運と命の展開図

「へえ、ここがハーメンツかあ……。案内助かったよ、シェス」
「気にしないで。わたし、数日はここで羽伸ばしてる予定で、ついでといったらついでだから」
「あんた結構詳しいのね、特産品のことは知らなかったわ」
「野宿した際の料理、おいしかったぞ」
 三者三様に声をかけてくれるなりゆきで旅の同行者となった彼らに首を振りながら、自分も楽しかったことを言えばその中の面倒見のいい女性が頭を撫でてくれる。記憶にない、母の温もりとはこういうのを言うのだろうか、と考えて頬が緩んだ。
 ───ファンダリア地方でしか栽培されない珈琲豆と、趣味で調合している薬草の採取を終えたわたしは道案内も兼ねて当初からの宿泊予定地のハーメンツに辿りついた。ジェノスの町を出る際にハーメンツへの道を危惧していた三人の男女に声をかけられ、ここまで一緒に来たのだ。道案内を頼んできたのはダリルシェイドで士官がしたいというスタンさんに、黒髪のショートカットが似合うルーティさん、それから記憶喪失でも前向きでおおらかなマリーさん。旅の仲間にしてはなにやらちぐはぐそうに見えたけど、なんだか羨ましくなった。
 それに……スタンさんとルーティさんはリオンと同じ剣を使ってて、気になったっていう理由もある。ソーディアンマスターとして彼らの声も聴こえていて、軽いやりとりを交わしている。
「ウォルトさんの屋敷は奥にあるの。なにを話しに行くのかは分からないけど、武力行使も辞さないって噂が絶えないから、気を付けてね」
「ええ。ありがとうね」
 レンズハンターの仕事をしに行くルーティさんたちとは宿屋前で別れて、優し気な笑顔を浮かべる店主に三泊することを言って鍵をもらう。たぶんあのひとたちも強行軍でなければ今日はここに泊まるはずだ。
 最終的な目的地はお互いに知らない。だけど、もう少しだけお話したいと思ったから。
 用意された部屋のベッドに腰かけ、姿を消した方向を見ながらホーリィボトルと同成分の薬草を鞄から出して調合を始める。喫茶店を営む過程で見つけた趣味、魔物除けだけじゃなくて応急手当相当の効力を持つアップルグミやレモングミやレッドベルベーヌなども調合できるので、兵士を支える医療班の人たちに渡すこともできる。まあ、最近はもっぱら任務が多くなったリオンにお守り代わりに持って行ってもらってるんだけどね……。
「そうだ、どうせ余るんだからスタンさんに渡そう! 前衛で怪我することも多いしね」
 そうと決まれば善は急げ。初めてやり始めた時からは完成させるスピードは出てるけどそれなりに時間がかかる作業だ。
 途中に夕食を挟んでちらりと空室を見やるも、誰も利用しておらず、話し合いが難航してるのかな、なーんて能天気なことを考えて調合を再開させる。作業を終えて明日の準備を済ませたのはもう日をまたぎそうな時刻。彼らの動向が気になったが眠気を感じていたためにそのままベッドで就寝した……のが、つい六時間前のこと。
 そんな深く眠る体質でもなく、ぽやんとする顔を覚醒させるために洗面所でばしゃばしゃと顔を洗っている最中。小さな窓からのどかな村では信じられないほど武骨な鎧の兵がずらりと居並んでいるのが見え、悲鳴をあげかけた。
「あっ! いた、シェス!」
「るるる、ルーティさん! あの、あの前の兵士たちはなんです!?」
「話はあと! 脱出しなきゃ……っスタン! 起きなさいって!」
 何が何だか分からず広間に飛び出れば異質な空気に起きたのか、昨夜は顔を見ることがなかったルーティさんとマリーさんが若干眠たそうにしているスタンさんを引きずって正面の玄関に立っていた。
 戦えないわたしを考慮してなのか、入口付近で待っていろって言われたんだけど、あれ、
これわたし関係なくない? 兵士に目をつけられるような真似、してなくない?
(し、しかもセインガルド兵だよ〜〜〜スタンさんたち何をしたの……?)
 あわわ、と手を口に添えてはらはら見守っているとリーダー格の人が恐れずにスタンさんの前へ出る。抵抗されても断固として勤めを果たそうとする心意気が臆さず出ており、これは戦いになってしまうんじゃ……。
「ルーティ・カトレットだな。身柄を拘束する!」
 ……え?
