黒に堕ちる | ナノ

さまよう心
自室に閉じ込もった僕に、声をかける奴なんていないと当然思っていた。

……の、に。



「おーいノア」
コンコン、とドアを叩かれる音。
完全に無視して、僕はシーツにくるまった。
「聞こえてんだろー?俺だよアッシュ」
「…寝てる」
「寝てる奴がなんで口きけるんだよ」

僕はバカか。

「早く出てこいよー、皆心配してんだぜ?」
「…罰しようと待ち構えてる、の間違いだろう」
「何言ってんだよ、なんならここに全員連れてきてやろーか?」
やめてくれ。
僕の唸るような返答をどう取ったのか、ドアの向こうでげらげら笑う声とともに、気配が遠ざかっていった。


…おかしい。
おかしい、だろう。
僕は、自分から負けたのに。
なぜ。





『さまよう心』





「ファントムは喜んでいましたよ」

突然降ってきた声にぎょっと顔を上げると、
見覚えのある柔らかな笑みがそこにあった。
「…ロ、ラン」
「大丈夫ですか?ノア」
「…だいじょうぶ、じゃない。お前どうやって入ってきたんだ」
「ナイトクラスでも上位のノアに気付かれず侵入できただなんて、僕も腕が上がりましたよね」
「お前あいかわらず話通じないな」

おそらく彼が崇拝しきっている司令塔の影響を受けているんだろう。あのネジが緩んでる感がそのままロランに伝わってしまっているような気がする。



「ノアは、チェスがお嫌いですか?」



ロランの問いに、呼吸が止まった。


「僕が出会ったばかりのあなたは…とっても怖かったです」
「…いきなり、なんなんだ」

急に過去の自分をけなされた。

「あの頃のあなたは、僕だけじゃなく他の方にも歯をむき出しにしていて…」
「…そんな事をしていた覚えはないんだが」
「たとえですよ」

例えが悪すぎる。僕は犬か。

「特に、ペタさんとファントムを嫌っていましたね」
「……。」

僕は、シーツを頭からかぶった。
ロランは僕の行動に何か言うこともなく、ただ穏やかな声音で言葉を続ける。

「でも、気が付いた時にはあなたはずいぶん優しい表情をするようになっていて、」
「……。」
「愛想が良く、とはお世辞にも言えませんでしたけど」
「…悪かったな愛想がなくて」

もぐりこんだシーツの内側で、呟く。
くぐもって聞き取りづらいはずの僕の声に、ロランは軽やかな笑いで答えた。

「…ねえ、ノア。あなたがアルヴィス君が好きなことも、クロスガードに未練があることも、知っています」


思わず、目を見開いた。
慌てて目を閉じて、それからシーツに隠れた自分の表情などロランに見えるわけがない、と気がつく。


「…でも、あなたはチェスも、お嫌いじゃないんですよね?」


やさしい声。
シーツに覆われた頭をなでる、やさしい手つき。

「……だいきらい、だ」
「ふふ、嘘が下手ですよ、ノア」
「…嫌いだ、お前なんて」
「僕はあなたのこと、好きですよ」

唐突に言われた言葉に、


今度こそ呼吸ができなくなった。


「……え」
「僕だけじゃありません。チェスの皆さんはノアのこと、とっくに受け入れていると思いますよ」
だから、ノア。


あなたも、受け入れてはくれませんか?


懇願に近い響きの声に、

なぜか僕の目からは、涙がこぼれ落ちた。


「…わっ、わあああ?!な、泣かないでくださいっ、ノア、ぼ、僕はそんなつもりじゃあっ?!」
「うるさい」
「ええっ、そ、そんなっ」
手をバタバタと上下させ、おろおろするロランを睨み、僕は邪魔なシーツをばさりと落とした。
ぐい、とそのふざけた三つ編みを掴み、思いっきり引っ張る。

「いたたたたっ!って、へっ?!」
「…ロランに説教なんてされたくない」

顔を離した僕は睨む。ロランはぽかんと口を開け、ほっぺたを押さえた。

「…ノア、い、今のは…き、」
「うるさい!」

ロランの言葉を勢いよく遮る。
見る見るうちに赤く染まるロランの頬を見ていたら、なんだかこっちまで恥ずかしくなってきてしまったじゃないか。
僕は立ち上がり、勢いよくドアノブを掴む。


…受け入れてくれませんか、なんて。


「……そんなこと」


もう、とっくに。






脳裏に焼きついたは、がく然としたアルヴィスの顔。
疑問と困惑に満ちたあの表情に、僕の胸はきしむように痛む。
耳に残るアランの動揺の声も、背を向けた時に僕を呼んだアルヴィスの声音も、同じく。


僕が選んだ道は、これで良かったのだろうか。
違う行動に出ていれば、もしかしたらもっと違う未来があったんじゃないか。
それこそかつてのあの日々のような、
無邪気で暖かい、彼の手に縋っていられた頃に。




「…でも、僕は…」


目に浮かぶのは、あきれきった『友達』の顔。
むす、としたペタの表情に、
大バカな司令塔の笑み。



僕は、バカだ。


何もかも大切にしたいだなんてそんなこと、

できっこ、ないのに。



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