子供組のこころ 「…え?ビアンキとお前が異母姉弟?」 「そうだ」 ぶすっとした顔で隣を歩く、獄寺の横顔を驚いて見つめる。 なんの気まぐれか、この薄闇の中、食堂まで案内してくれるというのは本当だったらしい。「この歳で迷子とか本当にありえねぇ」というかなり余計な言葉がついてきたが。 …あと。 ちらり、斜め下に目をやる。 薄暗がりの中、それでもはっきり見える繋いだ左手。 う、と思わず唇を噛んだ。 『てめぇはすぐ迷子になるからな』 偉そうに言っときながら、なぜか頬を赤くして獄寺が差し伸ばした、右手。 きゅっと握られた手の温度は、やけに熱く火照っているわりに、なぜか放すことができなかった。 (…くっそ、ほだされてやがる…のか?) そこに好意がある、とわかってしまっているからだろうか。 つながれた左手を振り払うのは、なんとなく躊躇われてしまうのだ。せっかく元のように(?)罵り合う仲に戻れたのに。 それを壊してまで突き放す気には、なれなかった。 「…おい、聞いてんのかてめぇ」 「ん?あ、うん」 「ぜってー聞いてなかっただろ…」 呆れた顔でこちらを覗き込みつつ、嘆息する獄寺。 夜目がきく自分が恨めしい。この暗がりでも、顔の近さがわかってしまうのだから。 「ええと…そうだ、お前の母親の話だったよな」 「そう…正式な妻じゃないから、って1年に3日しか会えなくて…俺が3歳の時、死んだ」 「……は?」 思わず横を見上げる。 前を見る獄寺の横顔は淡々としていて、どこか虚ろに見えた。 「…俺のいた別荘に向かう途中で、車が転落した。ありえない状況だったらしい。っつっても俺が何もかも知ったのは、8歳の頃だけどな」 「それで…」 「ああ、家を飛び出した」 そこから、彼のスモーキン・ボムとしての人生は始まった、というわけか。 なんと言えばいいのかわからなくて、雛香はふいっと下を向いた。 以前、自分と雛乃の過去について話した時、両親のくだりで獄寺が神妙な顔つきをしたのは、こういう訳があったからか。 唇を噛む。 困ったことに、自分はなぐさめ上手じゃない。 修業がうまくいっていない、という言葉からここまで話が派生したのだが、さて果たしてどうしようか。 「……あのさ」 「なんだよ」 「…悪い、俺なぐさめとか励ましとか…下手だから、なんて言ったらいいかわからない」 「てめぇにしおらしくなぐさめられても気色悪りいっての」 「は?お前なあ、人がせっかく言ってんのに喧嘩売ってんのか」 「ははっ」 突如、笑い声が弾けた。 おかしくて仕方ない、という獄寺の笑い方に、雛香はきょとんとして隣を見上げる。 え、今笑うようなところだったか。 「それでいいっての。てめぇになぐさめとか期待してない」 「…それはそれで腹立つな」 言外に馬鹿にされたようでちょっとムカつく。いや、馬鹿にされてるのか、これは。 「…俺は、両親の記憶なんてほとんど無いし、雛乃とずっと一緒だったから、寂しくはなかったけど…」 きゅっ、と左手に力を込める。 たどたどしくしか言えないけれど、それでも何か伝わればいいと思う。 彼の笑いの奥底に宿る、悲しみの影へ。 「…そんなふうに、身勝手に親と引き離されるっていうのは…すごく悲しいし、腹立つし、辛い…こと、だよな」 …我ながら小学生のような感想だ。 俺に言える言葉ってこれくらいか、と少々へこんだが仕方ない。だってなぐさめるのは苦手だ。 雛乃が相手だったら抱きしめるなり頬にキスするなりすれば元気になるんだけどな、と若干危ない思考を巡らせ始めた雛香の横、無言で歩いていた獄寺が、 突然、その身をひるがえした。 どんっ、 と、肩と背中に、振動。 「痛っ、は?」 文句を言うより前に、ぐいっと肩を掴まれ壁に押し付けられ、と流れるような動作に瞠目する。 つながれたままの左手が、きゅっと壁に押し付けられた。 「…な、急に、」 「…なんっで、そういうこと言うんだよてめぇは…」 「は、はあ?」 壁にこちらの体を押し付けた獄寺は、雛香が目を白黒させるのにもかまわず、その肩に額を乗せた。 「!な、」 「…なぐさめんの下手なくせに、余計なこと言うんじゃねーよ、馬鹿」 「は?おま、人が一生懸命…て、くすぐったいっての!どけよ!」 「ぜってーどかねえ」 「は…は?!」 こちらの肩に顔をうずめたまま、獄寺は動かない。 首筋をくすぐる吐息に天井を仰ぎ、雛香は困り果て目を泳がせた。 …なんだろう、この体勢は。どうしたらいいんだ俺は。 ふと目線を下にやって、獄寺の肩が微かに震えていることに気が付いた。 笑ってんのかと一瞬思ったが、それからすぐに違う考えに思い当たる。 ちょっとためらい、 空いていた右手を上げ、下ろして、また迷って、 それから意志を固めると、腕を上げた。 そっと、顔をうずめる獄寺の肩へ、右手を回す。 なんか、赤子でもあやしてるみたいだ。 そんなわりかしどうでもいい思考がよぎるのを感じながら、雛香はぽんぽん、と銀色の頭を軽く叩いてやった。言うなら、なぐさめるように、励ますように。 …そっか、言葉でじゃなくても、なぐさめる方法は他にもあるのか。 もう1度、獄寺の頭を宥めるように叩く。 獄寺が動かないから、しばらくそのまま立ち尽くしていた。 銀髪を軽く梳いて、なあ、と小さく呼びかける。 ごくでら、と言いかけて、そういえばさっき名前呼びしろと言われたことを思い出した。 …別に律儀に守らなくてもいい気はするけど。 「…はやとー」 小さく呼び、未だつながれたままの左手をきゅっと一瞬強く握る。 「…おら、顔上げろっての。お前重い。あと俺食堂行きたい」 「ん…」 呟くように返事をして、獄寺がのろのろと頭を上げる。 やっと動いたかこのやろう、と雛香は小さく笑って獄寺の顔の前でひらひらと手を振ってやった。 「何寝ぼけたみたいな顔してんだ。ほら案内役だろ、先導しろよ」 「…てめぇ、」 「ん?」 「…いや、なんでも」 ふい、と横を向く獄寺。 その横顔を見、雛香ははて、と首をかしげた。 なんだかやたら眠そうな、言うならまどろみから覚醒したばかりのような。 (らしくない無防備な顔…) 珍しい。 そう思いながら、歩き出した獄寺の後を追い出した。 空の左手で目元をごしごし擦りながら、獄寺は早足で食堂を目指す。 薄暗い廊下は電気を点けた方が良さそうだったが、隣を歩く少年が何も言ってこないのをいいことにそのままほかっておくことにした。 その方が、好都合だ。 多分、今自分の顔はーそれなりに、赤くなっているだろうから。 『…はやとー』 紡がれた己の名前。 頭を優しく撫でた手のひら。 規則的なリズムで軽く叩かれる、その手が心地よくてもう少しで眠ってしまいそうだっただなんて、 (…ぜってー言わねえ) ちらり、横目で眼下をうかがう。 しっかりつながれた右手に、放される様子はない。 (…少しは、) 期待しても、いいのだろうか。 暗い廊下を歩く2人の心中、 渦巻く感情は重なるようですれ違い、どこまでも揺らぎ通り過ぎていく。 |