「一体どうなってるんだ!?」
 訳が分からず説明を求めるスタンさんの声も、犯罪者と言われたフォローになってない言葉を言うマリーさんの声も、その反応に苛立ちをあらわにする兵士の激昂も聴こえない。
 だって、いま、ルーティさんのフルネームが呼ばれて。でも、え? 聞き間違えじゃなければ今カトレットって言ったよね? 聞いたことがあるなんてものじゃない。わたしはその苗字を幼い頃に教えてもらっている。カトレットの苗字は───幼馴染の、本当の苗字だったから。
「っシェス! あぶない!」
「え!?」
 予想外の考えに意識を持ってかれて注意がおろそかになってしまったわたしを仲間だとみなしたのか、ぐいっと二の腕を強く引っ張られ前線に引きずり出されてしまう。
「ちょっと! その子は関係ないじゃない!」
「貴様らの仲間だろう! 大人しくしていれば危害は加えん!」
「はぁ!?」
 ルーティさんの思いやりの声をはねのけ、再び突っ込んでいく兵士に隠れていた恐怖心がむくむくと起き上がってくる。
 わたしは戦えない。だから魔物除けの薬草などをつくり、危ない場所なんて行かなかったのに。乱戦状態で指示が行き通らなかったのかひとりの兵が大振りに剣を振りかざし、なんとか体をひねって直撃を避けるも、完全にはかわしきれず咄嗟に顔を庇うように出した腕に切っ先が掠り、そこだけ火傷をしたときみたいな痛みが生まれ、ばっと傷口に手をあてた。
 動けず戦えないわたしを好機だと思ったのか、もう一度鈍色に光る剣が振り上げられ、下ろされる───!
(こわい……!)
 すぐに襲い来る衝撃や激痛に備えるべく、無意識にぎゅっと瞼を閉じる。どこか遠くから、鋭い声を聴いた気がした。
 その刹那、耳が痛くなるほどの甲高い音が響き渡った。いつまで経ってもやってこない衝撃にゆっくり目を開くと。
「聴こえなかったのかい? やめろって」
 聞く者全ての背筋が凍るような冷めきった声、真白い戦装束で身を包み、蜂蜜色の髪を綺麗に三つ編みでまとめた男性───この場において絶対的な味方と言える存在が立っていた。剣をあらぬところへ弾き飛ばさされた兵は通常であればいるはずのない男性の姿にあっけにとられて、言葉も出ていない。
 異質な沈黙が満ちた空間は切り裂いたのは、薄桃のマントを翻し無言でわたしに近づいてくる少年の声。
「シェス」
「……はい」
 紫水晶の双眸が寸分の狂いなくわたしを射抜き、名前だけでも言わんとしていることがわかり三歩後ろへと下がる。
「レリーフ、礼を言う。よくこの馬鹿を助けてくれた」
「いや〜〜もうあれ言葉で言っても間に合わなかったし。きみの幼馴染が大事なくてよかったよ」
「だが下がってていい。こんなやつら、僕一人でも十分だからな」
 緊迫した状況とは思えない微笑みを浮かべて青の制服を着た幼馴染……リオンの言うことを素直に聞いたレリーフが苦笑をもらしてわたしと同じく三歩下がる。
 訓練を受けている兵士が一般人に苦戦している事実に酷くご立腹だったのか、眼光はいつにも増して鋭く、険しい。けど先ほどのリオンの台詞が琴線に触れたのかスタンさんにヒールをかけおえたルーティさんが、頬をひくつかせて口を開いた。
「この……言わせておけば! アンタまだガキじゃないのよ!」
「ふん。どうとでも言え、……おい。地面に寝てるばか者ども、これ以上王国の名に泥を塗りたくなければとっとと起きろ」
 プライドもなにもかもずたずたにさせる一言に周囲の兵士たちは痛みをこらえて立ち上がり。剣を構える。リオンもそれに続いて腰の鞘から一気に引き抜いた。
(ソーディアンの、シャルティエさん……)
 特徴のある形に対峙する彼らも気が付いたのか、驚きの声を上げる。
「うーん、リオンが戦うとなるとだいたい他の兵は足手まといになるだろうね……しょうがない、折を見て後方に下げさせようか。シェス、ここにいるんだよ?」
「うん……あの、レリーフ。どうしてここに?」
 楽しそうに笑いながらも飛ばす指示は的確のレリーフは、本来であればこの地には来ない人間。なのに本人はあっけらかんと気にしないでとかなんとか言っていてなんだかそれでいいのか王家に連なる人……とか思ってしまった。
