短編 | ナノ
夜間飛行


仁王くんが非行してる
特殊家庭設定

街灯や車のライトに照らされる銀髪が私の視線を奪った。バス停のベンチに座る少年は、周りの空間から隔離されているようで、まるでど
こかへ連れていかれることを望んでいるようにも感じ、彼の元へ走るバスが見えると得体の知れない不安に駆り立てられた。ベンチから立ち上がりバスへ乗り込もうとする彼の腕を掴んで引き止めたのは、年甲斐もなく彼がこのバスに乗ってどこか別の世界に連れていかれるかもしれないと思う自分がいたからなのかもしれない。

「なんじゃ、えらい堂々とした誘拐犯やな。」

「………仁王くん、乗るバス間違えてるよ。」

「は?」

私の言葉と共にバスのドアは閉まり、そのまま走り去っていった。慌ててふりかえった仁王くんは眉をしかめてこちらを睨んだ。しかしその瞳は少し温かみを残していて、こうなることを望んでいたようにも見えるなんて、そんな都合のいいことを考えていた。

「…あれが一番最後のバスなんじゃから、間違えるわけないじゃろ。」

「そんな時間のバスに乗れる年齢じゃないでしょ。」

「…実習はもう終わったじゃろ、何をいまさら先生ぶっとんじゃ。」

「うるさい。どのみち警察に見つかったら補導されるんだよ?」

ああ言えばこう言う仁王くんは平日にも関わらず私服だったことから、一度家に帰ってわざわざ出かけたということであろう。手ぶらな様子から見ると誰かと遊んでいたというわけでもなさそうだ。

「近くに車止めてあるから乗って。送ってくよ。」

「ははっ…こりゃ本格的に誘拐ぜよ。」

「バカ言ってないで早く来て。」

「プリッ…わかったナリ。センセイ。」

わざと挑発するような口振りでついてきた仁王くんは意外にも素直に後部座席へと乗り込んだ。「小ぶりな車やの」とひと言文句を言ってから寝転がる。ほんとにこの子は遠慮をしない。
私と仁王くんが出会ったのは、私が養護教諭の実習で立海大附属中学校に行っていた時。彼はよく保健室のベッドを借りにやってきた。実習担当の先生にはダメと言われていたものの、低体温に騙されてベッドを貸してしまったのだ。小狡い仁王くんは、それから私しか保健室にいない時に必ずやって来るようになった。きっとほかの実習生が来た時も同じことをしてたんだろうと思う。口がうまい上に顔もいいから。

「家どこ?近い?」

「………俺がカーナビしちゃる。」

「はいはい、助かりマス。」

「思っとらんじゃろ…」

不貞腐れながらも少し楽しそうな仁王くんに思わず笑がこぼれる。弟がいたらこんな感じなのかな、なんて思いながらゆっくりとアクセルを踏んだ。
幾分か道を進み、街灯の数も減ってゆき、何か違和感を覚えた。どんどん住宅街から離れていき、空気がなんだか怪しい気がする。

「着いたぜよ。」

「………ここは、」

たどり着いた先はホテルだった。しかもホテルはホテルでもラブホテル。
思わず非難的な目で仁王くんに振り返るが、彼は俯いたままで先程の楽しげな表情が嘘のように消えていた。

「大人をからかうのもいい加減にしなさい。こればっかりはさすがに怒るよ。」

「………」

「…何かあったのかもしれないけど、家出はよくないと思うな。」

「………帰りとうない。」

ゆっくりと顔を上げた彼の瞳は微かに濡れていて、お腹の奥が締め付けられた。平日の夜に私服で最低限の物をポケットに突っ込んで親の目を忍んで出歩くなんて、私の年代でもそうそうない。親とケンカしたのかなんて家庭の事情に踏み込むようなことを軽率に口に出せるほどの立場に、私ままだたどり着いていない。

「……ほんとに誘拐しちゃおうか。」

「は?」

「私の家、来る?」

「………本気で言っとるんか。」

「ラブホに入るところ誰かに見られるよりよっぽどマシ。最良なのは仁王くんの家に送り届けることだけど。」

「……行く。おまんの家…」




* * *




やってしまった。本当に家へ連れてきてしまった。
クッションを背に項垂れながら薄い壁越しに聞こえるシャワーの音に罪悪感がこみ上げてくる。もし親が捜索願を出していたら私の今まで努力したことが就活を目前に水の泡だ。
考えることを拒否した私の脳は自然と私を放心させた。

「出たぜよ、ありがとさん。」

「………」

私が放心している間に出てきたのか、髪から水滴を少し滴らせながらペタペタと足音を立てて近寄ってきた。「人をダメにするクッションじゃ」と顔を綻ばせるとするりと隣に座り、触れ合う足先に少しだけ心臓がはねた。

「よぅ男ものの服なんてあったもんやの。不審者対策用で親父から借りたんか。」

「……いや、それ元カレの。」

「………」

「違う、未練があるとかじゃなくて…」

「なんも言っとらんきに。」

「………」

「ケロケロ、墓穴掘ったな。コンビニでパンツだけ買っとったからおかしいと思っとったんじゃ。」

楽しそうに笑う仁王くんはまるで悪戯小僧のように肩を揺らしていた。しばらくして笑いがおさまったのか、今度は私にもたれかかり耳元でぽそぽそと話し始めた。

「…親が喧嘩したんじゃ。巻き込まれるのがイヤじゃき、いつもこっそり家を抜け出しとる。」

別にいつも喧嘩が絶えんって訳やない。ただ母さんがいつも我慢しっぱなしな分言い合いは派手なんじゃ。姉貴は寮のある高校に逃げるように進学しよったから、俺は肩身を寄せる相手を失った。

