10.


「あのねっ! ミライね、いつかおっきくなったらポケモンと旅するんだあ!」

 お母さんに買ってもらったおもちゃのモンスターボール。それを握りしめ、キラキラとした目で高らかにそれを握った手を高くあげ、宣言する幼い私。

「おー。そうかそうか。頑張れやミライ。お前やったらチャンピオンにもなれるやろうな」
「うんっ! ミライね、ポケモンたちと一緒にいろんな所を旅していろんな所を見るの。それでね、いつかカントーでチャンピョンになるの!」

 チャンピョン、と言い間違えながらも自分の未来を想像し夢を見ている。そんな私をとても優しい瞳で見るお兄ちゃん。お母さんも、お昼ご飯を作りながら私を見て優しく微笑んでいた。
 もちろんそれからそう経たないうちにそんなことは無理なのだと、不可能なのだと現実に気がついた私は夢をリーグチャンピオンだと言うこともなくなった。が、その夢は誰にも言わないだけで、ずっと心の中で燻り続けていた。

 そう。それは15歳の今でも、ずっと。

◇ ◇ ◇

 トリップして1週間。元々順応性は良かったのだろうか。この世界での今の生活に慣れた気がした。
 この1週間で私はお母さんの仕事の手伝いをしたり、町のおじさん達とバトルをしたり。そのおかげで少しずつ蒼緋は経験値を積んだようで、初めて会った時よりも強くなっている……気がする。

 そしてそんな1週間目の朝。私は昨夜見た夢に思いを馳せていた。
 各地をポケモン達と旅をしてリーグチャンピオンになる。それは小さい頃からの私の大切な夢。現実を見て、不可能だと理解してもなお燻り続ける私の夢。
 この世界にトリップするその少し前にもありえない夢を想像し胸を高鳴らせていた。ああ、私は本当にこの世界を自分の足で歩き回りたいのだと苦笑した。

『ミライ、どうした?』

 苦笑した私を訝しく思ったらしい。蒼緋は部屋に置いてあるクッションに凭れかかりながらダルそうに私を見ていた。

「ん? えーとね。私の夢を、思い出しちゃって」

 各地を旅して、色々なものを見て、そしていつかリーグチャンピオンになりたいんだ。なんて言えば、蒼緋は笑うだろうか。お前には無理だと。それとも――。

『……お前の夢がなんであろうが、俺には関係ない。進めよ、夢叶えたいんだったら。俺はお前の相棒として一緒に歩んでやるから』

 その言葉に一瞬目を見開いた。蒼緋の態度は今もまだダルそうで、眠そうで。でも、蒼緋の目はとても綺麗な目をしていて一気に安心する。そして心は決まる。
 ポケモンリーグは数多のトレーナー達が夢見る場所。そしてチャンピオンになれるトレーナーなんて一握り。この世界にトリップしてからも私はそれを理解していたから夢を口にすることはなかった。この世界に来たばかりの私には無謀だと思った。私の夢を知っているお母さんも私が迷っている素振りをしていたから何も言わなかった。でも。
 たとえリーグチャンピオンになれなくても、私はこの世界を見てみたい。その為に、旅をしてみたい。そう思う。

 心が決まった私はクッションに凭れかかっている蒼緋を抱き上げて1階に降りる。蒼緋が出会った時よりも重くなっている気がする。
 階段を下りるとお母さんが朝ごはんの準備をして――いなかった。

「あれ、朝ごはんは!?」
「朝ごはんよりも大切な話があるから朝ごはんは後よ、後」

 椅子に座り、テーブルで紅茶を飲んでいるお母さんは大きな紙袋をテーブルの上に置いた。私と蒼緋は座るよう促されて椅子に座る。おなか減った。

「はいこれ。そろそろ必要かと思って」
「ありがとう。でも何が入って……」

 紙袋を受け取って中身を見る。ヒュッと息を飲んだ。さすが母親というのだろうか。どうして分かったんだと思わずお母さんを見た。
 紙袋の中には何か詰まっていそうな肩かけのカバン、新しい靴、私がトリップしてきた時に着ていた服と同じタイプの新しい服数着。違うタイプのものも数着。
 どれもこれも、私がこれからしたいことに必要なものだった。

「この世界に来て1週間。そろそろミライのポケモン好きが爆発するかと思ってね。旅立ちたいって言いだすと思ったからそろえておいたのよ。あと、これもね」

 そう言って渡されたのはポケギア。私の好みを反映してか、ポケギアの色は青色だ。

「あんたは方向音痴だからマップカードももう入れておいたわよ。回復系のアイテムもカバンの中に詰め込んでおいたから。あと、服もカバンに全部入るから入れておきなさい」

 お母さんはそれだけ言うと朝ごはんの準備の為か、キッチンに向かった。
 ありがとう! とお母さんの背に向かって大声で言い服をカバンの中に詰めてみた。結構な量が入っているはずなのに、カバンはまだまだ入りそうな様子。まるで四次元ポケット……。
 隣からカバンの中を覗き込んでいる蒼緋もどこか呆れたような感嘆したような表情で見ていた。言葉は出ないようでただ中身を見ているだけだ。