「ああ、ほら。リオンの進行方向に立ってないで、下がって。切り刻まれたいなら別だけど」
「…………相変わらず、すごい剣技……」
「でしょう? いつか全力でお手合わせしたいものだよ。去年の剣聖杯はいろいろあって私が決勝に行けなかったからね」
 晶術に対抗できるソーディアンを持っているとはいえ、相手は数人。それもその内ふたりはソーディアンマスターの素質と術を習得していて、素人目からでは隙すら見えない。リオンは素早さを活かした長所を最大限に引き出し、彼からすると未熟だと言うスタンさんを軽くあしらって、膝蹴りを下腹部に食らわせ地に伏せさせる。マリーさんが猛追するもバックステップと同時に発動した石礫が全身に浴び、動けなくなってしまった。
 すごい……あっという間にひとりまで減らしてる……。
「どうする? もはや貴様しか動けないぞ」
「くっ……あーはいはい! 降参ですこーさん!」
「フッ……おい、とらえろ」
 アトワイトを地面に落として両手を上げるルーティさんをとらえるよう指示を出して、リオンはそのままのびているスタンさんを見下ろして、踵を返した。すなわち、レリーフの背後にいるわたしの下に来るという意味。めちゃくちゃ逃がさないって顔をしながらウォルトさんや村の人々への説明、それから首都でのまとめ方などをためらうことなく飛ばしていき、事情を知っている兵がリオンへ近づき、何かしらを報告した。瞬間、ぐるりと顔を振り向かせ虚無の表情をわたしに見せている。
 ───ああ、鬼がいる。
 鬼が降臨なさっている……。普段もなかなかに冷たい面持ちをしている人だったけれど、今日のは特別般若に力が入ってて、幼馴染であるわたしですら今すぐにでも逃げ出したいぐらいに凍てついていた。
「さて、と」
 ───大地を踏む音を小気味よく響かせて、こちらへと近づいてくるの分かる。報告を済ませ低く頭を下げた一般兵がわたしを憐れむように見ていたのが、本当に腹立たしいけど事実なので何も言えない。
 言うなれば今のわたしは沙汰を待つ罪人といったところか。いや、そんなことを言ってる場合じゃない。何かしら伝えなければ目の前で不自然なほど完成された笑みを張り付けてる幼馴染が怒りでどうにかなってしまうだろう、半分自分のせいなところもあるから今回だけはあちらの怒りは尤もで、だからこうして強制されたわけじゃない正座を続けているのだ。
「なにか弁解はあるか? 聞いてやらんこともない」
「言っても論破されるので結構です……」
「は? 状況を話せって言ってるんだ、早くしろ」
「弁解って言ったじゃん! 一言も状況を話してなんて言われてないよ理不尽!」
 圧倒的な威圧感を背にまとってにこやかに問いかける姿はまるで鬼神。おそらく自分の発言が理不尽極まりないことも気づいていないんだろうが、それにしたって怖い。なんでもいいから解放されたくておずおずとわたしが理解している範囲のことを告げる。
「じょ、状況って言ったって……あくまでもハーメンツまで案内した人たちに連れて行かれて、わたしの存在を知らなかった兵に、ちょっと、ほんのちょっと腕に小さい切り傷つけられただけだよ……」
「まったく……賊の連中にお前がいると思わなかったぞ」
 恐ろしくて顔を見てられないわたしに対して酷く疲れた様子でため息をつくリオンに項垂れていると、視界に青いつま先が映り仕方なく見上げる。
「ああいう時は無理に前に出るな。さっきはレリーフが制止したからどうにかなったものの、一歩間違えれば大怪我を負わされていたんだ。あまり心配かけさせないでくれ」
「うう、ごめん……」
「ほら、腕を見せろ」
 催促され腕を持ち上げれば、心底呆れたと言わんばかりに詠唱を唱え───ルーティさんも使っていたヒールだろうか。あたたかい光の粒子が出血は止まっていた傷口に入り込み、内側から皮膚と細胞を活性化させる。どういう原理なのかはわたしには分からないけど、これが危険な魔物討伐にも出向くリオンを助けてくれる術なのは確かで。あ、コアクリスタル叩いた。いらない言葉をシャルティエさんが吐いたのかもしれない。
