないや」
「そうだな、最初から答えを言っても賢くはならないな……あとは自分で調べろ」
 ほへ〜、と何も分からない様子でペンダントを見下ろすシェスは純粋だ。口が裂けても言えないが願わくは、その純粋さがいつまでもあり続けるよう、柄にもなく祈ったんだ。
 ……口が裂けても言えないがな! 言えばつけあがるし調子に乗る。
 だから鉱石の名前を教えただけでもよしと思ってくれ、と念じていれば特に追及されなかったので内心安堵しながら視線を前へ───見えてきたヒューゴ邸の敷地へ踏み入る。今の季節に咲く金木犀の香りが鼻腔をくすぐり、秋の訪れを体感した。と、隣の気配がいきなり留まったのを感じて振り返った。
「なにしてる」
「懐かしいなって。ここに来るのは……二年か三年ぶりぐらいだから」
 目を細めて綺麗に整えられた庭をきょろきょろと見渡すシェスに、そういえばそうだなと思った。
 自立するまで……三年前に喫茶店を開店させるとヒューゴ様に意思表明をするまでは、この屋敷で共に住んでいた。当時は僕も子供だったからどうして一緒に暮らしているのかは分からなかったけど、同年代の少女と過ごす日々は実の父親に愛をもらえなかった僕を和らげてくれて、そこに、マリアンも加わって。花が好きだったシェスは事あるごとに種を植えて、咲くのを楽しみにしていたな……。そう思い、ちょうど足元に白い蕾をつけた花の近くに屈み、風に吹かれながらも強く大地に根ざすそれにそっと触れる。
 屈んだ僕に気が付いたのか、草を踏みしめる音を立ててシェスもしゃがみこみ、根本を観察していたかと思うとリュピネルの花だね、と述べた。
「お花に水をあげられなくなっちゃったから、どうなってるんだろうって思ったけど、これ、たぶんマリアンがやってくれてる?」
「ああ。日中にやっている。他のメイドもたまにだが……大半はマリアンだ」
「へぇ、あとでお礼言っておかないと……」
 あと花言葉は……あなたを守りたい。
 付け加えるように呟いた花言葉に、ぴくりと花に触れていた指先が反応した。守るという言葉、その意味。それを僕はずっと昔から考えている。
「リオン?」
 マリアンと対等になりたい。シェスを守れるようになりたい。このふたつの願いが僕の原動力といってもいいぐらいに占めていて、決して身につけた剣技や教養はヒューゴのためなんかじゃない。
「ねえ、リオンってば」
「っ! な、なんだ……」
「なんだじゃないよ。ぼんやりしてるけど平気? わたしお腹すいてきちゃった」
 ぱたぱたと手を目の前に振られ、ハッと我に返ると先に立ち上がっていたシェスが嗅ぐような仕草を見せ、歩みを屋敷へと進めていた。
『リュピネル……リュピネル……?』
「……どうした、何か気になることでもあるのか」
 思い出すような声に問いかけるも、シャルは答えを出せなかったのかいいえと口を噤んだ。
 さすがに客人であるシェスを先には向かわすことはできないから、夕飯の芳ばしい匂いのする扉を押し開けば、そこには予想通りの人物が柔らかな笑みを浮かべて待っていた。
「ただいま、マリアン」
「おかえりなさいませ、リオン様。それから、シェスも」
「久しぶり! 急に来てごめんね」
 大事だと、迷うことなく言えるふたりが笑っている。
 深く頭を下げるマリアンに複雑な感情を抱くが、それは勢いよく飛び込んだシェスによって考えるのをやめざるを得なくなって、行動に呆れながらまあ積もる話もあるだろうと気は乗らないが二階へと向かい、書斎をノックする。
 返ってきた平坦な入室許可の声に一瞬で心の芯が冷え、必然的に僕の感情も凍り付いた。書斎に入ればまず目に入るのは何枚もの書類に目を通すヒューゴ。眼鏡の奥にある無感情の眼差しが鋭く射抜き、言外に用件を尋ねられているのだと分かり、事前に用意していた形だけの報告を告げる。
「二本のソーディアンの回収もでき、明日にでも罪人らへの聴取が始まると思われます。シェスに関しても神殿の窃盗はなかったとの証言はありますが、重要参考人としての登城を求める方向です」
 見られているだけでも威圧を感じる冷えた目から逸らさず、ぐっと腹に力を込めて反応を待つ。
 顎に手をやり、しばらく考える素ぶりを見せて合点がいったように頷いて、口を開いた。
「そうか。しかし、あの子も不運なことよ」
「は……?」
「だから今宵は来ているのだな。リオン、挨拶も大したもてなしもできないがゆっくりしてほしいと伝えろ」
「……分かりました」
 言うなり興味はないと視線を落とすヒューゴにいつも通りの幻滅を覚えて、話すことはこれで全部だと退出する際に頭を下げる。ほんとうにあの男は、父親という存在なのだろうか。……息を吐いて、階下にいるであろうふたりを探そうと欄干から見れば、シェスがペンダントのことを話している最中で。
 今しがた対峙したヒューゴとは真逆の雰囲気を出す空気に心が軽くなるのを自覚する。
 あのふたりは、僕を受け入れて見ていてくれる。シャルも限りなく僕の傍にいてくれるし、ヒューゴさえ我慢すれば僕は幸せなんだ。
 微かに痛むなにかは、知らない振りをした。
「あ、戻ってきた。ねえねえマリアンってすっごいね! サファイアの意味教えてもらっちゃった」
「そんな大したものじゃないわ、ただ知っていただけよ。確か、リオン様から頂いたのよね?」
「うん。ペンダントの加工と鉱石の埋め込みを頼んでたみたいで」
 輪に戻れば笑顔を向けてくれる。奥底に沈めた冷めきった“なにか”は消せなくても、だいぶ息がしやすくなって、そういうところに救われているんだろう。あれはこう、今日はこんなことがあった、お店は繁盛してるなど、近況報告をしているシェスは先ほど言っていた空腹を忘れているのか、矢継ぎ早に次から次へと話題を変えていて、マリアンも気づいているけど久しぶりのためか止めようとはしていない。
「シェス、夕飯を食べながらでも話せるだろう。マリアン、頼めるかい?」
「分かったわ、準備をしてくるからふたりともリビングに行ってくれるかしら」
 ふわりと舞うエプロンの裾を翻してキッチンへと振り向きかけ、彼女は僕とシェスの名を呼んで、慈愛に満ちた表情で、
「改めて、おかえりなさい。今日も無事に帰ってきてくれて安心したわ」
 そう、口にした。
 ……帰る場所がある。帰りを待ってくれている人がいる。これがどれだけ支えになっているのか。たぶん、彼女は知らない。でも、それでもいいと思った。
 数秒、シェスと顔を見合わせ、そうしてお互いに笑って前を向いた。……言わなくても分かる、放たれる言葉は一緒だ。だって僕らは幼馴染なのだから。

「───ただいま」

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