犬は迷ってはいけません、でしょう?
■ ■ ■
犬は主人に逆らってはならない。
つまりそれは当然、仕えるべき主人に身の全てを捧げるということで、自分のことなど二の次で、下手すれば命すら差し出すと、
まあそういう訳なんだろう。実際、俺にもそれくらいの覚悟はある。
でもってつまりそれって、
主人以外の人間に、心奪われてもダメってこと、
だよな?
「ユイ」「?!」
ふう、といきなり耳元に息吹き込まれて、俺は肩がすくむと妙な声が出るという、2つの間抜けな体験を同時に味わうハメになった。
いくら俺がマフィアの世界に片足、どころか両足突っ込んで幾年か経ったとはいえ、そんでもって裏社会ではそれなりに名が広まりつつある人間とはいえ、ビビるものはビビるし普通に変な声も出る。
っていうのに後ろ、背後を取って声をかけてきた相手は、くすり、といかにもおかしそうに笑いやがった。
「……なんか用か、雲雀」
「今日はいないんだね」
振り返って早々、俺の問いとは全く異なる次元の返答を返してくれる、切れ長黒目の和風美人。
美人、っつったって女じゃない。学ランの似合う、れっきとした男だ。見た目も中身も。
ついでに言うと、俺の次に血と武器の似合う人間らしい。リボーンから聞いた話だ。
「いないって、誰が」
「君の、忠実な主」
くすり。切れ長の目が、嘲笑うような色を浮かべる。
「……綱吉なら、遅刻。ランボのせいで」
「別にそんなことどうでもいいよ」
いないことを確認しただけ。
囁くようにそう言って、雲雀がおもむろに片手を上げる。
経験上、そこにトンファーが握られていることを予想し身構えたのだが、学ランの下、袖から覗く手の内は意外にも空っぽだった。
だから、気が緩んだ。
「ーーなッ、!」「遅いよ」
ダンッ!!
パラパラ、明らかに壁の一部が破片となって落ちる音を耳にしながら、俺は思いっきり咳き込む。
胃の中身が出そうなむせ返りに、けれど俺は口を押さえることもできない。
だって、雲雀が両手を壁に押しつけ捕らえているのだから。
「ケホケホかはっ、はっ、げほっ、」
「無防備」
くすり、また耳元で囁くようにそう笑って、雲雀が俺の腹へ、ぐっと自身の膝を押し込んできた。
完璧、腹だ。っていうよりみぞおちにもろ直撃している。絶対狙ってやってるだろ、こいつ。
壁に叩きつけられた衝撃プラス、みぞおちに遠慮なくぐいぐい膝を押し付けられて、俺は生理的な苦しさに喘ぐ。ああやべ、吐きそうだ。
「は、なせ」
「ヤダ」
やだ、じゃねーよ殺すぞてめえ。
頭に浮かんだ台詞をそのまま言おうとして咳き込む。圧迫された腹部から吐き気がストレートに迫ってくるもんだから、俺は唾を飲み込んで必死に耐えた。
「……ねえ、ユイ」
「はっ、なに、殺す、ぞ」
確かな殺意を込めて睨み返した時、視界の端にちらりと怯えた顔が移った。
横を通る、何人かの生徒。廊下を通る通行人だ。
1限、もう終わったのか。
壁に押し付けられた俺と手首を掴んで押さえつける雲雀、その横を逃げるようにこそこそ通り去る生徒たち。
ように、じゃないか。まあ俺だって立場が逆なら、絶対死んでも関わらないがために、その場を逃げ去っていただろう。
「1限サボり。応接室に、来てもらうよ」
「ざけんな」
腹に力を込めて睨み上げる。同時に雲雀の膝がさらに食い込んで苦しくなるが、おくびにも出さず言葉を吐いた。
「2限に綱吉が来んだよ。行ってられるか」
「なら強制的に来てもらうことになるけど」
ぐぐ、と膝がさらに食い込む。ほぼみぞおちに埋まるレベルの圧迫感に、俺はうっと声を漏らした。
それに雲雀は気を良くしたらしい。超至近距離、ほぼ鼻先が触れ合うところでふふっと笑った。くそ、ほんとムカつく。
「僕に咬み殺されて行くより、自ら進んで来た方が早く終わると思うのだけれど」
耳元、ギリギリと両手首を拘束したまま雲雀が囁く。ワザとかと思うほどに掠れた声音に、俺は低く舌打ちをした。
「……わかった。から、離せ」
苛立ちを込めて吐き捨てた俺に、雲雀がやっと距離を置く。
捕らえられていた手首は、わりに俺が反抗していたのか、くっきりと赤い痕が付いていた。治療費とか請求するぞおい。
沢田一筋少年と、好奇心を抱く雲雀。
忠誠と自分の感情の狭間で板挟み、なテンプレは美味しいです。