 それよりも、まだ怒ってる……というより拗ねてる彼に質問するのは気が引けるけど、ずっと心に引っかかることがあった。寧ろこれに気をとられて近づいてくる兵士を避けられなかったっていうのもあるのかもしれない。推測だし、裏付ける証拠なんてないけど、たぶんこの機を逃したら二度と聞けないかもしれないと思い、わたしは意を決した。
「……ねえ」
 立ち上がりかけたリオンの腕を掴んで、呼びかける。
「なんだ。治っただろ? そろそろダリルシェイドに戻る、」
「ルーティ・カトレット。───偶然、じゃ、ないよね?」
「…………。……気づいて欲しいことには気づいてくれないくせに、こういう時だけ鋭くなるのはなんなんだ、お前」
 一瞬目を伏せ、リオン・マグナスの仮面を外した彼はたくさんの感情を抱えた笑みを貼り付けて、自嘲気味に視線を下ろす。思考も分からないし何を考えてるのかも分からないけど、この様子のリオンの姿は、過去に一度だけ見たことがあった。
 ───リオンが10歳の誕生日を迎えた日。ほんの僅かに残された“エミリオ・カトレット”の甘えたい願いが、無惨にも打ち砕かれて、わたしの部屋へ飛び込んできた時。あるはずべきの光が大好きな紫水晶の瞳から消えていくのを、わたしはただ見ていることしかできなかったのを、昨日のことのように覚えている。同時に、自分の無力さを思い知った。
 苦しい。悲しい。憎い。愛して欲しい。人として、子として当たり前の気持ちを土足で踏み荒らされ、捨てられて、この時からだろうか……リオンが他者に弱みや甘えを一切見せなくなったのは。ちょうどいいと言いたげに翌々年に就任した客員剣士任命の際、彼はリオン・マグナスを名乗り出した。本来の名を、わたしともうひとりに託して。
 再び膝をついて、顔を近づかせたリオンは息をついてから、目を合わせた。
「……そうだよ。シェスの考えてる通りだ」
 ルーティさんは、リオンの実のお姉さんだと。
 周りと比べると長い前髪が顔を覆い隠し、表情はうかがえない。決して泣き出さないけど、わたしには泣いているように見えた。
 ちがう……ちがう、こんなはずじゃなかった。
「……ごめん、確認したかっただけ。そんな顔をさせるつもりは、なかった」
 立て続けに色んなことが起きて頭がこんがらがっていたのは事実。しかしわたしよりもはるかに重い責務や使命を帯びている彼を追い詰めては本末転倒だ。謝罪の言葉を口にすれば、リオンは沈んだ声音でいや……と発した。
「僕も、こんなところで会うことになるとは思わなかったから……吐き出すタイミングがあってよかった」
「ねえ……あのひとたち、これからどうなるんだろう」
「王国管理下の神殿に無許可で立ち入った挙句、内部にあった物を盗ったどころか私益のために売買したからな……実刑は、免れないだろう」
「そう……」
 差し出してくれた手をありがたく借りて、わたしは近くにいるであろう人物を探す。一般兵とは違って目立つ白の衣服を身につけているからすぐに見つかると思ったんだが……。
「レリーフなら次の任務に行ったぞ」
「あ、そうなんだ? いつもいつも忙しそうだね……」
 多忙を極めながらもリオンの任務を手伝ったレリーフは義理堅いというか人情味あふれているというか……。それなりの立場に位置しながらも気さくな性格で、わたしとリオンをいつも助けてくれるんだよね。気さくすぎて役職や立場を忘れがちだけど、やんごとなき御方だってことは前提に組み込まなくてはならない。
「で、戻るんだけど歩き?」
「この時間だから、馬車でも歩きでも大して変わらんだろう。国王もヒューゴ様も既に休んでいるはずだ」
「わかった。道中の魔物はお願いするね」
「言われなくとも」
 捕縛した三人の後始末をしたら日は沈み夕焼けに染まる茜空の下、わたしとリオンは連行を兵に任せて徒歩で首都へ向かうことに。
 紫のグラデーションを背負う空は静けさをまとい、大地を包み込んでいく。幻想的な景色に眺めていれば、肩に手を置かれたかと思うとぐっと引き寄せられ。
「屋敷でみっちり話は聞くからな」
「アッハイ」
 やっぱり、幼馴染は鬼だった。




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