君の睫毛を濡らした液体を舐め取る。塩辛いそれに、舌の粘膜が騒ついた。含まれる君の心を垣間見た気がした。

大人の顔で眠りながら、子供のように泣いている。

オムレツを焼いて蜂蜜をかけた。睡眠時には嗅覚が一番鋭利なのだと、何時だかテレビで見た気がする。

君の冷たいであろう過去に少しだけでも温かい香りを含ませられたら。



「足が痛むから雨が降るわ」

彼女は右膝を撫でながら云う。窓からは金色の光が差し込み、部屋を舞う埃を浮彫にしていた。

彼女がそう云った日、雨が降ったことは一度も無い。

けれど傘を持たずに出掛けると彼女はあからさまに機嫌を悪くするので、僕は素直に従った。

勿論、その日も雨は降らなかった。

「ほら、やっぱり降らない」

彼女の好物であるオムレツを作りながら口を尖らせる。

彼女はフライパンの中で姿を変えて行く卵に全神経を集中させていた。どうやら今日も僕の声は卵に負けたらしい。

「ストップ」

彼女の声でコンロの火を切る。

彼女が食す卵は必ず固焼きだ。サルモネラ菌がどうのこうのらしく、半熟は決して口にしたがらない。

固焼きならば時間を気にする必要は無いだろうという僕の意見は、彼女の「オムレツのオの字も分かってないのね」という一喝で無かったことにされた。

確かに彼女がタイマー代わりになる前までの僕の固焼きオムレツは、ぱさついていて口内の水分と云う水分を奪っていたわけだが。

そして彼女はオムレツに蜂蜜をかける。それもたっぷりと。

食意識の低い僕は卵が固焼きだろうが半熟だろうがどちらでも構わないのだが、流石に蜂蜜には付き合えなかった。

蜂蜜のかかったオムレツを頬張りながら「雨、降ったのよ」と彼女は云った。

「嘘だ、いつ?」
「男の人はこれだから嫌よ」

彼女はオムレツを吟味しながら――恐らく、あと何口でこの幸福を平らげるべきか、一口分のサイズを計算しているのだろう――無言でこれ以上の会話を制した。



思えば、君の足が痛む日は、必ず雨が降っていた。

それは君にしか見えない雨だった。僕が気付かなくてはならない雨だった。君の心を濡らす雨だった。

「うさぎみたいで可愛いでしょ」

充血した目を、少し考えれば容易く導ける答だった。

「今日はオムレツにして」

君がオムレツに蜂蜜に求めたものを、僕が与えられるべきだった。


君の寝息と僕の嗚咽は、まるで別々の空間にあるみたいだ。

髪を手で梳くたびに身体を強張らせる君に、一体何をしてあげられると云うのだろうか。

君の頬で、君の睫毛を濡らしたそれと僕の睫毛を濡らしたそれが、混じり合って一つになった。

跡を残しながら落ちて消えた。







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