暗闇にこの身を置いている時には、遠くに見える光がこの上なく尊くて輝かしいものに思える。
だけど。
いざ太陽の下に足を踏み出してみると、地上を包むあの煌めきに対して恐怖にも似た感情を覚えてしまう。
憧れていた明るい世界。
それがかえって自分の穢れを浮き彫りにすることに気付いてから、俺はもう光に向かって手を伸ばすことをやめた。
そこにあったのは、消極的な憧れと絶対的な恐怖。
もしかすると俺は、白に憧れを抱く傍らで黒に溺れることを望んでいたのかもしれない。
真夜中の静寂に包まれた部屋の中、俺は物音を立てないように気を付けながら彼女の所へ向かう。
同じ家の中で眠っている人達に目を覚まされると後々厄介なことになるので、短い距離を歩くことにすら普段の倍神経を使うのだ。
しんと静まり返った世界にこの身を預けながら。
彼女が眠るベッドに近付き、滅多に見ることが出来ない寝顔を見つめる。
穏やかな寝息を立てている彼女の姿をこの瞳に映し出した途端、長い間押し込めていた感情が襲ってくる。
人々が“美しい”と呼ぶようなものとは一切関わりを持たずに生きていこうと思っていた。
穢れに沈んだまま、息をし続けようと思っていた。
――それなのに。
彼女の優しさに触れた途端、自分の中にあった何かが少しずつ崩れ始めて。
彼女の純真さを知る度に、心を縛り付けていた何かが緩んでいった。
もう止めてくれ。
結局俺は黒の中から抜け出せないのだから。
もう二度と、遠くにある煌めきに無謀な期待を抱きたくないのだ。
彼女が俺にくれたもの。
いっそその全てを捨ててしまえればよかったのに。矛盾した俺の心は、彼女の温かさをずっと覚えていたいと叫ぶ。
本当はもう気付いていた。
今更この感情をゼロにするなんて不可能だということに。
一度知ってしまった愛しさを消すことなんて、俺には出来ない。
静かに流れる時間を刻む音と、彼女の穏やかな寝息が俺の鼓膜を揺らす。
雪のように白い肌。
そっと閉じられた瞳。
枕の上に広がる、細くて柔らかい髪。
ダークグレーのスウェットに包まれた華奢な体。
俺よりも小さくてか弱い彼女を、このままどこかに連れ去ってしまいたい衝動に駆られる。
その白い肌に触れたい。
出来るならばずっと、この腕の中に閉じ込めておきたい。
こんな狂気染みたことを思うなんて、俺は遂にどこかおかしくなってしまったのだろうか。
(彼女の無垢な笑顔は、)
(俺を狂わせる)
眠る彼女にゆっくりと顔を近付け、その無防備な唇にそっと口づける。
目を覚まされないようにと思いすぐに唇を離したが、彼女は相変わらず穏やかな寝息を立てたままで。
余程深い眠りに落ちているのか、目を覚ます気配すら見せない。
彼女はどんな夢を見ているのだろう。
かつてはその夢の中が苦しみに満ちることを望んでいたのに、今の俺はそれとは全く正反対の願いを抱いている。
自分の感情くらい自分で操れると思っていたが、もしかしたらその考え自体が甘かったのかもしれない。
現に今、俺は目の前で眠る彼女にどうしようもなく心を乱されている。
何があっても本気で惹かれたりなんてしないと思っていた女に、だ。
「 」
眠り続ける彼女の髪を優しく撫でながら、俺は聞き取るのも難しいような小さな声で彼女の名前を口にする。
込み上げるのは、抑えきれない衝動と愛しさ。
俺は一体あとどれくらい、この歪んだ劣情を隠していられるのだろう。
限界は近い。
気を抜けば、真っ赤な欲望が迸ってしまいそうだ。
――ああ、本当に。
こんな感情、知りたくなかった。
止められない愛情に恐怖にも似たものを感じながら、俺は彼女の白い頬に歪んだ熱を降らせた。
Nobody knows his mind.
( ??? another side )
お礼SS / 2012.03.10
通常公開 / 2012.06.19
:: presented by
yusa