黒に堕ちる | ナノ

それが君の心なら
ずーん、と音がしそうな程へこんでいる僕を、当然の如く何人ものチェスが横目に通り過ぎていく。
誰だってそうだろう、僕もバルコニーで膝を抱えてうなだれている怪しい奴がいたら、極力近付きたくない。
と、思っていたのだが、


「どうしたの、ノア?」


この頭のネジが緩い司令塔だけは、
どうやら違ったらしい。



「……何もない」
「何かあったでしょ」
「…強いて言うならお前のせいだ」
「そんなにダイス渡すの大変だった?なら今度からポズンを審判から外そうか」
なんてことを言い出すんだこいつは。
「ポズンは関係無い」
反射的に顔を上げて言い返せば、
「じゃあ、他に何かあったんだね?」
目の前にはにっこりと微笑む司令塔。
相変わらず優雅な顔立ちで、と思わず頬を引き攣らせたのは、紛れもなくそう間違いなく距離が近いからである。
近い、
物凄く近い。
今にも鼻が当たりそうだ。
「……近い」
「チカイ?」
厳粛に儀礼正しく行うアレ?
とほぼゼロ距離でぶっ飛んだ事を言い放つファントム。
更に頬が引き攣るのを感じた。
何が厳粛だ、
それを言うなら『誓い』だ。
なんとか引き攣る頬を宥めながら、僕はどう対処すべきか非常に困った。この頭のぶっ飛んだ司令塔の言動は、素なのかわざとなのか大変判断に苦しむ。
いやまさか素ではないだろう。メルヘヴンを苦しめるNO.1ナイトがそんな阿呆だったら笑い話も良いとこである。
「……顔が近いと言ってるんだ」
「え、そう?」
天然ぶってれば全部許されると思うなよ、この美白人形風培養天然偽装草食系男子が。
心の中ではいくらでも罵倒が流れるが、さすがにこれをそのまま口に出したらそれこそ大変な事になるだろう。
僕は言いたい言葉をぐっと堪えて口を閉ざした。
「…アルヴィス君の事?」


閉ざした、のに、
思いっきり、開いた。
「……なっ…」
僕は絶句。
だが答えは明白で、
「…やっぱり、そうなんだ」
何故か得意気に微笑むファントム。
お前はあれか、なぞなぞを解き当てた子供か。幼児か。いくつだよお前。
相変わらず頭の片隅では悪態が流れていたが、僕の脳内はそんなどころではない。
どう答えるべきか、おそらく生まれてこのかた初めてくらいに頭をフルスピードで回転させ脳みそを限界まで絞り上げ、かつ、時間が空かないように気を配り、

「…だったら、なんなんだ」

出てきたのが、これだった。
なんてありきたりな。
自分で言っておいて悲しくなってきた。
…僕の足りない頭で考え付くのはこのレベルか……。
なぜか再び落ち込みそうになっていると、
「…僕で良ければ聞くけど?」


……は?


今度こそ、本当に絶句した。
頭の中から悪態も罵倒も一切消え去り、最早何も残ってない。
というか、真っ白である。


え、
なんだって?


「…ノアが、どうしても言いたくないっていうなら、無理には聞かないけど」


……あれ、ファントムって二重人格だっけ?


全力で頭を抱えたくなってきた。
今目の前にいる男が、6年前メルヘヴンを恐怖に陥れ僕をさらった人間と同一人物なのか、本気で考え直した方がいいかもしれない。
いやだって、

そもそもアルヴィスから僕を引き離したのはお前だろ?!
しかもさらっといて即効で死ぬし!
かと思えば喜ぶ暇もなくペタに「ファントムは生き返る」とか言われるし!
逃走しようとしたら捕まるし!
なんとか逃げられたと思ったら、行けども行けども森しか無くて危うく飢え死にしかけるし!
なんか気付いたらペタに食料与えられて餌付けられてたし!

と、気付いたらヒートアップしすぎた僕の脳内が違う方向に話を持っていこうとしているが、
いや、つまり、
何が言いたいかって、


おまえがそれ聞くか?!


だが、これに止まらず、
司令塔は更にとんでもない言葉を重ねた。





「……アルヴィス君と、一緒にいたかった?」


目を見開くノア。
あどけない、というには少し大人びすぎている彼女の姿が、今はやけに年相応に見えた。
くすり。
そんな彼女が可笑しくて、笑みを零す。
顔を、離した。
ねえ、と。
声に出さずに呟いて、その黒髪に手を伸ばす。

ねえ。
アルヴィス君と、一緒に居たかった?
この6年間、僕の言いつけ通りに君を逃がさなかったペタの下で、君は何度も絶望した?
もしかして、今も僕を殺したいのかな?
6年前に泣きそうな顔でこちらに突き付けた、あの殺意は今も変わらない?

可笑しいね。
くすり、
と、もう一度笑う。
醜く腐った人間に、僕が文字通り「執着」するだなんて。
でも、どうしてかな。
6年前、アルヴィス君と共に僕を貫いた君の瞳は、
驚く程綺麗だったんだよ。
この、全てが腐った愚かな世界で。

そして、6年が経って。
君の瞳は、何も変わっていなかった。


さらり、と髪が手の平から零れ落ちていく。
ノアは何度か瞬きをし、眉を寄せた。
あ、振り払われるかな。
思わず動きを止めたファントムの前で、


「……ファントム、お前ペタみたいだな」


彼女は目線を下げたままで、振り払おうとはしなかった。
意外だ。
そちらに気を取られ、彼女の言葉を理解するのに時間が掛かった。
「……え?」
妙な空白が空いてから聞き返すと、「反応おそ…」と口元を引き攣らせるノア。
「……ペタも、そんな感じだ」
再び重ねられた、彼女の言葉に首を傾げる。
突然、

ふわり、

と。
ノアは髪を弄ぶファントムの手を両手で包み込み、目を閉じた。
息を飲む。
とっくに意味をなさなくなった呼吸器官が、一気に苦しくなった気がした。
「……よくわからない」
驚く程優しい顔付きで、ノアは瞼を下ろしたまま呟く。
「……怖いのか、優しいのか、」
ふわ、
と手のひらを通じて感じる、
彼女の暖かい温度。
"生きている"、
人間の温度。
「……憎めばいいのか、許せばいいのか」


わからないんだ、と。
独り言のように、彼女は呟いた。




『それが君の心なら』




「……それでいいよ」
「……え?」
「…そうだ、今度ノアにぴったりのトモダチに会わせてあげる」
「……、はい?」
「キメラ、っていうんだ。きっとノアなら良いトモダチになれるよ」
「…いやあの、ちょっと待て」
「うん、きっと僕とペタぐらいになるには難しいだろうけど」
「いやだから待て、ちょっと人の話を聞けおいファントムッ!!」


あ、
今、初めて名前呼んだね。


そう言って微笑めば、彼女は何故か顔を真っ赤にした。
あ、怒った?
無意識の内に繋ぎ、引っ張っていた彼女の手。それを強く振り払われるのを予想して、握る力を少し緩める。
だが、彼女は手を放さなかった。
意外だ。
微笑む。
「お前は一回、頭のネジを確かめた方がいい」
辛辣な言葉はついてきたが。



…こんなとこ、ペタに見られたら怒られそうだな。

ファントムは心底楽しそうに微笑んで、ノアの手を繋ぐ手に力を込めた。




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