「すごいね、この世界のカバンって」
「……前にいた世界のカバンはこうじゃなかったのか?」
「うん。胃の中に入るご飯の量に限界があるみたいにカバンの中に入る容量にも限界があったからね」

 感心したようにカバンを見ながら言うと「なんで胃と飯に例えるんだよ」と呆れた口調で返された。というかいつの間に擬人化していたんだ蒼緋。
 パッと横を向けばすぐ傍にきめ細かな白い肌と整った顔立ちがあって私の心臓は爆発寸前。頼むから離れて欲しい。
 必死に願っているとお母さんが朝ごはんを持ってリビングに戻ってきた。

「ほらそこ。馬鹿みたいにカバンの中見てないで朝ごはんにするわよ。さっさと食べなさいな」
「はーい」

 その後、私と蒼緋は朝食を食べた後すぐに家を出てようやくマサラタウンに戻ってきた多忙なオーキド博士と初めての対面を果たすことになるらしい。
 思いついたら即行動。それが母子共に遺伝しているのだろうか。旅立つのはどうやら今日になりそうだ。

◇ ◇ ◇

 白塗りの外壁。研究所らしい作りの建物の前で私と原型状態の蒼緋は立っていた。研究所らしい、ではなく研究所なのだけど。
 インターホンを押してしばらく、助手だと示すネームプレートをつけている人が私の顔を確認するなり淡く微笑んで「アヤカさんの娘さんですね!」と弾んだ口調で言い、私達を研究所の中にいれてくれた。

 研究所の中は思っていたよりも普通な感じだった。書類が机の上に結構な量がおかれてはいるけれど、良く分からない機械が所せましと並んでいるわけでもなく。ただ、作業をしている研究所の人達はみんな忙しそうにしていた。

「忙しくてごめんね。博士がタマムシからようやくお帰りになられたから。仕事がちょっと……ね」

 私達を案内してくれている助手の人もまた、お疲れらしい。良く見ると目の下にうっすらと隈が出来ていた。お疲れ様です。仕事が終わったらどうかゆっくり休んでください。

 こっちだよ。と研究所の奥、オーキド博士の研究室に案内された。
 助手の人が扉をノックするとアニメで訊きなれた声が中から聞こえた。一気に体が緊張で固まる。
 見かねた助手の人が「大丈夫だよ。博士は優しい人だからね」と言うけれどそんなことは知っています。ただこれから本物のオーキド博士に会えると思うとどうしようもなく緊張するんです。
 そんな私の感情を示すように、カクカクと首を振って返事をした。緊張で声が出ないのだ。すみません助手の人。

 部屋に入ると奥の椅子にオーキド博士が良く見知った服装で座っていた。研究所の人達とは違って博士に隈はなくスッキリとした爽やかな表情だ。

「初めまして。君がミライ君だね? わしはオーキドという。……まぁ、カイト君と同じように、君もわしのことを知っているんじゃろうな」

 朗らかに笑った博士にはどうやら兄もお世話になっているらしい。緊張してガチガチな私を尻尾で蒼緋が叩いた。

「……あ、はい。ミライといいます。1週間くらい前にこの世界に来ました。足元にいるヒトカゲは、私の相棒で蒼緋といいます」

 ぺこりと挨拶をすると博士は笑みを深めてうむと何度か頷いた。そして机の上に置いてある物を手にとり、私にそれを差し出した。

「さて。アヤカ君から聞いているだろうが、君にはこのポケモン図鑑を持って旅立って貰おうと思っておる。頼まれてくれるかね?」
「もちろんです!」

 わくわくしながら博士からポケモン図鑑を受け取った。ゲーム越し、テレビの画面越しに見ていたこの機械が今自分の手の中にあると思うと自然と頬が緩む。
 ありがとうございます! と満面の笑みで言う私に博士も、助手の人もどこか嬉しげだ。
 けれどハッと何か思い出したような仕草をしたかと思えば、途端に申し訳なさそうにしょんぼりとして博士は私を見た。

「すまんのミライ君。旅立つ君にポケモンをあげようと思っておったんじゃが……。タマムシ大学にほとんどのポケモンを置いてきてしまっての……」

 しょんぼりとするオーキド博士に助手の人が呆れたように忘れてきたんですかと冷ややかに突っ込みを入れた。すると博士はぎくりと反応しはははと笑い声を浮かべる。年ですか博士。

