来たりし弟 「……おさま、った?」 「みたいだね」 しん…と静まり返る通路に、雛香がおそるおそるという様子で雲雀の腕から顔を出す。 彼がバランスを崩さないように抱き直して、雲雀は小さく息を吐いた。 「ん?雲雀、どうしたんだよ」 「いや…別に」 「やっぱ俺が重いんだろ。下ろせよ」 チャンスとばかりに嬉々として言う雛香を見下ろし、雲雀は片手を上げた。 そのままなんてことなくもう片方の手だけで雛香を支え、生意気な顔をするその額を、一切遠慮なく指で弾く。 「いったッ!!っ、お、まえなっ!」 「言っとくけど、君かなり軽いからね」 「えっそれマジで?」 それは男としてどうなんだ、と本気でショックを受けた顔をする雛香に、雲雀はくすりと笑みを漏らした。 「もっとちゃんと食べないからだよ」 「余計なお世話だ。それに俺はけっこう食べる方」 「嘘つき。君がちゃんと食べるように、今度から僕が手ずから食べさせてあげようか」 「………えーと、それはつまり小動物にエサを与える的な?」 一瞬、微妙に固まった雛香が、こちらの顔を見て頬を引き攣らせる。 雲雀は笑みを浮かべたまま、その顎をすくい上げた。 「!」 雛香が目を見開く。だが、雲雀は躊躇なく顔を近づけた。 「……あのさ」 「何」 互いの唇が離れる頃には、雛香の頬は真っ赤になっていた。 「ココ敵陣、ついでに言うと戦闘中。…っていう考えはは、ないのか」 「僕は僕のやりたいようにやるだけだよ」 「はい出ました暴君発言…」 げんなり、ともぐったり、ともつかない表情になった雛香を見て、雲雀はふっと笑みを零す。それからやっと、彼を地面へ下ろしてやった。 「ここからは自分で歩きなよ」 「言われなくてもそーするっての。どっかの誰かがいつまでも下ろしてくんないから」 「…ねぇ雛香、」 むくれた顔で前を向く、 その後ろ姿に、思わず名前を呼んでいた。 名残惜しさ。微かな悲しみ。 先ほど、いやずっと前から感じている、どうしようもない己の情緒。 だがそれらが言葉となって雲雀の唇から零れる前に、 ぱっと雛香が顔を上げた。 「…え……?」 「?…雛香?」 息を呑み、困惑したような顔で周囲を見渡し出す雛香に、雲雀は眉をひそめる。 「どうかしたの」 「…今……」 雲雀の問い掛けに、白い天井へ目をやった雛香がおもむろに口を閉じる。 何度か、ためらうように唇を開いては閉じを繰り返しー混乱した顔つきのまま、雛香は雲雀の方を振り向き、呟いた。 「…雛乃……?」 「ー雛乃?!」 「山本、今すぐラルを連れてー逃げろ!!」 わけがわからず戸惑いの声をあげる山本の前、 白い煙に包まれつつある雛乃が叫ぶ。 その必死の形相に、山本はただただ息を呑んだ。 (…くそっ……!) 我ながら時間を忘れるとは。 相手の強さが予想外だったこともあるが、これは完全に自分のミスだ。 (雲雀さん……ッ!) 薄れゆく身体の感覚に、雛乃は強く目をつむる。 今1番頼りたくない、そして1番頼れる相手。 「……どうか、僕の代わりに、雛香を……」 愛しき兄の名を紡ぐと同時にー 雛乃の姿は、完全に白煙の内へ包まれた。 「…ごほっ、え、は…?ここどこ?」 「!な、……雛乃?!」 「へ?あれ、山本?!」 なんでこんなとこに、 そう言いかけた雛乃の目が鋭く細まり、素早くその手が閃かれる。 キキィン!! 「…ほう。反応は悪くない」 「…ええーと、どちら様、かな?」 背後、2つの剣を振り返りざまにワイヤーで防ぎ、 雛乃は反動で後ろへ下がった。 困ったように口角を上げ、雛乃はこてん、と首を傾ける。 「貴様が10年前の宮野雛乃か。…オレの名前は幻騎士」 「…うーん、何言ってるかさっぱりだけど…これは勝てばオッケーてことでいい?」 「!待て、雛乃!!そいつは、」 ラルを抱きかかえた山本が、とっさに制止の声をあげる。 だがその言葉が届く前にー 両者は、すでに武器を交えていた。 「ッ?!」 「残念だ、反応は変わらぬようだが……10年前では話にならん。雨の守護者の言う通りだ、退け」 予想外の衝撃に、ワイヤーが弾かれる。 一瞬怯んだ雛乃の腹に、容赦ない膝蹴りが食い込んだ。 「、ぐあっ、」 「雛乃!!」 そのまま壁へ突っ込んだ雛乃の前に、幻騎士が身軽に飛び降りる。 山本はとっさに刀に炎を宿らせたが、ぎらりと輝いた双剣の方が早かった。 「さらばだ。…若き門外顧問よ」 咳き込み目を見開く雛乃の前、 振り下ろされる、鈍い輝きの刃。 「−雛乃!!」 飛び出した山本の刀が届く、その前にー。 |