ヤマアラシ (2/3)





「会いたいの」

心臓が跳ねている割には、私の声も静かに響いた。

短い間の後に「僕もね、話がしたかったんだ。いつもの場所で待っていて」と彼の落ち着いた声が聞こる。眉を寄せて困った様に口角を上げる彼の表情が、ふと思い出された。

返事をしようと動かした喉は張り付いていて、上手く声も出ないままに電話を切った。


ハンドバッグを一つ持って、家を出る。

いつもの様に軽く化粧をするべきか迷ったが、ファンデーションを塗るその時間にすら余計な事を考えてしまいそうで、隈が酷く目立つ顔のまま靴を履いた。

いつもの場所であるホテルまでは、二駅と徒歩五分だ。その寂れた様が親しみやすくて好きだったのだけれど、今日は私を突き放す様に侃々として見えた。


案の定お客は少ないらしい。フロントには初老の男が一人、怠そうに立っていた。

チェックインを済ませて部屋に向かう。二階突き当たりにあるその部屋は、蛍光灯の光がしっかりと当たらず灰暗い。

癖のある開錠も手馴れたものだ。部屋に入ると、部屋番号だけを彼にメールする。送信完了を確認した後携帯電話をバッグに投げ入れ、靴を脱いでベッドに腰掛けた。


もう会えないと云われた場合、私は素直に引き下がれるのだろうか。そもそも何と云って話始めるべきなのだろう。

初めてだった。直感に従って来た自分を恨めしんだのは。

久しぶりに動かした頭が、答えの無い自問に疲れてアルコールを欲している。缶ビールでも買って来るべきだった。

近くにコンビニがあった筈だと立ち上がったところで思い直す。彼と入れ違いになるのは好ましくない。それに一度ここを出て、また戻る勇気が私には無いだろう。


何も考えない様にするということだけを考え続けた。何かで頭を埋めていないと四方八方でどう仕様も無い考えが浮かんでしまう。

それから随分経って、やっとドアがノックされた。

しかし部屋に掛けてある時計に目をやると、私がここに着いてから未だ三十分も経っていないらしい。私の体感では既に二時間を優に越えていたのだけれど。

オートロックを開錠すると、彼は「待たせて悪かったね」と、やはり眉を寄せて困った様に笑った。

私は彼から目を逸らし「全然」と云って頷いた。


彼はいつもの様にジャケットを脱ぎ、壁に掛けてあるハンガーにきっちりとそれを掛ける。

「今日はシャワーを浴びてないんだね」

先程まで私が座っていた場所に彼は腰掛け、カフスボタンを外しながら小さく笑った。

「……ごめん」
「いいんだ。今日はするつもりじゃなかったから」

何でだか酷く泣きたい気持ちになった。

セックスする為だけの関係だった。なのに、それすら奪われたら、本当にもう私は必要なくなってしまうじゃないか。

私に飽きたのだろうか。私の代わりを他に見付けたのだろうか。私よりも良かったのだろうか。私はもう要らないのだろうか。









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