寂しそうに、悲しそうに、仁王くんはそう答えてくれた。私より背が高いはずなのに、足を抱え込むような姿は幾分も小さく見えた。
彼はいつだって自分を見せてはくれない。何を考えてるか分からない言動、掴みどころのない方言。でも、時折見せる悲しげな瞳は間違いなく彼の本心なのだとなんとなく思ってはいた。そう思ったのは、私も似たような環境にいたからで、

「今度はおまんの番ぜよ。」

「え?」

「元カレの服を捨てられない理由じゃ。俺が話したんやき、そっちも話すんが筋じゃろ」

「一方的だな……まあいいや。実は今日別れたんだよね、フラれちゃったの。」

「おっと、いきなりヘビーやの。」

「…今日は普通に飲みに誘われただけだと思ったの。そしたらまさかの別れ話。」

付き合って2年にもなるとなんの前触れもなく遊びに誘われることはよくあることになってた。だから今回も飲もうって誘われた時は、車だったけど疑うことなく二つ返事で誘いに応じたの。待ち合わせの居酒屋にはすでにほろ酔いの彼がいて、しょうがないなあと言いながらも顔は綻ばせながら隣に座った。しばらくは他愛のない話をしていたけれど、いつもと様子の違う彼に胸騒ぎが治まらなくてなかなか食が進まなかった。きっと彼もその事に気づいたんでしょうね。

『他に好きな子ができたんだ、もう何回かセックスもしてる。これ以上隠しててもお互いの為にならないから別れてほしい。』

だってさ。そもそも浮気されてるなんて知らなかったし、気づけるような余裕もなかった。何より許せなかったのがお酒の酔いに任せて別れを切り出したことよ。

「なんか……すべてが悔しくて、何食べても、何飲んでも味がしなかった……最悪よ。」

言うつもりもなかったあれこれも思わず口走ってしまった私に、仁王くんは優しく頭を撫でてくれた。仁王くんだって嫌な思いをしてここにいるのに、本当に情けないったらありゃしない。

「ごめんね、変なこと聞かせちゃって。」

「全くじゃ。でも、」

「……えっ」

私の肩に乗っていた仁王くんの頭がモゾモゾと動いたかと思うと、今度は腕を首周りに巻きつかせて体を引き寄せられた。要は抱きつかれたのだ。

「肩身を寄せて慰めてほしいんはお互い様じゃろ。」

「中学生に慰めてもらうほど、落ち込んでないよ。」

「じゃあなんで泣いとる。」

体を離した仁王くんはさっと私の目元を拭った。指には水滴なんかついてなくて、なんの冗談かと彼の顔を見ると苦しそうに笑っていた。彼が何を言いたがっているのか、本当に、ここまで来て、分からない。

「泣いてないじゃん。」

「泣いとるよ、心が。」

「クサいクサい。ほら、さっさと寝る。ベッド使っていいから。」

「おまんはどこで寝るんじゃ。」

「ここに人をダメにするクッションがあります。」

「一緒に寝ればええやろ。」

「…お風呂入ってくる。」

逃げた。とボソリと言う仁王くんを無視して浴室へと向かった。知らん知らん、逃げるが勝ちなんだから。

お風呂から出ると部屋は静かで、大人しく寝てくれたのかと胸をなでおろした。ロフトベッドの下に閉まっておいたクッションを取り出して簡易寝具を作ろうとした私の目に映ったのは、あのまま人をダメにするクッションの上で寝ている仁王くんだった。

「仁王くーん。起きてー。風邪ひくからベッドで…」
「寝とらんから心配無用じゃ。」

「…は、ぅわっ!」

ぎらりと見開いた目と視線があったと思えばいきなり腕を引かれて仁王くんの上に倒れ込んだ。そのまま両腕でホールドされて身動きが取れない。抵抗も虚しく大人しくなる私を見て仁王くんはクツクツと喉で笑った。

「どういうつもり?」

「なあに、ひとつ既成事実でも作ろうと思ってな。」

「はあ?」

ほれ、と言って軽々と私を持ち上げた仁王くんはそのまま彼の膝の上に座らせた。目の前の仁王くんはとても楽しそうで、でも少し恥ずかしそうに笑っていた。恥ずかしがるなら最初からしなければいいのにと意識をわざとずらしていると、両頬に手をやりぎこちなく唇を奪われた。お世辞にも上手いとは言えないそれは悔しくも私の顔に熱を送るのに十分すぎる材料だった。

「既成事実じゃ。これからもおまんと繋がっておくための。」

「………」

「じゃ、お言葉に甘えてベッドで寝るぜよ。」

自分の唇に手をやり、彼が放った「既成事実」という言葉を脳内で反復させていた。あまりにも可愛すぎる既成事実に不覚にも心が揺らいでしまったのは言うまでもない。ロフトベッドへ上がる彼の耳はリンゴのように赤くて、キスをされた驚きよりも愛しさの方が勝ってしまった。
当然彼が寝静まってからベッドへ侵入し布団を奪って寝てやった。さんざんからかわれたんだから、バチは当たらないよね。
朝も当然驚いていて、既成事実のなんたるやをお灸代わりに教えておいた。

夜間非行も、たまには悪くは無いのかもしれない。



    
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