月光の晩にはじめまして 全てを「忘れた」君と、 全てを「覚えている」俺。 一体、どちらが罪深いのだろうか。 どう思う? 足元でうつ伏せに横たわる男に声を掛ける。 狭い路地裏に射し込む月の光が、小刻みに痙攣する男の身体をうっすらと白ませた。 数時間前まで降っていた雨で出来た水たまりに顔まで使っているその姿に、 まるで溺死したみたいだな、とぼんやり思う。 ぴちゃり、と足元で跳ねる液体を眺め、 ああ違うか、と気付く。 動かない男から流れ出した血液も、水たまりの一部と化していた。 「……なぁ、どっちだと思う」 再度、当然返事が返る筈もない問い掛けをして、 雛香はため息を付く。 この男は、雛香達双子を狙う組織の刺客だった。 否、 自分達の「記憶」、と言うべきか。 数日前から周りを取り囲む雰囲気に緊張が混じったのは気付いていたから、 突然の男の登場には何の疑問も持たなかった。 雛乃に手を出す輩はみんな排除する。 未だぴくぴくと痙攣している男を眺め、 殺せばよかったかな、 と思った。 背を向ける。 あと3、4時間したら夜が明ける。そうしたら雛乃が起きてきて、俺を起こしにやって来るだろう。 その時までに俺は布団に潜り込んでおかなきゃならない。 そうして起こしにやってきた雛乃に適当な返事を返して、もう、と出て行く雛乃を横目に二度寝を決め込むフリをする。 本当に二度寝してもいいかもしれない。 そして雛乃が作る朝ごはんの匂いで目を覚まして、2人で学校へ行くんだ。 そう、 昨夜俺が雛乃を狙う輩を1人半殺しにしたなんて、そんな出来事はまるで何も無かったかのように。 そうやって小さな嘘で隠していって、俺達は日々を重ねていく。 大学生、いやせめて高校生まではこのまま同居して、 そしていつか、雛乃に彼女でも出来て、 ああ俺は必要なくなってきたんだな、としみじみ実感して、 そのまま結婚式でも挙げて雛乃が本当に幸せそうに微笑む、 そんな姿を見ることが出来たら、これ以上何を望むだろうか。 そうしてそっと雛乃の隣から消える事が出来たのならば。 「……それで、良い」 別に構わない、そう思えた。 雛乃が幸せになってくれたなら、 別に俺がいる必要は無い。 けれどその日はまだ随分と先で、 それまではまだ、俺はこの生ぬるい日常に浸かっていることが出来る。 我が家に向けて、1歩足を踏み出した。 「……早く帰ろう」 ぼんやり考え事をしていたからかもしれない。 背後から迫る気配に気付かなかった。 刹那、 ヒュン、 と風を切る音。 「……うわー」 心底どうでもよさげな声で呟く。 雛香がわずかに身体をひねって避けた物体は、横の石壁にめり込んでいた。 ビキビキ、と物凄いヒビの入る壁を眺め、 ご愁傷様です、と壁の持ち主に同情する。 カラン、と音を立てて転がる「それ」。 雛香は首を傾けると、鈍く光る細長い物体を拾い上げた。 「……これは…」 いつだったか、雛乃とやたら分厚い本を読んだ時のことを思い出した。 本物を見るのは初めてだったが、写真でなら見覚えがある。 「…トンファー?」 さらに首を傾けた雛香の頭の真後ろで、 鈍色が高速で空気を薙いだ。 響く、 鈍い音。 「…ワォ」 くす、 と相手が口の端を上げて笑った。 雛香は息を吐くと、 手にしたナイフで受け止めたトンファーを振り払った。 「…初めてだよ。僕の攻撃を2回も避けた人間は」 うわぉそうですか、今最上級にどうでもいい。 雛香はもう一度ため息を付くと、相手を見返した。 雲の間、一陣の月光に浮かび上がるその面は人形のよう、と形容しても構わないくらい綺麗に整っていたが、生憎雛香にはどうでもいい話だった。 白く浮かび上がるカッターシャツ、 肩に引っ掛けられた学ラン、 ……学ラン? ここら辺で学ランの学校ってあっただろうか、それとも遠くの私立校の物だろうか。 余計な事を考えていると、また目前で銀色が閃いた。 軽く身体を引いて避ける。 「……もしかして、最近並盛の風紀を乱してるのは君?」 「……ふうき?」 頭に当てはまる漢字が浮かんで来なかった。 オウム返しの雛香の反応をどう捉えたのか、黒髪美少年は前髪を軽く払うと眉を釣り上げた。 「そう、風に書紀の紀って書いて、風紀」 そんな事もわかんないの?という目を向けられたが、雛香としてはしょき、と読む漢字はたくさんあるのだからそれでは何もわからない、と言ってやりたい限りだった。 「……困るんだよね、風紀を乱されると」 はいそうですか、すみませんでした。 と言って引き下がる相手では全く無さそうである。雛香は本日何度目かわからないため息をつくと、相手の目に宿る強い光を見つめた。 と、ここで引っかかる事が1つ。 (『最近並盛の風紀を乱しているのは…』) 最近? 確かにここに越してから約2ヶ月、 何人かを「排除」した。 重傷を負わせ地に転がした人間が翌日にはいなくなっていること、それに今まで少なからず疑問を覚えてはいたのだが、今やっと合点がいった。 この目の前の少年が片付けていたのだろう。 「並盛の風紀を乱す草食動物…」 ヒュン、と風を切る鈍色のトンファー。 「……咬み殺す」 …いやおい、頼むから待て。 俺は平穏無事に家に帰りたいだけなんですけど、と呟いたが眼前の少年はどうやら全く聞く気が無い。 「群れてない事は褒めてあげる」 言葉と共に相手が突っ込んできたのを合図に、雛香は後ろへ飛んだ。 そのまま軽く地面を蹴って飛び上がり、トンファーの破壊を免れていた石壁の上にふわりと着地する。 突っ込んできた相手が体勢を整える前に、 雛香は上衣からすばやく銃を抜いた。 「……本当は使いたくなかったんだけど」 この街にいる間は、 と小さく呟いて、銃口を向ける。 少年の黒い目が開くのが見えた。 そのまま何のためらいもなく、 撃つ。 「……けほっ…」 煙が消え去ると、彼はどこにもいなかった。 「……煙幕か」 実弾を撃つとは思っていなかったが、まさか煙弾だったとは。 「…成人男性を半殺しに追い詰めるその強さ、群れない草食動物…」 おまけにこの僕を、 まいた。 「……面白い」 雲雀恭弥は少年が去って行ったであろう方角を眺め、 口角を上げた。 気に入ったよ、 君。 |