「ええと、構いませんよ。私には蒼緋がいますし。図鑑をくださっただけで十分です!」
「ほんとうにすまんの。次にマサラタウンに戻ってきた時には必ず……!」

 そういってしょんぼりする博士が何故かとても可愛く見るのだけど。思わずニマニマとしながら頷くと脛を思い切り蒼緋に叩かれた。こいつは自分の尻尾の威力を知っているんだろうか。結構痛いんだけど!
 けれど痛みよりも博士の可愛さよりも、何よりも気になることがあるのだ。

「あの、博士。博士はご存知ですか? 兄が今どこにいるのか……」

 そう、ずっとこれを訊きたかったのだ。お母さんに聞いてもポケギアに出ないから知らないと言うし。
 まあもう20歳で、私よりも5年も早くこの世界に来ているから大丈夫だとは思うけれど心配で……。

「カイト君は先日までわしと一緒にタマムシ大学にいたぞ。……だがの、あの子もまたアヤカ君に似て自由奔放で…………」

 そこで言葉を区切ってすっと遠い目をする博士に、その先の言葉を聞かなくとも兄がいつのまにか消えていたのだと理解した。
 昔から無駄に私を溺愛するのと同時にふらっと消えてはいつの間にか私の傍にいるのが兄だった。ある意味神出鬼没で、それは母にも良く似ていたのを思い出す。

「なんか、もう。……兄がご迷惑をおかけしていまして……」
「いや。わしもカイト君にはよく世話になっているかいいんじゃが、の」

 はは。と二人揃って苦笑する。どうやら博士は兄の自由奔放ぶりを理解してくれているらしい。
 しばらく博士の研究室で談笑した後に時計を見ると針は10時を指していた。この研究所に来たのは9時だから、1時間もお邪魔していたようだ。

「じゃあ博士。私はこれで失礼しますね」
「おお、そうじゃった。君はこれから、君のご両親やカイト君のように各地を旅するのじゃな?」
「はい。各地を自分の足で旅して……、いつかリーグに行ってみたいんです」

 今はもう、リーグに行くことへの迷いもなくハッキリと自分の意志を口にした私を博士は眩しそうに、それでいてどこか昔を見ているように目を瞑り、頷いた。

「きっと、これから君にはたくさんの試練が待ち受けているだろう。しかし、決して諦めるのではないぞ。いつも君の傍には仲間がいることを忘れてはならん。……今、君の隣に蒼緋君がいるようにな」

 その言葉にそっと足もとにいる蒼緋を見た。蒼緋も私を見ていて、澄んだ空色には何か強い意志がある気がした。

「はい博士。じゃあ、図鑑ありがとうございました! ……行ってきます」
「うむ。気をつけて」
「ミライちゃん、いつでもマサラタウンに戻ってくるんだよ」

 博士と助手の人が研究所の外にまで送ってくれた。そしてゆるりと笑い手を振ってくれる。
 そんな二人に手を振り返して会釈し、私はマサラタウンの外へと繋がる道を蒼緋と歩く。お母さんとは家を出る前にもう言葉を交わした。旅立つ準備を既に終わっている。
 思い立ったら即行動。旅立つのは早い方がいい。そうお母さんに言われてこうして外へ向けて歩いているけれど、どうやら今日旅立って正解だったみたいだ。

 今日の天気は快晴。旅立ち日和というのだろうか。
 上機嫌で道を歩く私に蒼緋がおい。と私を呼ぶ。どうしたのだろうかと思えばマサラタウンの出口。もう少し行けば1番道路。そこに、見なれた人が立っていた。

「お母さん!」
「家の前でも見送ったけどね。やっぱり、ここでもう一度見送りたくてね」

 そう、お母さん。マサラタウンの出口にお母さんはどこか寂しげに立っていた。

「ミライ。夢にまっすぐ進みなさいな。大丈夫よ、前に言ったみたいにあんたは元リーグチャンピオンの父親を持ってるんだから。ある程度のバトルセンスは母親である私が保証するわ。……だから、夢を追い続けなさい。もう、この世界では諦める必要はないもの」

 そう言ったお母さんは昔を思い出しているのだろう。トレーナーにはなれないのだと現実を理解した頃の私を、思い出しているのだろう。

「ありがとう。お母さん。……行ってくるね!」
「ええ。行ってらっしゃい。たまには家に帰ってきなさいよ。気をつけて!」

 懐かしそうな、それでいて寂しそうな表情を消し去り晴れやかな笑顔でお母さんは私を送り出す。

 一歩。また一歩。
 私はマサラタウンへの外に向けて歩き出す。

「よっし、行くよ蒼緋」
『おう』

 マサラタウンと1番道路の境。
 その前で私と蒼緋は大きく一歩、踏み出した。

 空は青く澄んでいる。
 この青空の下、どこまでも仲間と一緒に歩めればいい。


Chapter 1.はじまりの時 End


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