「生きる」定義



生きるというのは
存外単純なことだった

要は何を「生きる」とするかに依る

それを態態こんがらかしたのは
案の定人間であった


例えば
生きるとは食べることだ
と定義付ければ
人間は摂食するだけで良かった

例えば
生きるとは繁殖することだ
と定義付ければ
人間は生殖するだけで良かった

然し乍ら
これらは本能行動と分類される

ここで面白いことに
主に本能行動のみを示す生物には
本能などという言葉を
生み出すことは不可能なのだ

詰り
これらは便宜上本能行動と分類され
実して
本能行動とは別の類である

勿論人間に限定されてだ


多くの学者が
人間について定義した

「生きる」ではなく
「人間が生きる」について定義した

結果
自らの首を絞めるだけでなく
ご丁寧にも
私たちの首まで絞め続けている

民主主義が確立され
民主主義などという言葉も
必要なくなった今

新たな「生きる」定義が
打ち立てられなくてはならない


価値観の拡散により
数多くの定義が生まれ
そして消滅してゆくだろう

人間が人間を定義し
それを人間が審査する以上
決して
必要十分条件に
生り得ることはないのだ

然し
定義無くしては
判断が付かないのならば
定義は生まれ止まない


何を「生きる」とするか

然して
何を定義するかではなく
何に定義されないか
これが問題だ








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